早稲田大学名誉教授・浅川基男氏の著書『日本のものづくりはもう勝てないのか!?』より一部を抜粋・再編集し、各国と比べた日本の現状について見ていきます。

自己主張しなくなった日本人

今の日本社会では「協調性」を第一義に置いている。

それを単純化すると「個性尊重の否定」を意味している。

「社会に流されない個性が、社会に貢献する」(世界経済フォーラム日本代表:江田麻季子)のである。

日本では問題解決のために多数を集め会議をする。時間は予定を超過して議論は堂々巡りするだけ。リーダーは意見を集約しベストの解を見いだす能力に欠けるため、結局継続審議となる。

筆者の大学でも、教授会に200名ほど参加して、2時間後に何も結論がなく散会することがしばしばである。

あるとき、思い余って「教員の時間給は1.5万円、今日は2時間の会議で、学生の授業料から600万円が消え去ったのと同じ」と発言したら、ほかの教員から「仮想通貨の話をしない」と冗談でかわされてしまった。

筆者がドイツに留学していた頃、議論をして時間内に結論を出す、いや結論を出すために議論をしていた。当然、最善の答えを出す能力がある人がリーダーの条件で、その能力のない人は、会議の主催者にはならない。その背景には初等中等教育における「自立した個人の育成」がある。

つまり、自分で考え、「その思い」を皆の前で述べ、議論し、より正しい解に近づいて行くように、小学校の頃から育成されている。知識より個人の思い・独立性・自立性がその教育で優先される。ただし、慣れない日本人は、その議論のしつこさに辟易することもある。

現在でも、政治家・官僚は政策決定の責任を特定されないように「XXX……と聞き及んでいます」と主語のない答弁を滔々と続け、公文書といえども、議事録の存在を曖昧にする方向になっている。

しかし、エンジニアにはかくのごとき評論家的発言が最も嫌われるのである。

筆者が学生に課題を出して「わかりました」と回答されたとき、「教授の言うことを、とりあえず理解した」のか、「納得したので実行する」のかが判然としなかった。

多くは、「とりあえず理解した」、または「黙って頷く」姿勢で無難に当座を通り抜けようとする。

また、「君はやればできる!」とインカレッジの誘い水をかけると「私は普通でいいのです。私を買いかぶらないでください」と来る。

日本人は「普通」が好きだ。

全てのことを「普通」で通り抜ける。思いや理想を語ると、次にやっかいな第二波三波が来て、その波に飲み込まれる。それを極端に嫌う、というよりも飲み込まれることに慣れていないのである。

就職が決まった学生に「なぜトヨタを選んだの?」、英会話を学ぶ学生に「なぜ英会話を? 英語で何を伝えたいの?」との質問には、まともな答えが返って来ない。

人と違った自分独自の価値観を発信する経験が少なく、自己選択を養う目が育っていない。

学歴はともかく…「絶対につけるべき」学力

学歴はともかく、自己の「思い」を語る術としての学力は、絶対につける必要がある。

再び司馬の言葉を借りれば、

「人間はなんのために生きちょるか知っちょるか! 事をなすためじゃ、人間には志というものがある。妄執と申してもよい。この妄執の味が人生の味じゃ」

と竜馬に語らせている。

「何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

ともかく若い間は、行動することだ。

めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。

たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。

そもそもこうありたいと願うこと自体、それを現実にする力が潜在的に備わっている証拠。素質や能力がないことを、あまりしたいとは思わない」

と司馬は締めくくっている。

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浅川 基男

1943年9月 東京生まれ 1962年3月 都立小石川高校卒業 1968年3月 早稲田大学理工学研究科機械工学専攻修了 1968年4月 住友金属工業株式会社入社 1980年5月 工学博士 1981年5月 大河内記念技術賞 1996年4月 早稲田大学工学部機械工学科教授 2000年4月 慶應義塾大学機械工学科非常勤講師 2002年4月 米国リーハイ大学・独アーヘン工科大学訪問研究員 2003年5月 日本塑性加工学会 フェロー 2004年5月 日本機械学会 フェロー 2014年3月 早稲田大学退職、名誉教授 著書:基礎機械材料(コロナ社)ほか

(※写真はイメージです/PIXTA)