代替テキスト
「イエ中心主義」は安藤さんが名付けた

「この本は、けっして自民党批判ではなく、もっと大きな日本社会が抱えている女性に対する認識への批判であり、問題提起なんです。ただ、その「女性認識」を作り上げてきたのが、長い間、政権与党であった自民党ですよね、ということ」

こう語るのは、キャスターでジャーナリストの安藤優子さん(63)。

世論の反対も大きいなか、9月27日火曜日に行われた安倍晋三元首相の国葬や、旧統一教会と政界との癒着が大きな社会問題となるなど、なにかと自民党の存在に注目が集まるいま、7月に出版された安藤さんの著書『自民党の女性認識「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)が話題だ。

「私自身が報道の世界で働いてきた40年以上を振り返っても、どうしてこの世の女性認識がこんなに変わらないんだろうと思ったり、そもそも、なぜ日本の女性議員が少ないんだろうという素朴な疑問があって、そこが出発点。

女性に対する目線や価値観など曖昧模糊としたものを、自分が学んできた社会学のアプローチから可視化しようとしていくなかで、それらが、いかに日本の社会に深く根付いているかが明らかになり、さらには、そのことが女性議員の少なさにも通じているんだと、そこに行き着いたんです。

なんと、自民党が戦後から長い間、自分たちの保守の政治指向を維持していくなかで、女性の役割も決めていたのです」

■「イエ中心主義」=「女は家に閉じこもって良妻賢母をやっていればいいじゃないか」

300ページを超える同書は、なぜ女性議員が少ないかや二世議員が好まれる理由、また自民党選択的夫婦別姓を拒む背景には、彼女の造語である「イエ中心主義」が日本社会に根強くはびこっているからなど、政治に関する疑問が綿密な研究と取材から明快に説かれている。

「『イエ中心主義』を簡単に言えば、女性を一個人として認識するのではなく、『女は家に閉じこもって良妻賢母をやっていればいいじゃないか』ということ。自民党が、そうした価値観を、この世の中に政党の戦略として植え付けてきたんだという事実を、この本を通じて世に問いたいと思いました」

■安倍家、麻生家、小泉家……私は自民党を「ぼくちん政党」と呼んでいます

「今の第二次岸田政権でも、残念なことに、女性閣僚はわずか2人。一方、全方位的に各派閥にものすごく配慮した、いわゆる派閥順送りの人事がなされています。

派閥に世襲。選挙となったときに、日本の社会って、すごい好きですよね、世襲、二世議員。

パパが政治家だった、おじいちゃんも政治家だったという、家名に連なるもの。安倍家、麻生家、小泉家……。

私は、それを「ぼくちん政党」と呼んでいます。自民党は、ぼくちんや坊ちゃんばかりなんです。一方の野党は、不満をつのらせる「おれっち政党」かもしれませんが。

あと、地方などでは、名士の子供が選ばれやすいわけですよ。たとえば学校法人や幼稚園を経営していて、寄付などを通じて自民党の県連とコネクションがあったりする。いざ選挙となったとき、親の自分はなれなかったけど、名士の息子が議員になるという、これもまたイエ中心主義の表れ。 当然、この世襲や二世が選ばれるときも、男性優位は変わりません。少し前の話になりますが、’12年に安倍元総理が政権の座に返り咲いたときに掲げていたのが「女性が輝く社会」でした。しかし、それを実行するエンジンである国会議員に、女性が1割もいないというのは、どういうこと!? まるでギャグやコントのようですよね」

■3年間、抱っこし放題していたら、女性の職場でのポジションはなくなってしまう

「女性が輝く」政策に続いて安倍政権が翌’13年に提示したのが、女性の育児休業を3年間とする「3年間抱っこし放題」政策だった。

「3年間、抱っこし放題していたら、女性の職場でのポジションはなくなってしまいますよ。現場を知らない人が政策を作ったなぁ、と。この政策はまもなく封印されましたが、安倍政権だけでなく、自民党がやってきた女性政策というのは、実は女性を労働力として社会に戻す経済政策なんですね。

具体的に言いましょう。日本は待機児童の解消など、女性が働くために子供を預かる政策に対して非常に力を入れてきました。一方、働いていないお母さんが、自分の時間を取り戻したいとき、保育園は預かってもらえません。わがまま、ぜいたくで切って捨てられる。

