芸能界デビュー30周年、年齢としては50代に突入し、俳優業はもちろん、司会業、YouTuber、作家業などエネルギッシュに活躍の場を広げている原田龍二。任侠映画『虎の流儀』では、自分の欠点もすべてさらけ出し、真っすぐに生きる“昭和の男”を躍動感たっぷりに演じている。「50代になった今だからこそ演じられたキャラクター」とオープンマインドの男を等身大で演じた原田だが、身につけた鎧を一枚ずつ脱ぎ捨て、謙虚さと「とにかく一生懸命にやる」というモットーを掲げるまでには、紆余曲折があったという。水谷豊との出会い、『世界ウルルン滞在記』(MBSTBS系)での経験、そして2019年のスキャンダル――。「失敗しても人生は続く」と実感を込めながら、自身を変えた“人生の分岐点”を語った。

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■清との共通点は“楽しく生きる”こと アクションも「頑張りました!」

 義理人情を重んじ、一度怒りが沸点に達すると、“虎”のごとく暴れまわる堅物で昭和な男・車田清(原田)が、あらゆるいさかいに巻き込まれる様を描く『虎の流儀』シリーズ。名古屋、岐阜を舞台とした『虎の流儀 ~旅の始まりは尾張 東海死闘編~』、北九州、下関を舞台にした『虎の流儀 ~激突!燃える嵐の関門編~』が連続公開となる。

 誰に対しても裏表がなく、女性に惚れっぽい清は、見ているこちらも元気になるようなキャラクターだ。原田は、自身と重なる点も多かった様子で「清は、いつでも“楽しくしていたい”と思っている人。それは僕も同じですね。清の放つ、“必死でなにが悪い”というメッセージにも共感ができる。また清は“不器用な人だな”とも思いますが、だからこそ応援したくなるような人。僕も器用なタイプではないですから。セリフ覚えも悪いし、だからこそ時間がかかる」と明かしつつ、同時に「こういう人は、すごく好き」と思うような人物像だという。

 肉弾戦あり、カーチェイスありと、迫力のアクションも大きな見どころだ。原田は「おじさん、頑張りました!」と胸を張り、「いつでもアクションができるように、準備をしています。ジョギングをしたり、漬物石を持ち上げたり、公園で懸垂をしたり。ジムに行くより、そういった運動が自分らしいと思う(笑)。心身共に健康な状態を作っておかなければいけないと思っています」と、いつでも走り出す準備は万全だ。

高倉健水谷豊…スターであるほど謙虚 カッコいい先輩から刺激

 第3回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリ受賞した原田は、1992年のドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)で芸能界デビューを果たしてから、今年で30周年を迎えた。「清を等身大で演じられるまでには、30年かかりました。50代になった自分だからこそ、自然体で演じられた。着飾っていた20代の僕では、絶対に演じられなかったようなキャラクター」だと打ち明ける。

 「デビュー前に、あるCMオーディションに行って。“爽やかに笑ってください”と言われた時に、“面白くないので、笑えません”と帰って来ちゃったことがあった。カメラの前でうまく笑うこともできなかった」と告白した原田。そんな自分を変えた一つの転機は、俳優やタレントが旅人となって世界各国の暮らしを体験するドキュメンタリー番組、『世界ウルルン滞在記』に参加したことだという。

 「1994年に初めて『ウルルン』に出演させていただいて、スリランカモンゴルラオスなどいろいろな国をまわりました。現地の人たちが裸で過ごして、生きるために森に入って必死に狩りをしているようなジャングルに行くと、“人間らしく生きるってこういうことだよな”、“カッコいいな”と思ったり、価値観を覆すような出来事ばかり。できないことがあったっていいし、驚いたり、泣いたりと素直な今の自分をさらけ出すことも、全然カッコ悪いことじゃないんだと思った」と語り、「それからはカメラの前でも、いろいろな感情表現ができるようになった」と視野を広げたことで役者としても変化した。

