囲碁界の第一人者はみな「小学生デビュー」

 9月1日付で世界最年少の9歳(小学3年生)でプロの囲碁棋士となった藤田怜央初段に続き、12歳(小学6年生)の柳原咲輝さんも来年1月からプロとしてデビューすることが日本棋院から発表された。なぜ小学生棋士が次々誕生するのか。その背景を探ってみたい。

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 まずは、これまでのプロ入り年少記録(日本棋院所属)を紹介しよう。

仲邑菫二段/10歳0カ月(英才特別採用・2019年入段)
藤沢里菜女流本因坊/11歳6カ月(女流試験・2010年入段)
趙治勲名誉名人/11歳9カ月(1968年入段)
林海峰名誉天元/12歳10カ月(1955年入段)
井山裕太名人/12歳10カ月(2002年入段)

 この5人はいずれも小学生でプロ入りを決めている。井山裕太名人(33)は前人未到の七大タイトル同時制覇を2度も達成し、国民栄誉賞を受賞。現在も四冠(名人、本因坊、王座、碁聖)を保持する囲碁界の第一人者だ。今年5月には本因坊11連覇というタイトル連覇新記録を樹立した。

 それ以前の本因坊10連覇の記録保持者は趙治勲名誉名人(66)だ。初のグランドスラム(七大タイトル制覇)を達成するなど、一時代を築いた。

 林海峰名誉天元(80)は13年前に当時20歳の井山名人に破られはしたが、最年少記録の23歳で名人を獲得して以来、息長く各種タイトル戦で活躍してきた。通算1400勝は趙治勲名誉名人に次ぐ記録。世界チャンピオンにもなっている。

 藤沢里菜女流本因坊は、まだ24歳ながら21タイトルを獲得。その中のひとつは、若手棋戦の「若鯉戦」。有望株の若い男性棋士を破って女性初の優勝を遂げるなど、現在も一流棋士として活躍中である。

 そして10歳でプロ入りして大きな話題となった仲邑菫二段(13)はこれからの活躍に期待されているが、小学生デビューした棋士は皆、時代の第一人者になっている。囲碁界において早熟であることは才能の証である。若い年齢でプロの実力を備えられる才能があれば、大いに将来性が見込める。

プロ入りに「特別採用枠」が設けられたワケ

 仲邑二段は、彼女のプロ入り時に新設された「英才特別採用推薦棋士制度」で棋士になった。一般的にプロ試験は総当たりリーグ戦で行われるが、「英才特別採用」は小学生対象で、タイトルホルダーナショナルチーム関係者の審査などでプロ入りが決まる。

 なぜこうした特別採用枠が設けられているかというと、国内戦だけの将棋と違い、囲碁には世界戦があることが影響している。

 世界で戦える最高レベルの棋士を育てることは、囲碁界の使命になっている。20世紀は世界トップの地位にあった日本も、現在は中国、韓国の後塵を拝して3番手に甘んじる。「世界ナンバーワンに返り咲きたい」──これは日本囲碁界の悲願なのだ。そこでひとつの方策として、才能ある子ども(小学生)は早くプロにさせて鍛えようと「英才特別採用」を新設した。

 仲邑二段が今後どれだけ伸びていくのか。成果が出るのはこれからだが、早くも女流タイトルに挑戦したり若手棋戦(非公式戦)で優勝したりするなど、順調な成長ぶりを見せている。藤田怜央初段も、関西棋院の「英才特別採用」第1号。関西でも同様に天才児をプロにする制度を設立したのだ。

 柳原咲輝さんは「女流特別採用推薦」でプロ入りを決めた。これは、女性棋士を増やそうという施策のもと、プロを目指す養成機関「院生」での成績などを加味し、院生師範全員の推薦で決まる制度だ。柳原さんは今夏にあったワールドユースで強豪の男性棋士に勝ち、女性で初めて決勝に進んだ実績も認められた。国際戦で強いのは大きな魅力である。

 小学生の棋士が誕生するということは、当然それより前、かなり年少のうちから碁を始めなければならない。昭和の時代は、囲碁を打つのは大人、それも年配の男性がするというイメージが付いて回っていた。碁を打つ子どもは珍しく、才能のある子どもは棋士に見いだされ、住み込みの弟子になってプロを目指すというケースが多かったが、それではプロ入りが遅れ、海外の若手が台頭する世界戦では太刀打ちできない時代になった。

