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 脳は記憶を思い出すたびに、その記憶を少しずつ変化させているという。まるで画像編集のフィルターをかけるかのように、過去の経験を思い出すたびに記憶は更新される。

 しかも脳は意図的ではなく勝手にフィルターをかけてしまうのだ。その為、元の記憶と今の記憶は完全に一致することはないのだが、逆にこの特性を利用し、良い(ポジティブ)な記憶を活性化させ、悪い(ネガティブ)記憶を減らすことができるという。

 ボストン大学の神経科学者、スティーブラミレス氏はマウス実験で、ポジティブな記憶とネガティブな記憶がどこに、どのように保管されているのか解明し、脳細胞を操作して悪い記憶を書き換えることに成功したそうだ。

【画像】 良い記憶と悪い記憶は物理的に全く異なる

 「記憶は、過去の映像記録というよりも、再構築的なものです」と、ラミレス助教は話す。だからトラウマや恐ろしい記憶であっても、再構築することで辛さを緩和することができるという。

 できれば忘れたい記憶を治療するうえで一番重要なことは、ポジティブな記憶(良い、幸せな記憶)とネガティブな記憶(悪い、嫌な記憶)が脳のどこに存在し、それらをどのように区別するのか理解することだ。

 記憶は脳内のさまざまな場所に保存されているが、1つ1つの記憶自体は「記憶痕跡(エングラム)」という細胞のネットワークとして存在する。ラミレス助教らが注目するのは、記憶をつかさどる「海馬」にある記憶のネットワークだ。

 『Communications Biology』(2022年9月26日付)に掲載された研究では、良い記憶と悪い記憶の分子的・遺伝的差異をマップ化し、両者がさまざまなレベルで大きく違うことを突き止めている。

 それによれば、良い記憶と悪い記憶は物理的にまったく異なっているのだという。

[もっと知りたい!→]睡眠中のマウスにニセの幸せな記憶を植え付けることに成功(フランス研究)

 なにしろ良い記憶と悪い記憶の細胞は、ほとんどあらゆる点で違う。海馬内での保管場所も違うし、他の細胞とコミュニケーションするための経路も違う。さらに分子レベルのメカニズムまで違うらしいことがわかっている。

 ラミレス助教は、「つまり脳内にはポジティブな記憶とネガティブな記憶を区別する分子レベルの基礎があるのです」と説明する。

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これはマウスの脳内の記憶そのものを映した画像だ。青い点は「良い記憶」を保持する細胞、赤い点は「悪い記憶」を保持する細胞。記憶は「記憶痕跡(エングラム)」という細胞ネットワークとして脳内に保管されている/Credit: Stephanie Grella

良い記憶を活性化させると、悪い記憶が書き換えられる

 良い記憶と悪い記憶の違いを観察するには、「光遺伝学(オプトジェネティクス)」と呼ばれる手法を使う。

 たとえば、あらかじめ光に反応する受容体を細胞に仕込んでおけば、レーザーを照射して人工的に活性化させることができる。

 また光に反応する蛍光タンパク質を仕込んでやれば、良い記憶と悪い記憶を色分け(前者の細胞ネットワークを青に、後者を赤になど)することもできる。

 『Nature Communications』(2022年9月12日付)に掲載された研究では、これを利用してマウスの悪い記憶を書き換えることにまで成功している。

・合わせて読みたい→嫌な記憶を消し去りたい?この方法ならいけるかも(米研究)

 そのためにはまずマウスに新しい記憶を作ってやらねばならない。

 たとえば美味しいチーズをあげたり、仲間と交流させれば良い記憶ができるし、足に軽い電気ショックを与えてやれば嫌な記憶ができる。

 次に、マウスにその悪い体験を思い出させると同時に、良い記憶を活性化させる。すると、良い記憶が悪い記憶を塗り替えて、それによる恐怖心が緩和されることが確認されたのだ。

 嫌な思い出を緩和するには、良い思い出を使うのが一番効果的だが、中立の記憶(たとえば退屈な経験)を活性化したり、海馬全体を活性化したりしても、同じような効果を得ることができるという。

 この研究の筆頭著者であるステファニー・グレラ氏は、「どんなタイプの記憶とも結びついていない細胞をたくさん刺激してやれば、恐怖記憶を混乱させることができます」と説明する。

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赤い細胞はマウスが体験した恐怖の記憶。良い記憶を活性化してやると、赤い細胞が青く変化する。つまり記憶が書き換えられ、恐怖が薄れることが確認された/Credit: Stephanie Grella

うつ病やPTSDの治療に有効利用できる可能性

 こうした発見を治療に役立てることも出るかもしれない。

 たとえばグレラ氏によると、経頭蓋磁気刺激法や脳深部刺激法といった侵襲的な方法で海馬を刺激すれば、将来的に重いうつ病PTSDを治療できるようになるという。

 また幻覚剤や違法薬物などを使った実験的な治療の研究が増えていることも指摘する。

 たとえば、2021年の研究では、適切な量のMDMAを投与すると、重度のPTSDを緩和できることが判明した。

 「ここでのテーマは、報酬と良いことを利用して、過去の嫌な要素を書き換えること」と、ラミレス助教は話す。

 「内容は似ていますが、ネズミではなく人間が対象です。ネズミでは良い記憶を人工的に活性化しましたが、人間ではMDMAの投与でトラウマの記憶が書き換えられるか確かめられました」

 (なお、この種の実験は、きちんとした専門家の監修の下で行われている。絶対に自分で試そうなどと思ってはいけない)

 ラミレス助教は、こうした研究が神経科学をさらに押し広げるだろうと期待する。将来的には医学に革命を起こすような常識にとらわれないアイデアも登場するかもしれないとのことだ。

References:Unlocking the Power of Our Emotional Memory | The Brink | Boston University / written by hiroching / edited by / parumo

 
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良い記憶を活性化させることで嫌な記憶を書き換えることに成功