歩けないより歩けるほうがいい。リハビリが大事であると精神科医の和田秀樹氏は考えていました。そんな和田氏のお母さんが骨折で入院。リハビリで歩けるようになりましたが再び骨折で入院。そんなお母さんはいつも前向きです。老人医療に詳しい精神科医の和田秀樹氏が著書『80歳の超え方 老いは怖くないが、面倒くさい』(廣済堂出版)で解説します。

「子どもには迷惑をかけたくない」

■人に頼ることは悪いことではない

高齢になった方の誰もが口にする言葉に、「子どもたちの負担になりたくない」「人さまのお世話にならないようにしなくては」といったものがあります。

身体を動かせるうちは、自分でできることはやり抜く。立派なことです。でも、みなさんが口にする「子どもには迷惑をかけたくない」という言葉の裏に、さびしさがにじみ出ているように感じます。

いまの世の中は自立志向がもてはやされますが、そのおかげで私たちは甘え下手になっているような気がします。自助努力だの自己責任だの、高齢者には本来、無意味な言葉ですね。

何かしてもらいたい場合は、すべてお金を払ってサービスを頼む、つまり、お金を消費することが自立の目安になっています。

介護保険制度は、家族を介護からあれこれと解放したという面ではいいところもあります。問題はいろいろありますが、お金を払ってサービスを受けているので、後ろめたい気持ちも少なくなるでしょう。

ただ、介護保険制度のおかげで、家族や地域に頼りづらくなってきた面はないでしょうか。自立できなきゃ、お金を払ってサービスを頼め、家族やご近所に迷惑をかけないのが立派な人だ、と私たちは思い込んでいないでしょうか。

私は医者ですから、人が老い、死んでいくことを目の当たりにします。2年前元気だった人が少しずつ弱ってきます。

しかし、核家族になったいま、老いて死んでいく姿が一般の人に見えづらくなり、福祉の問題にされてしまっているような気もします。

私たちは、もう少し人に頼ってもいいのではないでしょうか。

「ひとりで病院へ行くのは不安だから、一緒に行ってほしい」と子どもにお願いする。

「町に行くついでに、車に乗せて行ってくれないか」と隣にお願いする。そういうやりとりがもっとあっていいと思います。

最近の大人は成熟しない、子どもっぽいといわれます。政治家も昔の大物は威厳がありましたよね。いまはいかにも軽い。人間が軽くなってきたのは、世代間のやりとりができていないからではないかと思うことがあります。

祖父母や親を世話して老いに向き合い、死に立ち会うといった当たり前のやりとりがかつてはありました。

いまの高齢者は、「子どもに迷惑をかけない」と言いつつ、子どもたちから大人になる機会を奪っているのかもしれません。

あなたは自分の老いをしっかり楽しみながら生き、ヨボヨボになっている姿を見せつつ、頼るときは人に頼りましょう。そうすれば次世代も心構えができてくるというものです。

次世代へつなぐのは、あなたが老いを楽しむ姿なのです。それができるのは高齢者だけです。むしろ堂々と老いていいはずです。

子ども返りして、人の手に任せてみる

■子どもに返るのも老いの特権

認知症の話を書いていたら、ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を思い出しました。ディレクターの信友直子さんがご両親の老老介護を記録した映画です。87歳の母が認知症になり、95歳の父が介護する。娘の直子さんは東京に住み働き、両親は広島に住んでいます。

この両親が実にいいのです。何より笑顔がいい。お母様は、きちんとした主婦であっただろうと思います。お父様はなかなかのインテリです。

ふたりが日々の生活をヘルパーさんの助けも借りながら紡いでいく。その中には、「なんでこうなるの」とふてくされる認知症の母や、がまんする父の姿も描かれている。

でも、どこかで「ぼけますから、よろしく」というユーモアのある夫婦の姿を見ると、こういう感じでお互い支え合って暮らしている人も多いのだろうと思います。

なかなか、こういう普通の生活を私たちは見ることがないので、ヒット作品になったのだと思っています。認知症といえば悲惨な家族介護というイメージがありますが、いろいろな助けを借りながら、自分たちらしく暮らしている方も多くいます。

年をとると、子ども返りするといわれます。これも少し差別的な言い方だと思われるときがあります。高齢者にも尊厳がある、子ども扱いとは何ごとかというお叱りです。「おじいちゃんおばあちゃん」と言わないで、名前を呼びなさいといわれています。

もちろん、「〜ちゃん」と呼ぶような子ども扱いは、彼らの尊厳を傷つけますが、私は「子どもに返る」ことそのものはいいことだと思っています。年をとると、実際にだんだんとケアされる立場になっていきます。いつまでも上から目線で人に指示する気持ちではいけません。「お願いします」という気持ちになっていってほしいものです。

小さいとき、風呂上がりに母に身体を拭いてもらい、天花粉をはたいてもらった記憶はありませんか。親にやさしく世話をうけたときは気持ちのいいものでした。それから、少年少女になり大人になると、すべてに自立しなさいと教えられます。

すると、自分のことは自分ですることが人間の尊厳のように思います。ですから、何かできなくなったら、「もう自分はダメだ」と嘆いて落ち込むのです。

子ども返りして、自分を少しずつ人の手に任せてみるというのも大切なことです。

いまの世界では、あまりにも自立がうたわれて、介護の世界でも自立支援に重きをおきます。介護度が悪化しないように、自立した生活ができるように支援するわけです。

ラクして笑っていられるほうがいい

実は私もそう考えていました。歩けないより歩けるほうがいい。リハビリが大事であると。そんな私の母が油断して骨折してしまいました。リハビリで無事に歩けるようになってほっとしていたら、その後だんだん歩けなくなって、手押し車を使って外に出ていました。

便利なものを利用して外に出るというのは大事です。仕方ないかと思っていたら、その後、母はまた骨折して入院しました。いまは車いすも利用しています。

「なんだか車いすは楽でいいのよ」

と、笑っている母を見たら、もうリハビリしろとは言えなくなりました。ラクでいいじゃないか。ラクで万歳。つらいリハビリをするより、もう何年あるかわからない人生です。ラクして笑っていられるほうがいいと開き直りました。

車いすの生活になるということは、人の世話になる量が増えるということです。介護度が上がり、サービスを増やさないといけません。でも、だんだんとみんなが子ども返りして、自分の世話を人にゆだねていくことを受け入れていく、本人だけではなく家族もその気持ちが必要だなと思いました。

子ども返りは、ケアの問題だけではなく、心の解放にもつながります。

少しずつ大人の責務から降りていくことです。見栄やプライドを捨てて世の中を眺めてみると、高齢者の目には新しい世界が広がることもあるようです。俳句や川柳の世界では高齢者が面白いものをつくります。忙しかったときは空や花をじっくり見る暇もなかったでしょう。

高齢者となって、美しいものは美しいと世界を新鮮に見直してみる。これは子どもに返った精神だからできることです。

いつまでも凝り固まった大人の目しか持てないと、認知症も楽しめなくなります。

先に紹介した映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編も上映されているようです。お父さんは98歳になり、お母さんは脳梗塞で入院したそうです。まだ観ていませんが、このおふたりが最後の日々をどう閉じていくか見てみたい気がします。

和田 秀樹 和田秀樹こころと体のクリニック 院長

(※写真はイメージです/PIXTA)