私が言いたいのは、母でもない、妻でもない、娘でもない、その個人に立ち返れる支援をするのがジェンダー政策であって、母親が働くための支援は経済政策なんです。

その二つをごっちゃにしてるから、「女性が輝く」なんて、わけのわからない政策の名前にしちゃったんですね。一人の人間へのレスペクト(尊敬)を欠いてしまった社会は、どう考えても、いびつだと思います」

■森さんの発言の「わきまえる」というのは「出すぎたことをするな」という意味

最近も、女性の尊厳をめぐって社会的議論が巻き起こった。きっかけは、’21年2月の東京五輪パラリンピック組織委員会での森喜朗会長(当時)の、女性に対する、いわゆる「わきまえる」発言だった。

「わきまえるとは、森さんの発言をもっと簡単に翻訳すれば、「出すぎたことをするな」ですよ。

その会議に同席していた女性たちは笑っていたということですが、私自身、そういう男社会の中でキャリアを積んできて、同様の体験をしている。そういう発言を、私たちは愛想笑いで聞き流してきた世代なんですね。

特に政治の世界では、男性たちが一生懸命に作ってきた世界がある。私は「ボーイズクラブ」と呼ぶんですが、その牙城があって、それが今の現状なわけです。

’21年秋の衆議院選挙でも、当選した女性の比率は9.7%で1割を切っていた。ですから、女性が個人として立候補して議員になるという図式は、簡単には成立しないわけですよ」

■政治と市民の生活が乖離しちゃっているから、宗教団体が入り込んでくる

「人が個として評価される社会を考えたとき、やっぱり違和感を持つのは、あの「女性が輝く社会」のフレーズです。それって、輝かないと存在価値がないみたいじゃないですか。「一億総活躍社会」もそう。十把ひとからげにして、みんな同じになろうねで、個人の価値観を認めようとしないところに、私はすごく腹が立っているわけです。

夫婦別姓も、これは選択的ですよ。そうする自由が欲しいと言っているだけなんです。私自身、仕事は別姓でやっています。

これも、自民党の議論のなかではイエの問題として出てくるんです。別姓では「イエが壊れる」。今までの価値観、家庭というものの姿が壊れる、と。だって、もう壊れていないかと。いつまでも、パパとママがいて子供が2人というのが標準家庭じゃないですよ」

安藤さんは言う。「私たち有権者も、意識変革すべきときがきている」と。たとえば昨今の旧統一教会問題の解決を、政治家だけに委ねていていいのだろうか。

「政治と市民の生活が乖離しちゃっているから、こんなかたちで宗教団体が入り込んで、選挙でボランティアしたり、いっぱいポスターを張ったりしているわけです。

ノルウェーでは、選挙のときに「選挙小屋」が現れます。町中に各政党がカフェのようなちっちゃなテントを作って、そこでドーナツを食べながら公約のチラシを読んだり、立候補者と気軽に対話できる。

普通の生活のなかに政治が入り込んでいる「場」を作らないと、いつまでも特別な人がやる特別な職業でしかなくなり、政治家はどんどん偉そうになる。

女性が選挙に出て、なおかつ議員として活動するためには、議員を選ぶ私たち有権者の側の意識が変わらないとダメなんだと思います」

■罰則を伴う男女候補者均等法を作って、選挙をやってみたらいい

女性が政治に関わろうとするとき、自民党主導の現状のままでは実現も困難であろう。ここは具体的に女性候補者や女性議員を増やす制度の整備が必要ではないか。

’18年に政治分野における男女共同参画推進法が施行されましたが、あくまで理念法であり、候補者を均等にしようという努力義務で罰則もないんです。私が提唱しているのは、1回目は議員立法でもいいから罰則を伴う候補者均等法を作って、選挙をやってみたらいいと思うんです。男女の候補者を同数にしてほしいというのは、せめてスタート地点では同じ条件で立たせてね、ということ。

ただね、これを言うと、意外にベテランの女性議員たちから、

安藤さん。能力次第なんだから、女性、男性にこだわることはないのよ」と、反対の声が出たり。彼女たちは、実力で男性のなかでたたき上げてきた実績があるからですね。対して若い世代は、「やってみよう、やってみないとわからないですよね」の人も多い。だから、できれば自民党を中心に超党派の若い女性議員たちが声を上げて、選挙の制度から変えていくことに、私は大いに期待しています」

【後編】安藤優子「日本の女性たちよ、“わきまえないオンナ”になろう!」へつづく