プロ野球では毎年多くの年俸1億円プレーヤーが誕生し、2022年シーズンは80人が大台を超えた。1億円を稼ぐことが「夢」ではなくなりつつあるが、ドラフトで全体最下位指名された選手にとってみれば、変わらず狭き門だ。

 「史上最大の下剋上」といわれているのが、通算2000安打をマークした福浦和也1993年ドラフト7位でロッテに入団し、この年の最後64番目指名だった。投手から野手に転向して必死で努力。2001年首位打者に輝くなど実力ではい上がり、年俸は入団時の400万円から2002年には1億8000万円に。最下位で指名された選手で初の1億円プレーヤーになった。「残り物に『福』あり」とは、まさにこのことだった。

【関連記事】原巨人「だらしなかった」 屈辱のBクラスで指揮官から断罪された「選手の名前」


 投手では「野村再生工場の最高傑作」といわれた田畑一成がいる。1991年ドラフト10位、全体最後の92番目でダイエー(現ソフトバンク)に入団。ドラフト会議の名物アナウンスで知られるパンチョ伊東が、司会者人生最後に読み上げた名前でもあった。その田畑はダイエー3年間で通算2勝に終わったが、移籍したヤクルトで開花。野村克也監督のもとで移籍1年目の96年に12勝、97年には15勝を挙げて優勝にも貢献した。戦力外同然のどん底から通算37勝をマークし、年俸は1年目540万円から最高7300万円と、一発逆転のチャンスをつかんだ。

 実力次第でのし上がれる世界とはいえ、ドラフト下位選手の出場チャンスは限られるだけに、実力に加えて人との縁や、運もないと成功することは難しい。はい上がった福浦の後に続くべく、ドラフトの最下位指名(育成枠を除く)から飛躍を狙う選手をピックアップした。

◆高津再生工場

ドラフトしんがり指名の他球団からヤクルトに移籍し、「高津再生工場」でブレークしているのが今野龍太だ。プロ入りは楽天だった。2013年ドラフト9位は、その年の支配下最終指名となる76番目。1軍に定着できないまま、19年に戦力外通告ヤクルトに拾ってもらい、高津監督のもとで才能を開花させた。リリーフとして21年64試合、22年51試合に登板し、チームの連覇に貢献。1年目440万だった年俸は22年に3200万までアップした。

◆忍者の里

22年にパ・リーグ最多61試合に登板し、鉄腕ぶりを見せたのが楽天西口直人2016年ドラフト10位(全体最後の87番目)で楽天に指名され、滋賀の甲賀健康医療専門学校出身。甲賀市にあり、忍者の甲賀流で有名。「くないストレート」に、ドロンと消える?ように曲がる「手裏剣カーブ」が得意と、忍者にかけたサービス精神もバッチリ。1年目600万円の年俸は、22年1800万円となった。

◆消えた天才

天才といわれ、1度は消えながらプロまで上り詰めたのが岸潤一郎。2019年に西武ドラフト8位、全体最後の74番目で指名を受け、四国IL徳島から入団。21年には外野で100試合に出場し、1年目500万円だった年俸は22年1600万円にアップした。明徳義塾(高知)では1年から4番を打ち、4度の甲子園出場で投手として6勝を挙げた。拓大で痛めた右肘手術を受け、野球を断念して大学も中退。テレビ番組で「消えた天才」として特集された。独立リーグで野手として再起した。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

ドラフト最下位指名の逆襲!「消えた天才」「忍者」「再生された男」が狙う1億円下克上