「スペースジェット」を手掛ける三菱重工グループには、国内初のビジネス機として知られ、ヒット作となった民間機「MU-2」があります。ただこの成功は順風満帆なものではありません。その裏側を知る人物に、当時の話を聞くことができました。

STOL性能ゆえの独特の翼の使い方

現在開発凍結となっている、三菱重工グループの三菱航空機が手掛ける旅客機「MSJ(三菱スペースジェット)」。その開発以前に、三菱重工が開発し500機以上のセールスを記録したモデルがあります。国内初のビジネス機として知られるターボプロップ機「MU-2」です。

MU-2の試作初号機は、1963年9月14日に初飛行。当時レシプロ・エンジンが一般的だったこのクラスの民間機では珍しく、先進的なターボ・プロップ・エンジンを搭載するなど、高性能で独自性のある機種を目指したほか、ビジネス機として居住性、整備性、経済性がよいことなどを念頭に開発を進めました。

このMU-2の高機能のひとつに、STOL短距離離着陸)性能があります。主翼幅いっぱいに後縁フラップ(高揚力装置)を採用したことにより、翼の面積を競合機と比べて大きくすることができ、STOL性能の向上に寄与しました。そのぶん、MU-2は独特の形状をもち、通常の旅客機とは異なる翼の使い方をする機体となりました。

主翼には、主に抵抗板として減速に使用される動翼「スポイラー」があります。通常は減速に用いるこの装置を、MU-2では左右別々に作動させることにより機体を傾ける手法をとります。これは、通常の飛行機では互い違いに作動することで機体を傾ける動翼「エルロン」が設置される位置に、後縁フラップ(高揚力装置)を使用したため。こうしてSTOL性能向上に貢献する一方で、翼の使い方をイレギュラーなものとしたのです。

しかしMU-2では、そのようなユニークな設計を持ちながらも、「MSJ」の実用化において“最大の壁”とされた、アメリカなどでの型式証明(そのモデルが一定の安全基準を満たしているかどうかを審査する制度)もクリアし、ヒット機となりました。今回、その取得の裏側を聞くことができました。

MU-2、どう「型式証明」を取得?その歴史は波乱万丈

「三菱MU-2の型式証明(型式設計変更)を担当した」と話す、とある検査官によると「とにかく耐空性基準や耐空性審査要領を読み必死で仕事をこなしたことが思い出されます」とのこと。ちなみに同氏、それまでは小型機の耐空証明検査の仕事が主だったことから、MU-2ほどの大きさの機体の型式証明の仕事には相当戸惑ったとのことです。

「当時は三菱重工名古屋工機製作所小牧工場で、MU-2の機体を製作、エンジンや計器などの設置は米国で行っていました。売れ行きは良かったです。ただ、輸出当初は日本の証明(米国との耐空証明に関する相互協定による)でよかったものの、米国の他メーカーから指摘が来たことで、米国の型式証明が義務付けられ、その取得に1年以上要しました」(同氏)

つまり、MU-2サクセスストーリーは、決して“順風満帆”ではなかったのです。その一因として、同氏は次のように分析します。

「短胴型のMU-2A・B型は高速性能を目的にしていましたから、低速性がイマイチで、着陸操作に技術を要する機体でした。それは熟練したパイロットも壁にぶつかるほどでした。主翼の面積が同等の他の機体に比べ小さいため着陸時の速度が速く、その上横のコントロールにスポイラーを採用したため、横方向の操縦に技術が必要だったのです。しかし、同機の特長である高速性が好きな操縦士にとっては大好きな機体だと思います。あの零戦で豊富な乗務経験をもつパイロットは、この機体を『戦闘機そのものだ』と評したほどです」

「MU-2」に見る民間機成功の駆け引き

この検査官はMU-2の初期タイプではなく、「G型」と呼ばれる胴長型機の型式証明取得を担当。「G型は、A・B型の操縦特性を改善し、通常のビジネス・ジェットに近い操縦感覚になりました。これにより米国で人気が出て売れるようになったのです」

このような経緯をもつMU-2は、デビュー後、国内では、航空自衛隊の救難機や飛行点検機、陸上自衛隊では高速連絡機、民間機では新聞社の連絡機などとして採用されました。現在国内ではほとんど引退していますが、諸外国にも販売されて、YS-11よりはるかに多い売り上げを記録。米国では今も現役で飛んでいます。

しかし、このウラには同氏が話してくれた型式証明のストーリーのほかにも、「米国のメーカーに組み立てと塗装を依頼することで、米国製品として販売し、日本の航空機を米国内で販売する場合の様々な制約をクリアする」といった工夫もありました。

そうした三菱重工、そして日本の航空業界が一丸となった工夫もあり、いまでも特に米国ではMU-2の愛好者が今でもいるようで、三菱重工はサポート体制を維持しています。プロに愛され、その操縦感覚などから“ホット・ロッド”とも称されたMU-2は、2022年現在、国内の博物館などでその魅力の一端である外形を窺い知ることができます。

あいち航空ミュージアムに展示されているMU-2(柘植優介撮影)。