1970年に「生命科学」という分野の創出に関与し、早稲田大学大阪大学で教鞭をとった理学博士の中村桂子氏。生物を知るには構造や機能を解明するだけでなく、その歴史と関係を調べる必要があるとして「生命誌」という新分野を創りました。そして、「歴史的文脈」「文明との相互関係」も見つめ、科学の枠に収まらない知見で生命を広く総合的に論じてきました。科学者である彼女が、年齢を重ねた今こそ正面から向き合える「人間はどういう生き物か」「人として生きるとは」への答えを、著書『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)として発表。自身が敬愛する各界の著名人たちの名言を交えつつ、穏やかに語りかける本書から、現代人の明日へのヒントとなり得る言葉を紹介します。

自分の文章が試験問題に採用され太宰の文と並ぶことに

ところで、勉強のことを考えていたら、「試験問題としてあなたの文章を利用したい」という依頼の手紙が来ました。

毎年あることなのですが、今回は私の文が太宰治のものと一緒に使われると書いてあってびっくり。そこにあった太宰の文はこれまでに読んだことのないもので、しかも勉強と考えることとのつながりをみごとに示すとてもすばらしい文でした。

何かを考えている時に、たまたまそれと関わることが起きて驚くということはよくあります。今回もまさにその例で、生きていると何が起きるかわからないものだと思いました。そこで、少し長いのですが、太宰の文を引用します。

主人公である中学生の「僕」が、お世話になった黒田先生のことを書いています。

[引用]

「もう、これでおわかれなんだ。はかないものさ。(中略)きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。

日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。

覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。

カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。

君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」

すこし青い顔をして、ちっとも笑わずに、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。(「正義と微笑」『パンドラの匣』新潮文庫所収)

[引用終わり]

教室の様子が映画の一場面のように目の前に広がり、ジンときます。

名詞「カルチュア(文化)」の語源となった動詞

黒田先生の言葉を清兵衛の言葉に重ねると、勉強してすぐに何かに役立てようなどと思わず、勉強ってすばらしいと思いなさいと言っているのだということがよくわかります。その通りであり、一つ一つ解説する必要なしですね。

ただ、「カルチベートされる」という言葉についてはちょっと考えたいと思います。ここからカルチュア、つまり文化、教養という言葉が生まれたのであり、この言葉を英和辞典で引くと「品性や才能を高める、磨く」と書いてあるところを意識して先生は話されたのでしょう。

とても大事なことですが、ただ、私のように生きものを研究している者がカルチベート(cultivate)と聞くと、まず頭に浮かぶのが「耕す」、次いで「栽培する」なのです。

辞書にもこちらの方が先に書いてありますので、本来は土を耕すから始まって、人間も耕して教養を身につけるようにするという意味に転じていったのでしょう。

これはとても大事なことなのではないでしょうか。私たちが土地を耕し、そこでイネやコムギなどの穀物やさまざまな野菜を育てる農業を始めたところから、他の動物とは異なる文化、文明を持つ人間としての生活が始まったのです。

文明はどんどん進み、今や多くの人が空調されたビルの中でコンピュータに向かって仕事をし、子どももスマホが一番身近な道具という時代になりました。

多くの人が自然と接することのほとんどない一日を過ごしています。けれども食べない人はいないわけですから、「耕すこと」が人間らしい生活の始まりであったことを忘れてはいけません。農業は本来そこの自然を生かして行うものです。

コムギに適している土地もあれば、イネがつくりやすいところもあります。栽培しにくいものを無理矢理植えるのではなく、雨の降り方や気温に合わせて作物を選び、さまざまなものを楽しんで食べてきたのが人間の歴史です。

耕すことはまさに自然を生かす行為なのです。人間のカルチュア(文化)もそれぞれの人に合わせて生まれるものでしょう。絵が描きたい、音楽が好きだ……いろいろある対象のそれぞれをそれぞれが楽しむことで、自分を磨いていきます。

合わないものを無理矢理やっても、少しも楽しくありません。

学校での勉強も同じですね。黒田先生はそのことをおっしゃったのでしょう。でも最近の教育は、一律に無理矢理覚えさせるところがあります。それではよい作物は実りません。勉強が嫌いになり、ついには学校も嫌いになったら悲しいです。

国語の読解問題に答えるのが一番難しいのは著者自身

黒田先生がすばらしいので、話が終わらなくなりましたが、これと一緒にあげられた私の文の一部を引用しますと、次のようなものです。

[引用]

