(河野 圭祐:経済ジャーナリスト)

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「シウマイもシウマイ弁当も横浜市民の皆さまのもの」

 創業114年の老舗、崎陽軒。同社のシウマイシウマイ弁当は全国に知られる横浜名物だ。今年5月、4代目の野並晃氏(41)が社長に就任したが、着任早々、シウマイ弁当の話題が沸騰した。コロナ禍によるサプライチェーンの混乱で原材料確保に遅れが生じ、シウマイ弁当のおかずの1品だった「鮪の漬け焼」を、8月17日~23日の1週間、「鮭の塩焼き」に差し替えたからだ。

 さっそくSNSで話題になり、報道各社も大きく取り上げたところ、逆に鮭の塩焼き入りの“レア感”や1週間だけの「期間限定商品」と捉える消費者もいて、シウマイ弁当は瞬く間に売り切れが続出した。焼き魚はブリの照り焼から鮪の漬け焼に変えた1963年以来、実に59年ぶりの変更だったとはいえ、一時的な弁当のおかず1品の変更がこれほど話題になるのも珍しい。野並氏はこう振り返る。

「食材を必要量確保できず、提供すべき製品を通常通り提供できず、お客さまにはご迷惑をおかけしてしまい申し訳なく思います。メディアが大きく取り上げたことで、『それなら鮭の塩焼き入りのシウマイ弁当を食べてみようかな』というお客さまも多く、差し替えた1週間の売り上げは堅調な数字を維持できました。

 しかし、もしおかずの変更を自発的に当社の販売促進的な施策としてやっていたら、お客さまには肯定的な受け止めはしていただけなかったはずです。お弁当の中身が変わらないからこそ定番として支持される。変えてはいけないものについて、改めて考える機会にもなったと思います」

 地元の横浜市民にとってシウマイシウマイ弁当がソウルフードであるのはもちろん、ほかのエリアでも多くの固定ファンを掴んでいる証左でもある。シウマイ弁当のおかずに関しては過去、鶏の唐揚げエビフライに変えた時もあったが、不評だったらしい。デザート的に入っているあんずを含め、現在のシウマイ弁当のおかず構成が、ファンにとって “黄金比”なのかもしれない。

シウマイ弁当で扱っている食材がベストかどうかは、お客さまそれぞれの評価があると思いますが、ひとつの完成された状態なのかなと。シウマイシウマイ弁当も、横浜市民の皆さまのものであって、崎陽軒はその製造や販売を委託されている会社だと思っています。なので、皆さまのご理解なく、勝手に作り方を変えたり中身を変えることをしてはいけないと思いながら日々作っております。

 ただ定番のお弁当以外にも、春、初夏、夏、秋、冬と5種類、季節ごとのお弁当だったり、『母の日弁当』や『黒炒飯弁当』など、違うラインナップでお客さまに楽しんでいただく商品もあります。変わらない定番商品とメニューラインナップ拡大の双方で、これからもご愛顧いただければありがたいですね。

 新製品は、常に社員からアイデアや企画が上がってくる状態、環境を作ることが大事なので、製品企画をトップダウンで指示することはありません。私ひとりの発案より、社員100人からアイデアを募ったほうが絶対にいいものが出てくる。もちろん、アイデアのブラッシュアップには関わっていますが、時代の変化に合わせて、製品を届ける仕組みや会社としてのPRの仕方など常に見直しが要るものがあり、そこを考えるのが私の役割だと思っています」(野並氏)

 この10月からは、原材料高やエネルギー高を背景に様々な食料品の値上げが実施されたが、シウマイ弁当も従来の860円から900円へ価格改定を行っている。

 ただ、野並氏が「過去、当社では値上げも値下げもしたことがある」と語るように、崎陽軒では2010年の価格改定の際は、原価が下がったことを受けて値下げを実施している。そうした真摯な企業姿勢は、定価でシウマイシウマイ弁当を購入した人を損した気分にさせるのは良くないとして、閉店時間近くになっても値下げによる売り切りをしない点にもうかがえる。

キリンビール、日本青年会議所で過ごした修業時代

 野並氏は2004年に慶応大学経済学部を卒業し、崎陽軒に入社する前に3年間、外部の企業で修業をしている。その点は父親で現会長の直文氏も同様だったが、野並氏が試験にパスした中で就職先に選んだのはキリンビールだった。

「社会人として社外の企業に勤める経験もしておきたいと考えていましたし、その中でも食品メーカーがいいなと。自分たちで作ったものを自信を持って販売している会社のほうがイメージしやすいと思ったからです。キリンビール崎陽軒同様、横浜発祥で工場もありますしね。入社に際しては一度、地元の横浜から離れた土地で仕事をしたいという希望を出し、半年の新入社員研修を経て神戸支店に配属されました。

 神戸は横浜と同じ港町なので似たような空気感があり、担当エリアの飲食店やお酒屋さんを対象とした営業をしました。神戸にもキリンの工場があり、もともと市場シェアが高い土地でしたが、ビールメーカーはライバル企業が明確ですよね。その点、崎陽軒は駅弁と横浜土産の要素を併せ持った会社で直接のライバルがいないので、そこは改めて認識した点です」(野並氏)

 実は野並氏は本来、1年前の昨年5月に社長に就任するはずだった。現会長の直文氏が昨年、ちょうど社長在任30年の節目だったからだ。実際に直文氏もこれを機にバトンタッチすることを考えていたのだが、野並氏が昨年、任期1年で日本青年会議所(以下JCI日本)の会頭に就任し、社業以外に全国を飛び回る機会が急増したため、社長就任を1年先送りにした経緯がある。

