日本の貧困化が止まりません。理由のひとつには賃金の伸び悩みがありますが、そもそもなぜ賃金が先進各国に比べて著しく低いまま据え置かれているのでしょうか。そこには、日本型の雇用システムと、1990年代から日本に入ってきた米国的資本主義のミスマッチが大きく影響していました。

株式市場と労働市場の「制度的ミスマッチ」

わが国の近年の賃金低下の問題については、労働生産性の低さよりも「労働分配率の低下」の問題を取り上げる意見が多くなっています。経済のグローバル化先進国の労働分配率は低下傾向にありますが、賃金の低下は大きく、長いデフレに陥っていたのもわが国だけです。

そこには、わが国特有の原因があると考えがえられます。わが国の労働分配率の低下、そして賃金低下の原因は、株式市場が流動化して企業経営が株主重視になっている一方で、雇用制度は戦後の終身雇用の慣行、年功序列賃金が主流であるという、株式市場と労働市場の制度的なミスマッチによるものではないでしょうか。

バブル崩壊のあと、わが国の株式市場はグローバル化して外国人投資家が増加し、一方で銀行と企業の株式持合いは低下しました。銀行の行動は自己資本比率のバーゼルIへの対応であり、外国人投資家は国際分散投資の一つとして、日本版金融ビッグバンもあって日本株を買い増ししました。

そして企業は、労働分配率を下げ、短期的な業績への要求が強い外国人株主に対応しました。実際、元経済同友会副代表幹事の林野宏クレディセゾン会長は、株主至上主義や強欲の飽くなき追求がすべての企業に影響を与え、「社員の賃金圧縮や株主還元率の上昇、経営者報酬の高額化を生み出した」※1と述べています。

※1 林野宏「資本主義、民主主義の崩壊」『週刊金融財政事情』第72巻 第24号、2021年、3頁。

1990年代半ばまでの銀行と企業の株式持合いは、わが国の日本的経営の要となって株主の弱体化と経営者の保護を図っていました。しかし、その株式持合いがバブル崩壊の過程でなくなっていき、日本的な経営は維持できなくなっていったのです。

にもかかわらず、雇用については非正規雇用の割合を増加させたものの、主流は終身雇用の慣行と年功序列賃金を維持していました。つまり、長期雇用の慣行の対象者の数は絞ったものの、その仕組み自体は温存されました。

しかし、現在では銀行の株式持合いの解消により株式市場が本来の力を取り戻し、しかも、その約3割は欧米の機関投資家となりました。また、大企業は銀行借入を返済し、内部留保を積み上げて自己資本比率を高め、銀行より株式市場との関係性を深めました。

こうしてメインバンク制による銀行中心のシステムから、株式市場中心のシステムへと変化している企業金融の仕組みと、非正規雇用は増やしたものの、主流は従来の日本的経営による長期的で固定的な雇用となっている雇用の仕組みに「ミスマッチ」が生じています。

企業はボーナスを中心に賃金を下げ、毎月の定例給与の引き上げを抑制して、株主への支払いを内部留保の増加という形で増やしましたが、転職というオプションのない従業員は、雇用についての暗黙の保証を優先し、賃金の低下を受け入れたのです。実際、こうしたミスマッチがない米国は、労働分配率が日本より高くなっています。

銀行との株式持合い解消と労働分配率低下に正の相関性

1990年代からわが国にも米国的資本主義が入ってきたわけですが、労働分配率はその米国よりも低い状態となっています。労働分配率の日・米・独の比較は、図表1のとおりです。

わが国の労働市場は、株式持合いが解消し、わが国の大企業の企業金融が米国的な株式市場中心へと移行した以上、制度的補完性を考えると、ある程度労働市場の流動性を高めていかないと、外部オプションがなく逃げ場のない労働者、とくに中高年は「賃金の抑制」を受け入れると思われます。

図表2のように、銀行との株式持合い解消の状況と、労働分配率低下の状況の間には、強い正の相関が見られます。

内閣府によると、企業が生み出した付加価値の分配という観点からは、配当性向がほぼ横ばいで推移する中、労働分配率が低下しています。

「まず純利益を決め、次に経費を切り分けるイメージ」

また、国内における設備投資は増加しているものの、企業収益の伸びの割には緩やかなものにとどまっており、結果として、企業は貯蓄超過となっています。ただし、内部資金の蓄積に応じて、海外も含めたM&Aなど広義の投資が増加しており、不確実性増大への備えとして内部資金を活用している側面もうかがわれます※2

