(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授

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 韓国人は日本経済を心配している。特にこの頃は「日本は本当にこのままで大丈夫なんですか」と、真剣な眼差しで語りかけてくるのだ。

 ついこの前までは、韓国ウォンに対する円安だった。その時は、韓国人と話をすると「日本円は弱くなりましたね。困ったものです。何とかならないんですか」と、よく叱られたものだ。まったく苦笑を禁じ得ない。円安で彼らがどれだけ損をしているのか知らないが、日本経済を動かす神の手になどなれはしない。「あなたも困っているでしょう」と同情を見せる人もいるが、私は投機などには手を出さない根っからの人文学系の学者なのだから、そんなご心配は大きなお世話だと心の中で切り捨てていた。

 するとそのうち、ウォンもあれよあれよとドルに対して値を下げて、もはや円と大差のない水準のウォン安にまで下落した。数カ月前まで聞かされた小言はパタリと止み、やっと静かに過ごせると思っていたのだが、日本経済の先行きは相変わらず心配のようなのだ。

こんなに安くてやっていけるのか

 でも、今度ばかりは「大きなお世話」だと片づけられない。ご心配のお言葉を頂戴するごとに、私は顔を引きつらせるしかない。

 水際対策が緩和され、日本を訪れる外国人が急増中の今、韓国人観光客は日本の物価の安さを肌身で実感している。その噂がSNSで広がって、ニュースにもなる。10月25日付の「韓国経済」では、日本旅行の方が「ちょっとしたクオリティの国内旅行よりも安い」と報じられている。

 たしかにそうだろう。私もこの夏、子どもと一緒に久々に日本に帰国したとき、そのことを実感した。お昼を食べようと、東京・四ツ谷のレストランでパスタを頼んだら、850円だった。しかも、これが美味い。サラダとパンがついていて、育ち盛りの子どもでもそれなりにお腹を満たせる。ソウルの店でこのクオリティなら、2倍近くは取られる。

 店内は女性客で溢れていた。彼女たちは私たちよりももう少し豪華なメニューを注文し、おしゃべりに花を咲かせているのだが、それでさえも1200円ほどだった。

 もちろん、美味くて安ければ、客としては文句はあるまい。ところがこの店を出たとき、「こんなに安くてこの店はやっていけるのかな」と子どもから言われてしまった。確かに、ちょっと心配である。

「意味不明」な日本の物価の安さ

 あれから3カ月、世界の物価上昇が目に余るようになってきて、日韓両国のメディアも自国の消費者物価指数の上昇率を大きく報じるようになってきた。日本では今年(2022年)9月に前年比で3%上昇し、その数値は31年ぶりだと大きく報じられたばかりだ。だが、このニュースを韓国で見ていると、「たった3%か」と思えてしまう。ちなみに韓国では今年9月の物価上昇率が5.6%、その前の月の8月は5.7%だった。つまり、日本の2倍近くの上昇率なのだ。

 実際に、韓国では何でもかんでも高くなっている。右肩上がりなどではない。物価は1000ウォン単位で上がっていく。まるでうなぎ登りだ。去年のはじめに7000ウォン(約725円)で食べられたものが、今では9000ウォン(約933円)である。

 それでも客足がそんなに減ることはない。一度離れたとしても、またすぐ戻る。なぜなら、周りもこぞって値上げするからだ。しかも、それに対して誰も文句を言うことはない。なぜなら世界経済や韓国経済の状況から値上げせざるを得ない状況であることを知っているからだ。

 一方、日本では値上げに対して強い拒否感がある。そのため、価格をなるべく抑えるよう企業努力が続けられてきた。そのことを報じるNHKの番組を見ていて印象的だったのが、「価格を上げると客足が遠のくから、従業員に辛抱してもらう」という言葉だった。そうした努力は、物価上昇がある程度の範囲内で収まっているときは「美徳」と言えるかもしれない。だが、その「美徳」は従業員への容赦のない圧力にもなる。

 日本の仕事のクオリティは高い。それはいろいろなところで実感する。だが、その高いクオリティに見合う対価を要求できない社会になってしまった。月並みな言い方かもしれないが、バブル崩壊以降、デフレが板についてしまったのだ。

 日本は初任給でも韓国に抜かれたと報じられている。ただし、それは一概には言えない。確かに韓国で大企業に就職すれば、今の私よりもはるかに高い給料をもらえる。全くうらやましい限りだ。私の教え子でもそういう高給取りになっているケースがある。だが、そうした勝ち組は、労働人口の約1%に過ぎない。

 中小企業になると、話はまったく別だ。私の勤務する大学に来る求人を見ていると、年俸で2500万~3000万ウォン(約260万~310万円)が相場である。日本の月給制で換算すれば、ボーナス分を差し引いてだいたい16万~19万円の水準で、日本よりも低い。

 それでも韓国では物価がどんどん上がるのだ。もはや日本の物価の安さは韓国人にとっては意味不明としか言いようがない。

今の日本に必要なマインド

 日本は果たして、ウサギなのか、亀なのか。私は中学生くらいの頃、欧米と比較して日本は亀だと思っていた。経済発展を遂げ切った欧米に対して、日本はその後を追って地道に産業を育んでいた。バブル経済の前夜の頃だったから、景気はすこぶるよかった。

 でも、韓国に来てその考えは変わった。日本はアジアではウサギなのだ。アジアでいち早く経済成長を遂げたものの、安心し切ってバブル以前のシステムをそのまま引きずっている。

 十数年前、バブル崩壊後の景気低迷のなかで、企業には改革と新たなチャレンジが求められていたにもかかわらず、「日本はアジアの貿易に頼らなくても国内需要で何とかなってしまう」と語っていた某駐在員の言葉が今でも耳に残っている。そんな状況を見て、私は10年ほど前に日本をウサギに例えた本を出した。韓国人が今、何でも安い日本にこぞって来ようとしているのは、結局は日本経済が停滞しているからなのだ。

 日本がウサギだとして、では韓国が亀なのかというと、私はそうは思わない。むしろ「博打(ばくち)打ち」と言ったほうがいいかもしれない。とにかくやってみて、当たったらそれでよしとする。物価がどんどん上がれば、その勢いにしがみ付いて自分たちをグレードアップさせようともがく。失敗して再チャレンジする人も数多い。

 確実な勝算などもちろんない。しかし、そうしたマインドこそ今の日本に必要なのかもしれない。

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