これからの科学は、生きものを丸ごと見ようとしており、その先には人間があり、自然がある。科学は特殊な見方をするものではなく日常とつながっていなければならなくなったのである。そして、生命論的世界観には、科学や哲学の歴史の他、日本の自然の中で生まれた日本文化から学ぶことがたくさんある。つまり、今求められているのは、日常と思想とを含む知なのである。

科学という日本語に訳したサイエンスは本来「知」を意味する言葉であり、思想も日常も含むものだったのであり、実は今の動きは基本に戻ることになる。もっともこれまでの科学を支えてきたのは主としてヨーロッパの思想と日常であったが、今求められている新しい科学では、日本の自然・文化が重要になると私は考えている。日本の文化には、一度自然を客体化しながらそれを主体と合一化していく知があるからである。

原発事故の後、科学の限界、透明性の不足、コミュニケーションの必要性などが指摘されているが、そこでは科学技術に取り込まれ、金融経済に振り回される機械論の中での科学を科学としている。

研究者にとって大事なのは、今変化しつつある知に向き合い、新しい知を生み出す挑戦であり、今の科学のあり方を変えることではないだろうか。これは非常に難しい作業であり、すぐに答の見えるものではないが、これを乗り越えてこそ、豊かな自然観・生命観・人間観が生まれ、本当に豊かな社会をつくる科学技術を生み出すことができるはずである。

想像力を豊かにして新しい文明を創造すること、これまでも考えてきたことだが、2011年3月11日を境にそれへの挑戦の気持を新たにした。より正確に言うなら若い人たちに挑戦して欲しいという期待が大きくなった。(『小さき生きものたちの国で』青土社)

[引用終わり]

試験問題は「黒田先生が一番伝えたかったのは『カルチベートされた人間になれ』ということであり、そういう人間はどんな人かを後の文章から探そう」となっています。実は試験問題に答えるのが一番難しいのは著者自身だと言われており、この場合もまさにそうです。

お相手は黒田先生であり、それを通して語っているのは作者の太宰治ですから緊張します。試験で○がいただけるかどうかは別として自分の気持ちを書こうと決め、「想像力を豊かにして新しい文明を創造する人」を選びました。

文明の創造はとても大きなことで、私のような凡人が一人でできることではありません。でもそれは一人一人の暮らし方からしか生まれないことも確かであり、自分の暮らし方をよく考えることは誰にでもできるのではないでしょうか。

そして学校で勉強するのは、それができるようになるためだと、黒田先生はおっしゃっています。私もそう思います。

「勉強すれば、戦争はやってはいけないことがわかる」

先生はお別れをして戦争に行ったのではないか。太宰の文にはそう書かれています。戦場におもむく若い先生が子どもたちに残した言葉だと思って読むと、ここに書かれた言葉の一つ一つが心に響きます。

そして、今私が「勉強は何の役に立つの」と聞かれたら、「きちんと勉強すれば戦争は本当にバカバカしいことだ、決してやってはいけないということがわかるはずだと思うの」と答えようと思います。

この章は孫の世代を思いながら書きました。子ども世代とはある程度、時代を共有しています。戦争を本当に体験したのは私の親の世代であり、私は戦場は知りません。でも小さい子どもとして戦争が日常生活をどれだけ壊すかということは身に泌みています。

私の子どもの世代の日常に戦争はありません。沖縄に暮らしていたら違うでしょうが、困ったことにそれ以外の場で暮らしていると実感は難しいのです。同じ日本で生きているのに、このような事態になっているのを放っておいてはいけませんね。

世界を見れば争いは絶えません。本格的な国と国との戦争は事実上もうできないでしょうが、それで戦争がなくなるかといえばそうではありません。

内戦は身近な人との戦いであるだけに、より厳しいものとなり、辛いです。戦争については考えなければなりませんし、その時、太平洋戦争での私たちの体験はやはり若い人たちに語らなければいけないと、とくにこの頃強く感じます。

子どもでしたから小さな体験ですが、その時の私と同じ年齢の子どもに伝えるのはとくに大事と思えます。

最近は、新型コロナウイルスパンデミック、異常気象など、人間同士の戦いではありませんが、私たちの生き方に関わる難しい問題に向き合わなければならなくなりました。

これをウイルスの撲滅とか自然の征服というように戦いと受け止めている人がいますが、自然は私たちを含んでいるものであり戦う相手ではありません。その中で上手に生きる方法を探さなければならないのです。

ここにも今よりは自然と接することの多かった私たちの世代の体験を伝える役割があるように思います。小さな人たちの未来が幸せであるように願いながら、私たちが小さかった頃の体験を話してあげることは大切です。

できれば樹かげや日だまりでゆっくりお話ししたいですね。

中村 桂子

理学博士

JT生命誌研究館 名誉館長

(※写真はイメージです/PIXTA)