※2 内閣府「企業部門の成長に向けた取組と好循環の確率」2018年 https://www5.cao.go.jp/keizai3/2017/0118nk/n17_3_3.html(2021年10月6日入手)

つまり、企業は労働分配率を低下させて内部留保を蓄積し、海外M&A等による投資を行っています。実際、図表3のように労働分配率と自己資本比率の推移には強い負の相関があります。

SBI証券金融調査部長(チーフストラテジスト)の北野 一氏によれば、企業の損益計算書では、上から売り上げ、経費、金利などが記載され、最後に純利益が導き出されますが、現状では先に純利益を決め、そこから経費などを切り分けているイメージだといいます。結果、株主への配当は増えても労働賃金は増えません。つまり、外国人投資家という圧力が労働分配率を抑えているのです※3

※3 北野一「なぜ会社は給料を減らしながら増配するのか」 https://president.jp/articles/-/3692(2022年1月18日入手)

つまり収益の分配は、株主分が増え、従業員の取り分が減少しています。

こうしたことから、わが国の賃金の低下について、「データブック国際労働比較2019」によれば、製造業の労働費用で比較した場合、わが国の労働費用2002年以降は相対的に低い水準で推移しています。2017年には日本を100とする場合、ドイツが167、米国が147です※4。つまり、現在ではわが国の賃金は米国やドイツと比較しても大幅に安くなっています。

※4 労働政策研修・研究機構『データブック国際労働比較 2019』労働政策研究・研修機構、2020年、205頁。

労働分配率と企業の内部留保の上昇に負の相関性

わが国の対外直接投資残高のGDP対比は30%台であり、ドイツの40%台、米国の60%台に比べれば低いといえます(2019年末時点)。一般財団法人国際貿易投資研究所客員研究員の増田耕太郎氏は、日本の対外直接投資は今後もM&Aを主体にして拡大することは確実としています。従来は対外投資の対象と考えにくい分野であっても、より高い成長力のある国々への進出は、買収、資本参加、経営権譲渡等形態を問わずM&Aを積極的に行っていくとみられます※5。なお、2020年12月時点の直接投資残高は206兆円です。

※5 増田耕太郎「近年における日本の対外直接投資の特徴 〜大型M&A・非製造業を中心に展開〜」国際投資貿易研究所 http://www.iti.or.jp/kikan115/115masuda.pdf(2021年9月24日入手)

内部留保について、 東京海上アセットマネジメント執行役員運用本部長の平山賢一氏は、企業で蓄積された剰余金等の内部留保の増加は、80年代以降の自己資本比率の上昇基調を支え、さらにバブル崩壊以降は負債による設備投資を抑制する保守的な経営が主力化したため自己資本比率は上昇に転じたとしています。2018年度には戦後最高水準の50%に迫る水準まで自己資本比率が上昇しており、米国企業の一部が負債を拡大して自社株買いに走るのとは違い、安定性が高まっています※6。実際、図表4に見られるように、労働分配率の状況と企業の内部留保の上昇の状況には負の相関性があります。

※6 平山賢一「日本企業はコロナに弱いのか?」日本経済新聞電子版 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61311790Y0A700C2K15200/ (2021年9月25日入手)

なお、わが国の企業が利益を蓄積してきた点については、岡三証券グローバル・リサーチ・センター理事長(2022年7月から日本銀行政策委員会審議委員)の高田創氏によれば、米国上場企業の自己資本比率は39.6%であり、わが国の上場企業は52.6%となっています(2019年末時点)※7

※7 高田創「企業も投資家も、今こそなぜ「財テク」か」 岡三証券 TODAY、2020年 PowerPoint プレゼンテーション(okasan.co.jp)(2021年9月26日入手)

米国の企業は株主還元のために自社株買いによって自己資本比率が下がり、大企業においては従来の日米の株主の立場が逆転しているのです。

藤波 大三郎 中央大学商学部 兼任講師