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 現代の法制度に欠陥がないわけではないが、"疑わしきは罰せず"という概念が、悪用されなければ、公正な適正手続きがどのようなものであるかの基盤であることに、たいていの人は同意するだろう。

 そして、この原則は、近代になってからできたものではないことが判明した。実際には、3800年近くも昔にさかのぼることができるのだ。

【画像】 「疑わしきは罰せず」の原則の起源は初代バビロニア王に由来

 18世紀から19世紀に、"疑わしきは罰せず"という言葉を作りだしたのは、法廷弁護士のウィリアム・ガロウ氏だ。裁判は、告発者が証拠を提供し、法廷で徹底的に検証されるべきと主張したのだ。

 この「無罪推定の原則」の考えは、実はメソポタミアを支配していた初代バビロニア王「ハンムラビ」に由来にする可能性が高いという。

 紀元前1792~1750年の在位期間中、ハンムラビは統治者、外交官としての業績の遺産を残した。彼のもっとも影響ある功績は、282の法律と規則だ。

 これは、王国じゅうに法律の専門官を派遣して、現行の法律を集めさせ、万人に共通のシステムを作り出すために、集めた法を取捨選択して苦労を重ねて編纂されたものだ。

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 これらの法律は、2メートルもの大きさの石碑に刻まれ、「ハンムラビ法典」として知られている。

 ハンムラビ法典は、経済、家族、犯罪、民法など広範にわたる規則と罰則を定めている。

 石碑の上には、正義と公正の神であるシャマシュから法を受け取る王の姿が彫刻されていて、法は神が定めたものであることを意味している。

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ハンムラビ法典に描かれているハンムラビ、右側の王座に座っている人物は太陽神シャマシュ / image credit:public domain/wikimedia

ハンムラビ法典の中には進歩的な法律も

 歴史家は、ハンムラビが現れるちょうど300年前に作成された、記録が残る法集を知っているだけだが、細かいことまでは定められていない。

 ミドル・テネシー州立大学の学部長ドーン・マコーマックが説明しているように、ハンムラビの統治時代に征服されたさまざまな民族が増えたために、法典をひとつにまとめた可能性が高いという。

「民が多様化したため、新たな環境に見合う法典が必要になったのです」

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 ハンムラビ法典の法の中には、罪を犯した者の舌、手、乳房、目、耳を切り取るという、現代の基準からしたら、かなり野蛮に思える項目があるが、一方では、多くの法は非常に進歩的だ。

 ヴィラノヴァ大学の歴史学助教授、ケリー=アン・ダイアモンドは、この法典は慰謝料の支払いに関する法を史上初めて記録しているという。

 メソポタミア人は、"事件の真相を明らかにすることを重視している"ため、有罪を証明するために、証人、口頭証言、書面による証拠の活用を義務づけたという。

 さらに、宣誓によって真実を語ることを誓わせる行為も確立したという。

誓いをたてたのに嘘をついた場合、神々に罰せられると人々は本気で信じていたため、宣誓はかなりの効果があったのです

The Code of Hammurabi & the Rule of Law: Why Written Law Matters [No. 86]

 現代の法制度で、無罪を推定することは、被害者にかなりの悪影響を与える。有名人の裁判がメディアで騒がれ、世論を確実に左右するのも言うまでもない。

 それでも、遥か昔から、証拠に基づく公正で公平な正義が究極の目標であった事実は、人類全体にとって、励みになる未来が期待できる。

 100%達成する理想は、かなわないかもしれないが、人間が誠実さを追及し続けることは、注目に値することだ。

References:How a 3,800-year-old stone tablet helped create modern legal systems - GoneTrending / written by konohazuku / edited by / parumo

 
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「疑わしきは罰せず」の原則は3,800 年前の石版に記されていた