野沢直子がこのほど、エッセイ集「老いてきたけど、まぁ~いっか。」(ダイヤモンド社)を発売した。本著で「老い」をテーマに、楽しく生きるヒントをつづっている野沢。還暦を目前に控える中、貯金がほとんどないにもかかわらず「不安はない」という。その背景には「お金がなくてもどうにかなる」という人生観があることを明かした。また、1991年3月からアメリカに暮らす野沢は、20代でテレビに出始めた時を振り返り「行き当たりばったりの企画が多かった気がする」と語り、現在のテレビについて「すごく緻密な計算のもとでやっているように見える」と違いを述べた。さらに、日本とアメリカのお笑いについて、「笑いのセンスが全然違う」とし、「日本の笑いって高度なんだなとわかった」と評した。

【写真】著書を手に取り、笑顔の野沢直子

■自分の“老い”を実感「外見的にも内面的にも老化が一気に進んだ」

――はじめに、「老い」をテーマに本を書こうと思った理由から教えてください。

シンプルに、自分の「老い」を実感したことがきっかけです。特にへこんだのが見た目の変化ですね。年齢とともにほうれい線が濃くなっていきました。それだけじゃなく、物忘れもだんだんひどくなるし、若い人が全員同じ顔に見えるようにもなってきました。子どもたちが話している最近の流行の話題にも、もうついていけません。そんなふうに、50代後半に差し掛かったあたりで、外見的にも内面的にも老化が一気に進んで、「こんなはずじゃなかった」と思うようになったんですよね。

――本著は、老いていく葛藤や苦悩を赤裸々に書いていることが新鮮でした。「年を取るのが楽しみ」と発言するタレントさんも多い中、そういった方とは真逆の考えですよね。

そういうふうに言う人、多いですよね。私それ、嘘だと思うんですよ(笑)。いや、結果的にそう思うようになってきた人はいるはずですよ?でも老いを感じた時、まず「こんなはずじゃなかった」というのが正直なリアクションであって、実際のところはみんなジタバタしている気がするんです。だから、最初から「楽しみでしょうがない」は嘘で、ジタバタしているところを他人に見せたくないから、見栄を張っているんだと勝手に想像しています(笑)。

――そうなんですね(笑)。では、どんなことを意識して執筆したのでしょうか。

自分の「こんなはずじゃなかった」という状況を細かく記して共感してもらいたい気持ちや、同年代の方に「1人じゃない」ということをわかってもらいたいみたいな思いもありましたが、基本的には自分を励ますために書いていました。

■“貯金がない”とカミングアウトも「どうにかなるだろう」の精神

――「老い」を肯定的に捉える秘訣は、野沢さんの中で何だと思いますか。

結局のところ、自分の好きなことをやるのが一番いいという結論に、書いているうちに至りました。私だったら、やっぱり、テレビやライブなどでパフォーマンスをして、見てくれる方を喜ばせることが一番の快感で、それを続けるのがいいかなと。「面白いおばあちゃんになってSNSでブレイクしたら楽しそう」とか、ある程度の目標を持って、ワクワクしながら生きることが、最終的に自分にとっての幸せなんじゃないかと思っています。

――あと、本の内容でいうと、「貯金がない」とカミングアウトされていたことが衝撃的でした。

私、ほんとに貯金がないんですよ(笑)。しかも、全然危機感も不安もなくて、「どうにかなるだろう」って思っていて。まったくおすすめできない考え方ですが、最低限のお金さえあれば、貯金がない方が動き続ける理由になっていいんじゃないかというマインドでいるんです。

――すごいですね。昔からそういったマインドだったのでしょうか。

たぶん家系の影響もある気がします。我が家は貧乏な時期もあれば、裕福な時期もあるローラーコースターのような家庭でした。そんな家で育ったので、「お金がなくてもどうにかなる」という考えが根底にあるのかも知れませんね。