中国・韓国の勢いに危機感を抱いたレジェンド棋士たち

 中国、韓国など海外の勢いにいち早く危機感を抱いたのは、故・藤沢秀行名誉棋聖だった。昭和36年の第1回日中交流戦から訪中するたびに中国が大きく変わっていくさまを目の当たりにした。藤沢名誉棋聖が「遠く中国から馬蹄の響きが聞こえる」と日本の囲碁界に警鐘を鳴らしたのもこの頃だった。

 日本アマ棋戦の優勝20回以上を数えるレジェンドアマチュアの故・菊池康郎名誉アマ本因坊も日中交流に参加し、若い世代の急速な発展と熱気を感じていた。そこで、日本でも若い世代を育てる場を作らなければと大企業を退職し、囲碁を通して子どもに人間力をつける囲碁塾「緑星学園」を設立。多くのタイトルを獲得している山下敬吾九段や青木喜久代八段ら20人以上の棋士を育て上げた。

 そして、「若き才能を見つけて世界で戦える棋士を育てたい」という先人たちの思いを継承したのが、藤沢名誉棋聖の息子・藤澤一就八段(58)と、韓国出身の洪清泉四段(40)だ。

 藤澤八段は2000年に「新宿子ども教室」を開いた。コロナ禍前には200人もの子どもが通うほどの賑わいを見せ、囲碁を習い事として定着させるとともに、裾野を広げつつプロ志望の子どもたちを鍛えた。

 これまでの囲碁界だったら「本人がやる気を出さなければ強くなれない」と考え、自主的な研究姿勢を重んじてきた。しかし、藤澤八段は「やる気が出るのを待っていると、年齢的に遅くなってしまう」と話す。そのため、才能のある子どもには積極的に声をかけて教室や道場に来させる方針を採った。

 現在、同教室出身の棋士は13人を数えるが、中でも早くから才能を見込んだ関航太郎天元(20)、上野愛咲美女流立葵杯(20)、広瀬優一六段(20)の同級生3人は6歳から鍛えてきた。その結果、関天元はワールドユースで優勝したのちプロ入りし、20歳で七大タイトルのひとつ、「天元」を獲得した。広瀬六段は新人王を奪取。上野女流立葵杯は4月に初めて女流世界戦で優勝するなど成果は確実に実を結び始めている。

トップ棋士を次々排出する洪清泉四段の「提言」

 洪清泉四段は世界アマチュア選手権で対局して出会った菊池名誉アマ本因坊に大きく影響され、世界で戦える日本の子どもを育てようと2005年に「洪道場」を開設した。その後、自身も関西棋院の棋士となる。

 子どもたちのやる気を引き出しつつ、徹底的に囲碁の基礎を教える洪道場からは一力遼棋聖、芝野虎丸九段、藤沢里菜女流本因坊らトップ棋士を含む26人の棋士を輩出している。柳原咲輝さんは、洪道場27人目の棋士だ。

 20年近く子どもたちを育ててきた洪四段は、「『ヒカルの碁*注で碁を身近に感じた世代が親世代になって、囲碁に対して理解がある親が多くなってきました。また、子どもに早く好きな道を見つけて進ませたいと考える親も増えてきたことで、子どもたちの棋力も上がってきました」と話すが、それでも世界1、2位の中国、韓国に比べてまだまだプロを目指す子は少ないという。

*注:1999年~2003年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された囲碁を題材とした少年漫画。棋士の吉原(旧姓・梅沢)由香里六段が監修を務めた。コミックスは世界中で出版され、累計発行部数は2500万部。テレビアニメにもなり大ヒットした。

 ただ、年少から棋士にさせるのであれば、プロ入り後の成長にも心を配ることの重要さを洪四段は力説する。

「プロにさせたあとも碁を勉強する環境を作って、フォローすべきです。ある程度の年齢になれば自分で研究できますし、結果が出なければ自己責任として反省もできますが、小学生はまだひとりでは成長できません。勝手に強くなることはないのです」

 そこで、週に2、3日、日本棋院に集まって勉強できる環境づくりの必要性を訴える。ナショナルチームは現在でも月に1回対局したり年末に合宿などを行ったりしているが、それではまったく足りないのだという。

