今年7月、東急電鉄東横線への「Q SEAT」の導入を発表した。「Q SEAT」とは東急電鉄の有料による座席指定サービスで、2018(平成30)年12月から大井町線田園都市線での運転が開始されており、東横線への導入は同社での2例目となる。近年はJR、私鉄各社で、通勤路線の有料座席指定サービスを導入する例が増えている。今回はその可能性や課題を考えてみたい。

JBpressですべての写真や図表を見る

(池口 英司:鉄道ライター・カメラマン

東急東横線でも2023年以降に座席指定サービス

 東急電鉄がまず大井町線田園都市線で「Q SEAT」の運行を開始したのは2018(平成30)年12月14日のこと。平日夜間に運転される大井町長津田行き急行列車のうちの5本で、7両編成中の3号車を料金400円の座席指定車とし、大井町~たまプラーザ間で座席指定を実施した。

 座席をロングシート(窓側を背に横並びで座るシート)からクロスシート(進行方向に向いて座るシート)へ随時転換できる車両を充当して、指定席車両にふさわしい居住性を確保している。東急は、全線が通勤・通学輸送を大きな使命とし、これまで有料特急などの運転とは無縁だっただけに、この新しいサービスの導入は利用者を驚かせた。

 2020(令和2)年6月のダイヤ改正では、大井町線「Q SEAT」を連結した列車を10本に増発し、好評だったことが証明された形となった。同社で2例目となる東横線での「Q SEAT」の運転開始は2023年度以降とアナウンスされている。まだ運行区間や料金などの詳細は発表されていないが、今後の動向が大いに注目される。

 通勤列車への有料車両の連結は最近になって始められたことではない。

 国鉄、その後のJRが運転する中距離運転の電車には早い時期から1等車(現在のグリーン車)が連結された。ことに東海道本線東京口(東京~熱海間)と、横須賀線を走る電車には必要不可欠な車両と捉えられるようになった。

JRでは「セレブ」利用で始まったとの説も

 首都圏のJRでは現在、総武線快速常磐線湘南新宿ラインなどの通勤電車にもグリーン車が連結されている(ただし、私鉄と異なりJRでは自由席としており、利用者が多い場合は席に座れないこともある)。

 もともと運転距離がさほど長いわけではない横須賀線の電車に1等車が連結されるようになった背景には、横須賀に軍港が設けられたことで、軍事施設に通う軍人、政治家などがワンランク上の客室設備を求めたという事情が語られている。真偽のほどは確かではないが、東海道線横須賀線の両路線の沿線には、今日でいうところのセレブが多く住んでいたこともあって、1等車の利用率は高かった。

 一般的には、毎日の通勤に特別料金を必要とする1等車を利用するのは限られた存在と捉えられていたが、日本経済のバブル期、平成を迎える頃からは少しずつ変わってゆく。それまでとは異なり、通勤時のグリーン車利用が、いわゆる社会の中堅層にも広がっていったのである。

 これはまさに社会のニーズの変化による現象で、追加料金を支払っても、朝夕の通勤時間帯をより快適なものに変え、仕事に役立てる時間として有効活用しようという考え方が広まった。ノートパソコンなど携行が容易なデジタル機器の普及も、その流れを強める一因になったと考えられる。

 新幹線を利用しての遠距離通勤も当たり前になった。昭和30年代、40年代にはほかに選択肢がなかった殺人的とも形容された混雑した通勤電車との決別を、誰もがより強く望むようになったのである。

 この機運に乗るようにして、各地に特急用車両を利用して運転される「通勤ライナー」「ホームライナー」などと呼ばれる通勤用列車が登場するようになった。

 小田急電鉄では1967(昭和42)年から定期券+特急券での特急列車への乗車を認め、これが今日における「有料座席指定」という考え方の始まりともされている。

小田急「ロマンスカー」を通勤輸送にも

 1999(平成11)年には夕刻以降に新宿を発車する特急「ロマンスカー」に「ホームウェイ」という愛称を与え、通勤客の利用促進を図っている。小田急ロマンスカー」といえば、かつては週末の箱根観光で主役を務める憧れの存在だったが、この車両を通勤輸送に転用したことは利用客から高評価を得て、後に運転本数を増やしている。

 今回の東急「Q SEAT」の運用範囲の拡大も、こういった流れの延長上にあるといってよい。東急を代表する路線として、輸送体系が確立した感のあった東横線での座席指定列車の運転開始は、見る者に時代の変化を感じさせるエポックとなった。

 東横線で運転される「Q SEAT」は、2022(令和4)年8月に報道公開された。使用されるのは東横線用の5050系をベースに、座席をロングシートにも、クロスシートにも転換できる仕様に変更した車両だ。これを10両編成の4号車と5号車に組み込む。

 全席指定だから利用客には混雑とは無縁の快適な空間が提供される。通勤時間をより有効に活用したいと考える利用者から歓迎されるだろう。
 
 座席をロングシートとクロスシートの2通りのパターンに随時変更できる「デュアルシート」と呼ばれる車両は、日本では1996(平成8)年に近畿日本鉄道(近鉄)が運転を開始した2610系の改造車が始まりとされる。この翌年には量産新造車の5800系も誕生した。