■人気絶頂で渡米した理由「『夢で逢えたら』で自分は全然面白くないと痛感した」

――野沢さんといえば、1991年3月にアメリカへ移住されていますが、当時人気絶頂にもかかわらず渡米した理由は何だったのでしょうか。

夢で逢えたら」(フジテレビ系)という番組で、他のメンバーに比べて「自分は全然面白くない」と痛感したからです。私はこれといった下積みもなく、パッと売れてしまったこともあり、引き出しがないことに不安を感じていました。だから、自分の引き出しを増やすためにどこかで修業したいという思いがありました。それで、今思えばバカだなと思うんですけど、当時はニューヨークが舞台になったドラマなどが多かったので、「海外に行くならニューヨークだな」という理由だけで、ニューヨークへ行くことを決めたんです。

――事務所から反対はされませんでしたか。

事務所には「1年で帰ります」と大ウソをついたので、驚かれはしましたけど、反対はされずに一応許してくれました。私は最初から日本に帰ってくることはないだろうと思っていたんですけど(笑)。

――1991年の渡米以降、野沢さんは毎年夏の期間だけ帰国し、テレビに出演し続けてきました。今年はコロナ禍の影響で3年ぶりの帰国となりますが、久しぶりに日本の番組に出演してみて、どんな感想を持ちましたか。

新しい世代のお笑いの人たちに対して、みんな「すごいな」と感心しちゃいます。腕があるというか、進化しているというか。30年前、私が出ていた頃のテレビは行き当たりばったりの企画が多かった気がするんですけど、今はすごく緻密な計算のもとでやっているように見えます。

――30年間、1年のうちほんのわずかな期間しかテレビに出ないのに、その進化に対応できているのがすごいですよね。

いやいや、対応できているかどうかわからないですよ。それに、自分の中でテレビは、“反復横跳び”をしているような感覚があるんですよ。

■出始めた頃のテレビは“なんでもあり”だった…「今のテレビで面白くするってすごく大変」

――反復横跳び、ですか。

80年代のテレビは、たとえるなら、反復横跳びの「幅」が広かったように思うんです。だから自由に動き回ることができたのですが、最近はその「幅」が狭くなりました。なので、ちょっとでも気を抜くとラインの外にはみ出しちゃう。要するに「ここまでは言っていい」「これは言ってはダメ」という線引きが体に身についていなくて。そのせいで、共演者の方にフォローしてもらうことも多く、申し訳なく感じることがよくありますね。

――その反復横跳びの「幅」というのは、いわゆるテレビにおけるコンプライアンスのことですかね。

そうです。そもそも私、テレビにコンプライアンスなんてないと思ってたんですよ(笑)。緩かっただけで、昔からあったということを、つい最近知りました(笑)。それくらい、私が20代で出始めた頃のテレビは「なんでもあり」でしたから。放送禁止用語も知らずに言いたい放題に言ってたし、今考えると酷いことの連続でした(笑)。だからこそ、「幅」が狭くなった今のテレビで、面白くするってすごく大変なことだなと思いますね。

――日本とアメリカのお笑いの違いはどんなところにあると思いますか。

笑いのセンスが全然違うと思います。やっぱり、「日本の笑いって高度なんだな」と離れてみてよくわかりました。

――どんなところが高度なのでしょう。

日本だと「重箱の隅をつつく」みたいな笑いが結構ありますけど、アメリカだと色々な移民が集まった国だから、みんながわかるような笑いにどうしてもなってしまう。そうすると、どうしても大味になりがちなんですよ。

――野沢さん以降、渡辺直美さんやピースの綾部祐二さんなど渡米する吉本の芸人さんが増えています。同じようにアメリカでの活動を志す後輩たちについてどんな思いでいますか。

本当にすごいなって単純に感心しています。直美ちゃんなんかはSNSで大人気ですし、ちゃんとエージェントに付いてもらってから渡米するというきちんとした段階を踏んでいますよね。単純に羨ましいし、素敵だし、とてもスマートなやり方ですよね。それに比べて私は、とりあえずアメリカへ行ってみて、コメディークラブのオープンマイクに出るとか、公園でパフォーマンスをするとかすごく行き当たりばったりで、本当にひどいなと思います(笑)。

――最後にメッセージをお願いします。

私と同年代の方は、老いていく自分自身に「こんなはずじゃなかった」と落ち込んでいると思いますが、子育てや仕事がひと段落した今、「この先、自分のためだけに生きていける」と考え方を変えたら、面白いことができる可能性が広がるはずなので、へこまずに一緒に頑張っていきましょう。

野沢直子/※ザテレビジョン撮影