「JCI日本の会頭になって、全国にともに頑張るJCIの仲間ができたことは大きな財産になりました。崎陽軒の経営理念の1つに“真に優れた「ローカルブランド」をめざします”というものがありますが、全国のことを知りながらローカルに徹することと、知らないでローカルに徹するのとでは、全然違う文脈になってきますから。

 視野を広げて全国を知っているからこそ社業で新たな取り組みもできるし、またそうした目線でローカルに徹することが自覚できるようになったと思います。JCIでの経験やそこでできた人脈はこれからも間違いなく活きていくと思います」(野並氏)

 JCI日本会頭としての活動が直接のきっかけではないものの、今年7月、崎陽軒はこれまでまったく接点がなかった福井県と相互協定を結んでいる。同社が他の都道府県と協定を締結したのは初めてのことだった。これは2024年春に北陸新幹線が敦賀(福井県)まで延伸する計画を見据えたもので、今後、福井県産食材を盛り込んだ弁当を開発していくことになるという。

 こうした県をまたいだ取り組みは、コロナ禍においてももたらされている。

 昨年11月、日本で初めて幕の内弁当を作ったことで知られる、まねき食品(兵庫県姫路市)とコラボし、「関西シウマイ弁当」を発売したのがそれだ。本家の崎陽軒シウマイは干帆立貝柱を使用しているが、関西シウマイ弁当では昆布だしや鰹節で旨味を出し、豚と鶏肉のミンチに刻み蓮根を混ぜ込んでいる。このコラボは、コロナ禍で駅弁の販売が落ち込んだまねき食品が崎陽軒に話を持ち掛けたものだが、同様に福井県との協定事案も先方から打診があったものだった。

 そこにはローカルブランドを守り抜く崎陽軒が、地域創生に資する事業で頼りにされていることもうかがえ、野並氏も「駅弁の業界が発展できるかどうかわかりませんが、今後も持続可能な状態を作っていくという意味では、まねき食品さんと取り組んだように、地域が違っても協働できることは今後もあるのではないか」と語る。

コロナ禍で実感した「選択と集中」の弊害

 その崎陽軒でさえ、コロナ禍当初の2020年4月は、前年比で売り上げが約40%にまで落ち込んだ。社会が非対面、非接触を強いられた中、同社の半ば代名詞でもあった新幹線で出張の際の弁当や土産という需要が瞬間蒸発してしまったことが大きかった。

 その穴埋めをすべく強化してきたのが、通信販売やロードサイドへの出店、宅配の強化などの販路拡大だ。コロナ禍が落ち着いてきた現在は、土産としてのシウマイ販売はやや厳しさが残るものの、シウマイ弁当のトータルの販売数量は、むしろコロナ禍前を超えてきているという。

「お客さまが買いたいと思った時に便利な仕組みかどうか、常にブラッシュアップしていく必要があります。世の中の流れを敏感に感じるということと、どんな時代が来ても対応できるような種蒔きは平時からやっていかないといけない。

 よく選択と集中を進めていくことが経営上いいことだと言われますが、コロナ禍を通して改めて感じたのは、そこをやり過ぎてしまうと柔軟性が失われるということです。採算的にあまり上手くいってないビジネスがあったとしても、企業としてその事業を持ち続ける体力があれば、将来的には花開くことがあるかもしれない。コロナ禍で通販やロードサイド店の販売が伸びたのを見ると、そこは強く感じますね。そうした販売手法の変化を、仮にコロナ禍がなくても常に起こし続けられる企業でありたいと思います」(野並氏)

 足元では訪日個人旅行の解禁や入国者数の上限撤廃などコロナの水際対策が緩和され、インバウンドもようやく増勢に転じているが、崎陽軒のお膝元である横浜市はもともと浅草や京都といった「和」を感じる街に比べて訪日外国人が少ない。また、同社の製品は若年層より上の世代での消費傾向が高いように思える。この2つの課題にはどう向き合っていくのだろうか。

「まずインバウンドの難しさですが、来てもらえない人たちに来てもらうことを考えるより、東京都内にも店舗を持たせていただいているので、東京エリアで、より買っていただくことが強化点です。

 海外の方々は、駅弁といった冷めた食べ物は食さない傾向がありますが、それも日本の食文化の1つだと捉えてもらえればチャンスはあると思います。一方で、当社は2年前に台湾へ進出しましたが、こちらは郷に入っては郷に従えで、ご飯とシウマイに関しては温かい状態でお出ししています。

 顧客層については、ここが崎陽軒の面白い点だと思いますが、シウマイシウマイ弁当を購買している方と喫食している方は必ずしもイコールではないのです。親御さんが買ったものをお子さまと一緒に食べるシーンなども多いですし、若年層を狙った製品を作るのは得手ではない会社であることは間違いないので、そこを頑張ろうとするよりは、あくまで広くあまねく喫食していただく状態を作ろうという考えです」(野並氏)

 今後、経営者として長く牽引することになる野並氏は、これからの崎陽軒をどんな会社に育てていこうとしているのか。

「ある意味、お客さまの胃袋の数で商売させていただいている当社としては、今後も続く人口減少はシウマイ消費量の減少につながっていきますが、そこは工夫しながら何とか克服していきたいと考えています。

 しかし、だからといって今からナショナルブランドになるという選択肢はありません。あくまでローカルブランドを維持しながら、まねき食品さんや福井県との事例のようにこれまでなかった取り組みや、M&A、新規事業といったオプションも選択できる会社であり続けたいと思います」(野並氏)

 どんなに時代は変わっても老舗ブランドの経営理念はブレずに守り抜く。これこそが崎陽軒が長年消費者に愛される理由だ。

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