第35回東京国際映画祭(TIFF)のワールド・フォーカス部門で、『エドワード・ヤンの恋愛時代』[レストア版]が10月27日TOHOシネマズ日比谷で上映。『ドライブ・マイ・カー(21)の濱口竜介監督がトークショーに登壇し、敬愛しているというエドワード・ヤン監督の魅力を語った。

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本作は、都市に住む心に空虚感を抱えた若者たちの2日半を描く、ビターテイストの青春群像劇。『牯嶺街少年殺人事件』(91)に続き、製作された名作が4Kレストア版として上映。MCはプログラミング・ディレクターの市山尚三が務めた。

――権利関係が難しくて、なかなか上映されずにいた『エドワード・ヤンの恋愛時代』ですが、今回ようやく上映の許可が下りました。濱口監督が本作を初めて観たのはいつごろですか?

濱口「おそらく2000年代の初めだったのではないかと。当時はまだ、エドワード・ヤン監督作は『ヤンヤン 夏の想い出』や『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』しか観ていなかったので、こういう映画も撮るのか!と驚きました。それまで観ていたものとは異質なエドワード・ヤン作品という印象でした」

■「エドワード・ヤンは1作1作を大胆に、自分自身を更新している作家だなと実感しました」

――確かに同時代に本作を観ていた方も、こんなにおしゃれな映画を撮る人だったのか!と驚いたんじゃないですかね。そういえば、本作を撮る2年前に初めて台北でエドワード・ヤンとお会いした時、「次はウディ・アレンみたいな映画を撮るんだ」と言っていました。

濱口「ウディ・アレンは、エドワード・ヤンがよくフェイバリットな監督だと語っていたので、その影響は明らかに受けているのではないかと。今回トークショーのご依頼をいただいたので、これまでの長編を観直してきたのですが、本当に1作1作を大胆に、自分自身を更新している作家だなと実感しました。

特に『牯嶺街少年殺人事件』のあとに撮られた本作は大傑作かと。映画史上に残る1本で、私自身も大好きな1本です。本作を作るのは本当に大変だったと思いますが、だからこそこういう作品が生まれたんだろうなという気がしました」

――確かに本作は『牯嶺街少年殺人事件』以前の映画とも違うし、同じ台北を扱った『台北ストーリー』(85)もすばらしい作品ですが、それとも全然違い、すごくモダンになった台北を撮ったことに僕も驚きました。

濱口「時系列で観ていると大きな跳躍でしたね。エドワード・ヤン監督自身もおそらく台北という町にこだわり続けて映画を作ってきたと思いますが、まったく違う台北を描こうとしました。それはおそらく彼自身も、そして台北自身もこの10年の間に変わったからではないかと。だから軽佻浮薄な恋愛コメディのように見える映画を作ったのかなと思っています」

■「悲劇的な大傑作を撮ってしまったあと、なにか楽天的なものを見つけ出そうとしたのではないか」

――今回TIFFで上映されるツァイ・ミンリャン監督のデビュー作『青春神話』(92)も『エドワード・ヤンの恋愛時代』の2年くらい前に作られた作品ですが、とても同じ町には思えないです。すごく古い繁華街が出てくるし、ちょうどそれが取り壊されて、繁華街じゃない別のところにおしゃれな場所ができました。観比べてみると、台北の歴史上の転換点でこの映画が作られたことがわかります。いまは完全に近代的な都会になりました。

濱口「そういうものが混在しているなかで、敢えてモダンな台湾を描くことを選んでいる。もちろんおしゃれなウディ・アレンのような映画を作りたいという気持ちもあったとは思いますし、コメディのように、ところどころで笑いが起きていますが、笑ってない人もたくさんいました。きっとエドワード・ヤンは、あの町のモダンな側面にある一種の病、都市特有の人間が阻害されているところに焦点を当てたかったんだろうなと思います」

――改めて観てみて、なにか発見はありましたか?

濱口「ふと気になったのは、映画の最初から登場人物全員の顔が把握できるってことです。『牯嶺街少年殺人事件』は暗かったり遠かったりして、主要な登場人物をぜんぜん把握できないんですが、本作ではそれがわかるカメラポジションを選んでいるなと思いました。

ただ、全員の顔が見ていたいような顔かといえばそうではなくて、みんながなにかに駆り立てられていて、コミュニケーションをしているようで、全然人の話を聞いていない。言葉の量は過剰だけど、お互いに相手をどなりつけているだけです。だから顔は入ってくるけど、『牯嶺街少年殺人事件』とかそれ以前の映画で登場人物が持っていた神秘性や謎みたいなものを、最初は持たない状態で登場するんです。

『牯嶺街少年殺人事件』は、非常にわかりづらい映画でもあって、映像や音響とかが解体されてバラバラになっている映画でもあるんですが、本作はそうではなく、はっきり俳優が発話している。それがシンクロの録音で捉えられた映画で、わかりやすくなっているけど、情報はあまり入ってこない。なぜなら、彼らの話していることはほとんど内容がないから。彼らの深層にあるような渇きが叫びとして出ている状況になっていると思います。

結果として彼らがどうなっていくか。最初は顔が見えるけど、後半に行くにつれて、顔が見えなくなっていく。闇のなかに浸されていくというか、都市の光が届かないような場所でコミュニケーションをし始めます。そこでは、暴力的なことは話さず、親密で彼らが本当に思っていたことをたどりなおすんです。古い画面とともに、いままでとは違った声が聞こえてくるといった印象を受けました。

