サムスン電子の会長に創業家3代目の李在鎔(イ・ジェヨン=1968年生)氏が就任した。
強烈なカリスマ性で知られた創業者と2代目で父親である李健熙(イ・ゴンヒ)氏に続く「スマートな3代目」はサムスンを変えるのか?
韓国では期待と不安が交錯している。
「会長に就任したからといって特に変わることはない」
2022年10月27日、サムスン電子は李在鎔氏が副会長から会長に就任したと発表した。この直後に話をしたグループの役員は、こう話した。
5行だけの報道資料
「3代目が満を持して就任」という大イベントのはずだが、サムスン電子の発表も素っ気なかった。
この日の「報道発表」はわずか5行だけ。
「サムスン電子は27日、理事会(取締役に相当)を開いて李在鎔副会長を会長に昇進させることを議決した。サムスン電子理事会はグローバル対外与件の悪化の中で、▲責任経営強化▲経営安定性向上▲迅速で果敢な意思決定、が切実だと判断し、こう議決した(略)」
最後にていねいなことに「別途の行事または就任の言葉の発表などはなく予定された日程を消化した」と付け加えている。
韓国最大最強の大企業で、最大の財閥の中核企業であるサムスン電子。その会長に創業家の3代目が就任したというのに、このシンプルさだ。
どうしてなのか。理由はすぐに分かった。
この日、李在鎔会長には「予定された日程」それも、重要な日程があったのだ。
裁判だ。
李在鎔会長は、自身の経営権継承の適法性が争点であるソウル中央地裁での公判に出席した。
就任の第一声は裁判所
裁判所から出てきた李在鎔会長は多くの記者たちに囲まれた。会長就任の第一声は、ソウル中央地裁という極めて異例の事態となった。
「肩の荷がたいへん重くなりました。国民の皆様から少しでも信頼され、さらに愛される企業を作っていきます」
強張った表情で短く所感を述べて立ち去った。こうして会長の1日目は始まったのだ。
李在鎔会長は、サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏を祖父に、李健熙氏を父に持つ。生まれたときからのプリンスだった。
ソウル大学で東洋史を学び、慶応大学とハーバード大学にも留学した。若い頃は乗馬選手としても鳴らした。
英語、日本語に堪能で、韓国の経営者として圧倒的なグローバル人脈を持つ。
創業者と2代目が、苛烈な性格で知られたのに対して李在鎔会長は、「スマート」「紳士的」「声を荒げない」という評価が多い。
社内外で聞いても人間性について否定的な評価をする声はない。それだけ幼い頃から厳しく育てられたのだろう。
1991年にサムスン入りし、2012年に副会長に就任していた。
悪夢のような日々
こんな華麗な経歴で他人から見れば順風に見えたが、ここ数年は悪夢のような日々が続いてしまった。
朴槿恵(パク・クネ=1952年生)元大統領と長年の知人が関係したスキャンダルに関連して、不法資金の提供があったなどとして2017年2月に逮捕、拘束されてしまったのだ。
この年の8月に1審判決で懲役5年の実刑判決を受けさらに拘束が続いた。
2018年2月の2審判決で懲役2年6月、執行猶予4年の判決が出ていったんは釈放されたが、2021年1月の高裁の破棄差し戻し審で再び実刑判決が出て拘束された。
結局、2021年8月13日に仮釈放になるまで拘束状態が続いた。
2022年7月に刑期満了となり、さらに8月に特赦を受けて「復権」したが、これで終わりになったわけではない。
これからも続く裁判日程
経営権の継承をめぐる裁判など複数の訴訟がまだ続いているのだ。だからとても、「会長就任」を大々的に祝う状況ではない。
裁判の日程はこれからも当分毎週のように入っている。そういう意味でも、李在鎔氏が会長に就任しても、「大きく変わらない」ことは間違いない。
韓国社会や産業界は、「サムスン3代目」の会長就任に期待と不安が錯綜した複雑な視線を送っている。
もちろん、歓迎と期待の声は強い。
多くの韓国人にとって「サムスン」は誇りだ。韓国経済に占める比重も圧倒的に大きい。
若い会長がリーダーシップを発揮し、サムスンがさらに成長して韓国経済全体の牽引役となってくれることへの期待は強い。
李在鎔会長は長年、サムスンの経営にかかわった。世界中で元首や国家指導者、大企業経営者と親交を重ね、ビジネスにも活用した。
好き嫌いにかかわらず、韓国経済がさらに発展するためにはサムスンにもっと稼いでもらわなければならない。そのリーダーとして適役だという声は少なくない。
大黒柱の半導体事業では、今後もしばらく圧倒的な強さを見せて巨額の利益を上げてもらう。
大胆な投資、スピード意思決定、必要によっては大型M&A…すべて「オーナー会長」の決済のもとで実行してきたのがサムスンの経営スタイルだ。
