「タフガイ」とは裕ちゃん(石原裕次郎さん)のニックネームです。足が長くて、ちょっと恥ずかしそうな笑顔。愁いのある声。慎太郎刈りのヘアースタイル。どこをとっても、かっこいい。しかも、慶応ボーイ。銀座では、小学校に上がる時、泰明か慶応じゃないと、もぐりと言われている。

六大学野球の早慶戦のあと、早稲田は新宿、慶応は銀座。勝っても負けても、提灯を持った慶応ボーイが、家の横の道をびっしり埋めて、ワイワイ歩いている。2階の窓の手摺りから、あきずに見ていた。だから裕ちゃんは銀座に縁がある、と、勝手に決めつけている。

裕ちゃんと初共演したのは、『銀座の恋の物語』だ。なんと企画はターキーさん(水の江滝子さん)。ターキーさんがスカウトした裕ちゃん、ルリちゃん(浅丘ルリ子さん)、私が勢揃い。と言っても私、14才。入社6本目の映画で、タイトルの名前の脇に「新人」とただし書きがある、ターキー組でーす。脚本は熊井啓さん。助監督さんだが身体を壊し、ターキーさんの作品の脚本をかなり書いていた。助監督は西村昭五郎さん。二人とも後に、有名な大監督になるとは、この時微塵にも思わなかった。

いよいよ撮影開始。地元の銀座ロケ。しかも泰明のお向かいの路地。この辺は同級生がいっぱい住んでいる。「みんな見てえ。今、泰明の前で、裕ちゃんと撮影してるのよお」と、心で叫びながら撮影した。ロケはアッという間に終了。早朝だったせいか、誰も見に来なかった。がっかり。この映画のタイトルバックが、なんと家の前の三原橋で裕ちゃんが人力車を引く場面。心がアドバルーンのように膨らんで、空に飛んでゆきそうだった。私の役は見習いのお針子。森英恵さんのお店がモデルで、トップのお針子がルリちゃんです。やっぱり大人に見えるように夜会まき。なんと黒ぶちの眼鏡をかけた。裕ちゃんにワクワクしているうちに、クランクアップした。

日活映画は、なんとお正月休みがあった。裕ちゃんは、休暇をハワイで過ごした最初の映画スターだ。すごい。羽田の国際線ターミナルから、飛行機に乗ってハワイへ行く。信じられない。親戚が飛行機八丈島へ行くのに、送迎デッキで幟をたてて見送った時代に、裕ちゃんはハワイである。かっこいい。ますます大好き。

日活撮影所には、長い二階建ての立派な俳優会館がある。一階は製作スタッフの部屋。二階が俳優さんの控え室と、技髪(ぎはつ:男優さんのメイク室)、結髪(けっぱつ:女優さんのメイク室)、衣装部がある。昼間の長い廊下は電気を消していることが多く、端と端の階段の大きな窓から光が差し込んでいる。

ある日、その光の中、裕ちゃんがこっちへ歩いてくる。スキーの骨折以来、ちょっと足を引き摺って歩く、裕ちゃんウォーク。「あっ、裕ちゃんだ」急に恥ずかしくなって、すぐ横の部屋に隠れた。なんと裕ちゃん、その部屋に入ってきた。「チビ、なにしてるの」「えっ」よく見たら、男子トイレに隠れてしまった。やっちまった。大失敗。裕ちゃんは私を「チビ」と呼んでくれた。いつも私の頭に掌を乗せて、ヒョイっと持ち上げて「チビ、大きくなあれ」とやってくれた。やだあ。もう。たまらない。最高。

裕ちゃんとエイメイさん(二谷英明さん)は決して、偉い人、偉くない人を作らせなかった。俳優さんは皆平等と、近代的なシステムを導入した。お陰様で、いじめもなく、明るくて、困った人がいると、寄ってたかって助けたりした。まるで学園広場のようで、ちょっとでも空き時間があると、中央の芝生に集まって、ワイワイガヤガヤ。和気あいあいで、毎日が本当に楽しかった。裕ちゃん、エイメイさん、ありがとう。

裕ちゃんは病気になっても、かっこいい。亡くなっても、かっこいい。私も裕ちゃんみたいになれるかなあ。あっ、大丈夫。奥さんの北原三枝さんの本名がまき子さん。初代マコちゃん。二人ともマコちゃんだもん。じゃあ、またね

連載7 裕ちゃんとマコちゃん