 そして「水谷豊さんとの出会いも、僕にとって大きなものでした」と続ける。「下積みがなかったので、20代の頃は“役者を一生の生業にできるのだろうか”と不安に思うこともあって。そんな僕にとって、役者としてのスイッチが入った転機を挙げるとするならば、1997年に『流れ板七人』(テレビ朝日系)という連続ドラマで、水谷さんと出会ったことです。水谷さんは優しくて面白くて、人間としてとても魅力的な方。俳優としてはもちろん、僕は“人間・水谷豊”のことが大好きになって、ものすごく興味を惹(ひ)かれてしまって。“俳優には、こんなにカッコいい人がいるんだ”と、刺激を受けました。心酔してしまって、水谷さんの口調を真似するほどでした」と目尻を下げる。

 原田は、「水谷さんの姿を見ていると、“どんな時も謙虚でいる人ってカッコいいな”と思うんです」と惚れ惚れ。「2001年に『ホタル』で高倉健さんとご一緒させていただいた時にも、そう思いました。スターだし、威張ったっていい立場じゃないですか。でも誰よりも謙虚。そういう方たちと出会えたことは、僕にとって学びであり、財産です」と心を込める。

■「失敗しても人生は続く」 モットーは“とにかく一生懸命やること”


 「いろいろな出会いを経て、不必要に身につけていたものがどんどんはがれていった」と、鎧を一枚ずつ脱ぎ捨てるようにして歩んだ道のりを振り返った原田。インタビュー中も心の壁を感じさせず、大きな笑顔を弾けさせながら、どんな質問にも気持ちよく答える姿が印象的だ。

 “裸俳優”とも称される彼だが、「相手と壁を作ることはないですね。心の扉が開いちゃって、閉じ方が分からないくらい(笑)。周囲から“芸能人なんだから”と言われることもありますが、誰とでもこうやって話しちゃう」と身も心も、まさに“裸俳優”。そんな原田の今のモットーは、「とにかく一生懸命にやること。一生懸命にやることが次につながる」ということ。

 「人間、どんなに生きても100歳くらいですよね。そう考えると、お金や名声に執着してもしょうがない。その瞬間瞬間を一生懸命に、楽しく生きることにこそ、意味がある。毎日必死に、悔いのないように生きなくちゃ。常に真剣勝負」と思いを巡らせながら、「仕事に関しては、頂いたものにきちんと応えたいし、それ以上のもので返したい。原田龍二ともう一度仕事をしたいと思ってもらいたいし、そのためにも一生懸命やることが大事だと感じています。“これはローカル番組だから手を抜いていい”なんてことは、絶対にない。なんだって誰かが見ているし、そうやっていくことが絶対に次につながっていく。それは、この仕事の方程式だと思います」と力強く語る。

 さらに「いつか死ぬんだと思うと、落ち込んでいるのももったいない」と持論を展開した原田だが、2019年に不倫スキャンダルを起こした時には、「やっぱり落ち込んだ」と苦笑い。

 「“なんで俺はこんなことをしちゃったんだろう”って。もちろん自分のやったことは分かっているんですよ。ただそこで、“自分がやったことで、これだけの人が悲しむんだ”ということが、初めて分かった。僕の頭の中では、そこで大改革がありました。きちんと起こしたことに向き合って、そのことによって傷つく人がいるんだと考えることで、どんどん自分が変化していった。これはスキャンダルを体験したからこそ、感じられたことです」と反省しつつ、「失敗しても人生は続く。その上で楽しく幸せに生きるためにはどうしたらいいのかということが、今の自分のテーマになっています」と現在も“修行中”だという。

 座敷童と住んでいることを明かしたYouTubeチャンネル『原田龍二のニンゲンTV』も人気で、「座敷童って、怖いものじゃないんですよ。かわいい姿だったらいいなと思いながら、一緒に暮らしています」とここでも壁を作らないボーダレス精神を発揮した彼。最後まで取材班を笑顔で見送るなど、今の原田龍二は謙虚で、目の離せない魅力にあふれていた。(取材・文:成田おり枝 写真:高野広美)

 映画『虎の流儀 ~旅の始まりは尾張 東海死闘編~』『虎の流儀 ~激突!燃える嵐の関門編~』は、9月30日より2作連続公開。

原田龍二  クランクイン! 写真:高野広美