期待一色(?)の社説
李在鎔会長就任のニュースを受けて韓国主要紙は一斉に「社説」まで掲載した。
サムスンや李在鎔会長に好意的な保守系大手紙や経済紙はだいたいこういう論調だ。
「朝鮮日報」の社説の見出しは「サムスン会長李在鎔、韓国経済史を変えた先代会長たちの偉業を引き継げ」だった。
期待一色の内容でもあった。後半部分にはこう書いてある。
「韓国でサムスンは単なる大企業ではない。韓国人もグローバルトップクラスになれるという事実を実証してくれた企業だ。サムスン以前には誰も夢にさえ思えなかったことだ」
さらにこう結んでいる。
「新任会長がサムスンをさらに発展させ、先代とは異なる次元の“事業報国”を成し遂げることを期待する」
厳しい視線も
一方で、厳しい視線も根強い。
不正資金の提供で李在鎔氏が逮捕拘束されたのはつい数年前のことだ。
サムスンの経営権を継承するために様々な不正行為をしたという容疑でいまだに裁判が続いている。
李秉喆氏、李健熙氏という突出した実績を上げたオーナー会長の下でサムスンはとてつもないほどの急ペースで成長を遂げた。
3代目に経営権を継承するにはあまりにも大きくなり過ぎた。
経営権を継承するために必要な株式を確保するのもたやすくない。ここで様々な「手法」が駆使され、これが問題になっている。
さらに、労組を認めなかった経営や、下請けに対する不適切な対応、不透明なグループ内企業取引など、先代の時代なら許されていた「慣行」が「不正」「不法」として厳しく問われるようになってしまった。
進歩系の「ハンギョレ新聞」も社説を掲載したが、その見出しは「李在鎔“サムスン電子会長”の前に積み重なる重い宿題」だ。「期待」より課題や懸念に重点を置いている。
10月27日に就任した李在鎔氏のタイトルは「サムスン電子会長」だ。
先代はグループ会長
先代の2人の会長は、「サムスングループ会長」と呼ばれた。
だが、李在鎔会長自身がかねて「李健熙会長が最後のグループ会長だ。この先、サムスングループ会長というタイトルはなくなる」と語っているように、グループ全体に君臨することはもはや不可能だと判断したのだろう。
サムスン電子会長という肩書にさえ批判がある。李在鎔氏は、サムスン電子の登記役員(取締役)ではない。「会長」といっても象徴的な肩書なのだ。
だから、進歩系メディアは、「権限だけ持って責任は取らない」と批判する。
そもそも李在鎔会長が保有するサムスン電子株は1.6%だけだ。
李在鎔会長は2020年の記者会見で経営権継承問題が批判を呼んでいることを謝罪し「経営権継承問題でこれ以上お騒がせしないようにしたい。私の子供たちには会社の経営権を譲ることはない」と約束した。
「最後のオーナー会長」なのだ。
長年サムスングループの経営を取材してきた大手紙デスクはこう話す。
「経営権の継承問題は裁判で自分の主張をしながら、社会貢献活動などを続けて世の中の理解を得る努力を続けるしかない。この点は本人も覚悟ができているはずだ」
「もっと痛切に感じているのは副会長になってから10年、父親が倒れて実質的なトップになってから8年になるが、いまだに経営者としての実績は何か、という疑問が少なくないことだろう」
「会長として何をしたのか?」
これからは常にこの質問を投げかけられる。
創業者に続いて1980年代に就任した2代目の李健熙氏に対して社外や社会から会長就任に異議を唱える声など存在しなかった。
時代は変わった。「世襲」に対する視線は厳しい。
李在鎔会長は、常に「会長になったことの正統性」を実証していかなければならない。
経営者としての実績を積むだけでなく、「公正」「公平」「透明」で尊敬される企業に発展させていく必要がある。
サムスン電子の2021年の売上高は279兆6000億ウォン(1円=10ウォン)、営業利益は51兆6000億ウォンだった。
これ以上の実績など可能なのかというほどの時期に会長に就任した。
必ずしも利益の額を大幅に増やすことだけが求められるわけではないにしろ、業績がピークアウトするのは困る。業績を考えただけでも、難しい時期の就任なのだ。
このことが、誰よりも分かっているから「肩の荷がたいへん重くなった」と第一声で答えたのだろう。
オーナー経営や世襲経営に対する批判があるのは当然だ。
一方で、李在鎔会長は一度就任したからにはサラリーマン経営者にように「うまくいかないので辞めます」とはめったなことでは言えない。それが「オーナー会長」だ。
李在鎔氏にとってサムスン電子会長とは、それほどに苛酷なポストでもある。その道がスタートした。
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