 一力棋聖は藤沢女流本因坊とともに若手有望株の福岡航太朗三段(17)や仲邑二段を鍛える研究会「いち研」を開催している。若い世代を育て上げる大切さは、一力棋聖も藤沢女流本因坊も自らの経験から十二分にわかっている。洪四段はこのような取り組みを日本棋院がもっと重視してサポートすべきだと訴えている。

 もっとも、今は誰でも囲碁AIが使え、これまでのように師匠や先輩から教わらなくてもひとりで研究できるような時代になったが、洪四段はAIによる研究には限界があると断言する。

「AIはその人の気持ちになって考えてはくれません。人なら『あなたはこういう意味で打ったのでは?』などと寄り添い、相手の様子を見ながら言葉を選んでアドバイスができます。AIはあくまで補助的なツールであって、特に子どもの指導は人がやることが大事です」

 さらに、洪四段は現在の「英才特別採用」の仕組みもブラッシュアップさせるべきと説く。プロにさせるだけではなく、「〇歳までに〇段になる」などのミッションを与え、ある程度プレッシャーをかけることが成長につながると考えている。

 また、小学生だけの“英才枠プロ試験”を行うべきだと訴える。特に男子は10代後半の年長者が強く、小学生が試験を突破するのが困難な状況にある。「英才特別採用」枠には現在でも10人近くの小学生が該当する実力があるそうだが、そこで小学生までのプロ試験があれば確かに公平だ。

藤田怜央初段、柳原咲輝さんの将来性は?

 さて、来年プロデビューを果たす柳原咲輝さんの活躍が今から楽しみだが、彼女は父親がアマ六段、母親がアマ四段と囲碁に理解ある家庭に育った。親は東京転勤になった際、娘のために敢えて洪道場の近くに住居を決めた。学校にも事情を説明して碁に集中できる環境を作ったという。

 プロ入りの記者会見で柳原さんは「仲邑菫さんのライバルと言われるようになりたい」と意気込みを見せたが、実際のところはどうなのか。師匠である洪四段の見立てを聞いてみた。

「咲輝は朝から晩まで、真面目に精一杯勉強しているので、おそらく中学2年のころから活躍し、菫のライバルと言われるのは中学3年頃ではないかと思います。これからも毎日欠かさず勉強すれば、高校1年になる歳には、里菜のようにタイトルを獲る可能性が高いと思います」

 藤沢女流本因坊のような活躍が期待できるというのだから、心強い。一方、藤田怜央初段も最初は大変だが、1年ほどでプロの水に慣れてくるのではないかと洪四段は期待を寄せる。

「怜央は幼すぎるのが心配ですが、詰碁ができるし、なにより囲碁が好き。これまでのように碁を一生懸命やる姿勢を維持できれば、これからどんどん伸びていくと思います」

 井山名人、芝野九段が初めて名人に挑戦したのが19歳。藤田初段はそれより早く、15歳くらいからタイトル戦に出てくるのではないかと洪四段は予想する。

世界ナンバーワンの地位を奪還するために

 このように世界一の座を奪還するという最重要課題のもと、日本棋院、関西棋院は若き才能を見つけ、早くからプロにさせる「英才特別採用推薦棋士制度」を作った。そして、菊池康郎名誉アマ本因坊に続き藤澤一就八段、洪清泉四段らがいち早く子どもを育成する場を作り、裾野を広げてきた。その結果、仲邑菫二段に続く天才、藤田怜央初段や柳原咲輝さんが出てきた。そして、今後も活躍が期待される子どもが続々と控えている状況だ。

 これまで囲碁界はプロのライセンスを与えたら、その後は自分で強くなるのが当たり前の世界だった。しかし小学生を通常の試験を通さずにプロにするのであれば、プロ入り後の環境づくりも大切だ。子どもは放っておいては成長が難しいのだ。

 世界と互角に戦うためには、まだ囲碁界全体で取り組まなければならない課題が山積している。中でも若い才能を伸ばすことに注力することが、ひいては、世界ナンバーワンの地位を奪還することにつながるはずだ。変革を恐れてはいけない。

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対局中の柳原咲輝さん(右)/写真提供:洪清泉四段