 広大な範囲に路線網を有する近鉄では普通列車の運用範囲も多岐なものとなる。ラッシュ時には短距離での運用に向いたロングシート車、閑散時には中・長距離の運用に向いたクロスシート車という両方の性格を有した「デュアルシート」車が開発され、その後、この意匠を備えた車両は、関東の私鉄に多く在籍するようになった。

収益増はさほど見込めない特別な車両

 首都を擁し、人口集中が甚だしい東京圏では、関西のようにラッシュ時にクロスシート車を運転することは難しい。そこでクロスシート車をあえてラッシュ時に運転し、居住性の優れたこの列車をプレミアムのサービスとする、従来とは逆の発想ともいうべき運転方法が見出されたのである。

 現在、関東では東武鉄道西武鉄道京王電鉄で「デュアルシート」車を使用しての座席指定列車が運転されており、いずれも一定の成果を見せている。

 それでは有料での座席指定列車を運転するメリットは、どのようなところにあるのだろうか。

 まず思い浮かぶのは、特別料金を徴収することによる売り上げ増だ。しかし、鉄道事業者にとっては、これを列車運転の第一義とすることは考えづらいようにも思える。利用客1人当たりの1回の利用料金は数百円程度であり、これに1列車あたりの利用者数と、列車の運転本数を掛け合わせてみても、それが鉄道事業の総売り上げの中でどれほどの割合を占めているのかといえば、さしたるものとはならないだろう。

 鉄道における運輸が最大に効率的になるのは、均一化されたサービスが間断なく持続されたときで、イニシャルでも、ランニングでも特別なコストを要する規格外の車両の運転は、この原則に反することになる。

 実際、東急大井町線で「Q SEAT」停車時の駅での対応を見てみると、座席指定サービスの運用上の非効率さがよくわかる。電車が到着すると、「Q SEAT」の車両はホームドアを1つだけ開放し、ほかのホームドアには「ここからはご乗車できません」と書いたシートを掛けて、乗車できないよう塞いでいる。

 そして係員が開放したホームドアの横で指定券のチェックする。こうした手間や人件費を考えれば、利益への貢献はさほどのものとは思えない。

 また、通勤車両の編成中に、指定席車両を組み込めば、その前後の車両の混雑度を高めることになり、それが駅施設の負担増などに結び付く可能性もある。

「スシ詰め」回避の選択肢を用意

 では、そのようなデメリットが考えられることを承知の上で、なぜ多くの鉄道会社が有料での座席指定という新たなテーマに取り組んでいるのか。

 それはまず、自社路線の利用客に対し、魅力的な選択肢を用意していると認識させるためであろう。毎日必ず「スシ詰め」の電車に乗らなければならないと考えるのは憂鬱なことだが、少し工夫をする、すなわち追加の料金を払えば、これを劇的に改善できるのであれば、利用客にとって魅力的な選択肢となる。これまでに特急車両を通勤輸送に転用して成功した事例が証明している。

 この潮流は今後しばらくの間続くと考えられる。少子化による人口の減少がなお続き、今回のコロナ禍という大きな災害は、テレワークの普及といったビジネススタイルの変化を促進する副産物を生んだ。

 その結果として鉄道の通勤輸送も、昭和中期のような、とにかく数多く運びさえすればいいというスタイルでは認められない時代となっている。

新しいスタンダードか、時代のあだ花か

 昭和後期以降の通勤電車が、冷房装置を備えていなければ利用客から敬遠されたように、座席指定を設けない列車は敬遠される時代が訪れる可能性は高い。そう考えると、座席指定を視野に入れて開発される通勤形車両が、これからも各路線で増備されることになるだろう。

 もちろん課題も残されている。

 ハードの面では、現在の「デュアルシート」車のスタイルが成熟したものとはまだ言えない。車両1両あたりの定員も、現行が最適であるのかどうか、検証が必要であるように思われる。

 ソフトの面では、例えば料金設定にしても、まだ結論が出ていないだろう。さらに、座席指定のために支払った数百円という料金が、列車が大幅に遅延したり、ダイヤの乱れによって運転が途中で打ち切られたりした場合、どういう扱いになるのか。利用客に理解されているとは言えない。

 新しいサービスの提供は魅力的だが、運用のされ方によっては、利用客と鉄道事業者の「双方一両損」となってしまう可能性もある。これらの課題は、今後多くの事例を積み重ねることによって解決していかねばならないだろう。

 鉄道の歴史を振り返ってみると、利用客に歓迎されるべく登場した斬新なアイディアが、結局は所期の目的を果たすことなく消えて行った事例はあまりにも多い。21世紀に広がった、通勤車両における有料座席指定という発想が新しいスタンダードとなるのか、それとも一過性の出来事で終わってしまうのか。それは、鉄道事業者の対応力、柔軟な姿勢にかかっているのかもしれない。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  駅のホームドアはどこまで広がるか、事故防止に有益だがハードルも

[関連記事]

超音速旅客機「オーバーチュア」は本物なのか?コンコルドの失敗から考える

存廃問われるローカル線、「BRT」は鉄道に代わる交通手段になれるのか

進行方向に向いて座るクロスシートに転換できる車両を使い、通勤電車でも必ず座れる有料の座席指定サービスが広がる(写真:池口英司)