そうやって人間性が最終的に回復されていく。そこが『牯嶺街少年殺人事件』ともっとも違う部分です。それこそがエドワード・ヤンが本当に求めていたことというか、自分自身が『牯嶺街少年殺人事件』のような悲劇的な大傑作を撮ってしまったあとになにを作るかと考えた時、絶望的な状況から、なにか楽天的なものを見つけ出そうとしたのではないかと思いました」

■「人生が生きるに値するものであるかを見つけることを、フィルモグラフィを通してやり続けた」

――『エドワード・ヤンの恋愛時代』[レストア版]はぜひこのあと、劇場公開もしてほしいです。

濱口「『カップルズ』はどうですか?」

――たぶん同じ出資者だと思うので、いまは権利関係がクリアしているんじゃないかと。そこはわからないのですが、東京国際映画祭でエドワード・ヤンの追悼上映をやった時もその2本は上映できなかったので。ぜひ『カップルズ』も映画館で観てみたいですね。エドワード・ヤンの遺作『ヤンヤン 夏の想い出』は、ポニーキャニオンが出資しているので、いつでも上映できますが、それまでの映画は出資が複雑でなかなか上映されにくかったです。

濱口「すごい豆情報として、『ヤンヤン 夏の想い出』はアソシエトプロデューサーとして久保田修さんが参加されていますが、『ドライブ・マイ・カー』にも、エグゼクティブプロデューサーとして関わってくれていました。久保田さんからエドワード・ヤンが一体どういう人柄だったのか、どういう演出をしていたかを聞くのもとても楽しい体験でした」

『ヤンヤン 夏の想い出』も『牯嶺街少年殺人事件』と並ぶくらいの大傑作だと思います。もう一回、映像と音響を解体するようなことをやりながら、ここで手に入れた俳優との共同作業をより反映させている。非常に絶望的な状況も描かれているけど、そこから一体どうやって、人生が生きるに値するものであるかを見つけることを、フィルモグラフィを通してやり続けた人かなと。だからエドワード・ヤンの全作が上映される機会を待ち望んでいます」

――ちなみに『海辺の一日』(83)というデビュー作は観ましたか?

濱口「一応、台湾の方にブルーレイをいただきました。英語字幕がついていたので」

――それは、台湾でしか上映できない映画です。数年前にレストアバージョンができたと聞いて、東京フィルメックスで問い合わせたところ、台湾国内では上映できるけど、海外では上映できないと言われました。

濱口「『牯嶺街少年殺人事件』は、我々の世代だと、VHSで観た人が多いのではないかと。でも、ずっと上映されなかったから、エドワード・ヤンの権利関係はすごく複雑なんだなと思っていました。『海辺の一日』もいつか観られるといいですね」

――エドワード・ヤンの映画はいつも予算オーバーしてしまい、追加で別の出資者にお願いするので、1つの映画にたくさん出資者がいて、調整がつかないのが原因じゃないかとも言われています。『牯嶺街少年殺人事件』もそうだったようですし。

濱口「その話を聞くと妙に納得します。台湾の制作状況はよくわからないですが、日本映画の状況とそこまで大きな違いがないなかで、一体どうやってこれだけ充実した画面を毎ショット毎ショット作り続けていけるんだろうと不思議に思っていたんです。そんなふうに、一旦やりきって、お金がなくなったらまた集めてというのを繰り返すってことは、自分はしたくはないけど、もしかしてあるべき姿かもしれないです。

私はジョン・カサヴェテス監督がとても好きなんですが、カサヴェテス監督もそうやって映画を作っていたようです。また、いろんな出資者がいるとはいえ、エドワード・ヤンは基本的にはインディペンデントな志をもって作っていた人だなと思います。

『恋愛時代』の原題は『獨立時代』です。邦題の『恋愛時代』は日本で配給するには良いタイトルだと思いますし、実際に三角関係や四角関係のような恋愛関係の話にも見えます。恋愛を楽しく賛美するように描いているようにも見えるけど、僕は実際にそうじゃないとも思っています。

あくまでも自分の解釈ですが、チチとミンが最終的によりを戻し、チチがミンのもとに帰っていく。その前に『自分自身は信じることに決めた』と言っていますが、それは自分1人で立つことができるようになったというか、ミンといつでも別れることができる状況に達したから、戻ってきたのかなと。どのキャラクターも自分が属していた関係性から一旦切り離され、都市の時間に巻き込まれない自分の時間を回復していく映画だと思います。だから『獨立時代』というオリジナルのタイトルがあるってことも忘れずに観ていただきたいです」

――では、最後にひと言、いただけますか?

濱口「エドワード・ヤンはもっとも敬愛する映画作家の1人なので、今回お呼びいただいたことを心から感謝いたします。そして、ぜひ『カップルズ』と『海辺の一日』も日本で上映していただきたいです」

第35回東京国際映画祭は、10月24日11月2日(水)の10日間にわたり、シネスイッチ銀座、丸の内TOEI、角川シネマ有楽町TOHOシネマズシャンテTOHOシネマズ日比谷、ヒューマントラストシネマ有楽町丸の内ピカデリー有楽町よみうりホール、東京ミッドタウン日比谷ほかで開催中。

取材・文/山崎伸子

第35回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で『エドワード・ヤンの恋愛時代』[レストア版]が上映