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 地元で満員の大観衆。張りつめた緊張感。大きな期待。重圧をはねのけ、待ち望んだ最高の瞬間を迎えた当事者は、どれほどの喜びだろう。

 あまり表情を変えず、「鉄仮面」とも称されるオリックスの主砲・吉田正尚外野手(29)も例外ではなかった。日本シリーズ第5戦。9回、ヤクルトの守護神マクガフからサヨナラ2ランを放つと、全身で喜びを爆発させた。

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 打った瞬間に本塁打と確信し、味方ベンチに向けて右手を高々と上げて走りだす。一塁ベースをまわると、両手を大きく広げて喜びを表現。本塁に近づくと、かぶっていたヘルメットを放り投げ、ジャンプして空中で半回転してホームベースを踏んだ。

 まるで世界的なサッカー選手C・ロナウドゴールパフォーマンスを思わせるシーンだったが、吉田正は勢いあまって転んで後ろ回り。その後、立ち上がってチームメートから歓喜のウオーターシャワーを浴びたが、オリックスコーチスタッフは、ケガをしてないか、肝を冷やしたに違いない。

 かつて秋山幸二がバック転ホームインを得意にしていたが、興奮や喜びすぎが原因でケガをしてしまった選手も過去にはいる。日本だけでなく、メジャーも含めて悲劇のアクシデントを振り返ってみたい。

◆ホームインで骨折

 2010年5月29日松井秀喜が所属していたエンゼルスの同僚モラレスがマリナーズ戦でサヨナラ満塁本塁打を放った。ナインが待つ本塁の輪にジャンプして飛び込んだ際、着地で左足首をひねって負傷。起き上がることができず、退場した。足首の複雑骨折で、復帰まで約2年かかった。興奮の絶頂から故障で長期離脱と、まさに天国から地獄だった。

◆代走サヨナラ生還

 1991年6月18日、中日の彦野利勝横浜大洋戦の10回、盛田幸妃からサヨナラ本塁打を放った。ところが一塁ベースを回ったところで転倒し、右足を負傷。そのまま動けず、代走の山口幸司が代わりにホームを踏んだ。彦野は右ヒザ靱帯(じんたい)を断裂してシーズンを棒に振ったが、94年にカムバック賞を受賞している。

ハイタッチ脱臼

 1989年9月25日オリックス門田博光ダイエー戦の3回に31号本塁打を放った。ホームに生還後、次打者ブーマーと右手同士でハイタッチし、右肩を脱臼した。41歳だった門田は脱力した状態で、怪力ブーマーに腕をもっていかれる形になり、その後8試合を欠場。以来、プロ野球界では「全力ハイタッチ」自粛が暗黙のルールになったといわれている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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