文=中野香織

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3.ソフトパワー外交期:相手国の人々に徹底的に寄り添い、心をつかむ

 葛藤期と時期は少し重なるが、1981年頃から、ダイアナ妃は、外国を訪れる際には相手国に敬意を払っていることがはっきりと伝わる装いをするようになる。

 1986年に来日した際に、日の丸をイメージした水玉模様のドレスを着たり、着物をドレッシングガウンのように羽織ったりしたのは顕著な例である。天皇陛下主催の晩餐会で、日本人デザイナーである鳥丸軍雪のドレスを着ることで日本に対する敬意を示したエピソードは、本連載における鳥丸氏インタビューの記事でも紹介したとおり。

来日時のドレスを手掛けた日本人だけが知る、ダイアナ妃の真実|モードと社会(第18回)デザイナー鳥丸軍雪インタビュー(前編)

 1989年に香港を訪れた時には、「香港はアジアの真珠」と呼ばれていることを尊重して、ぎっしりと真珠を散りばめたドレスとボレロアンサンブルを着用している。高い立ち襟はエルヴィス・プレスリーの定番衣裳に似ていることから、このアンサンブルは「エルヴィス」と呼ばれている。

 相手国の社会情勢に対する気配りも欠かさない。1991年にブラジルを訪れた際は、サッカーワールドカップでブラジルがアルゼンチンに負けた直後だったことを配慮し、ブラジルの緑・黄色、アルゼンチンの青・白を避けたワードローブを揃えていった。訪問国の国民の気持ちにどこまでも寄り添うファッションだった。

 数多の伝説的な外交ドレスのなかで最も話題になったのは、1985年にアメリカを訪問した際にダイアナ妃がホワイトハウスで着用したミッドナイトブルーのベルベットのドレスである。

 ジョン・トラボルタとダンスを踊り、フロアの主役として視線を独占したマーメイドラインの「サタデーナイト・フィーバー・ドレス」(別名「トラボルタ・ドレス」)は、ヴィクター・エデルスタインが手掛けたもの。大きく開いたデコルテにはサファイアつき7連パールチョーカーが輝く。ダイアナ妃の勝負ジュエリーである。どの国へ行こうと自分をさしおいて話題を独占するダイアナに、チャールズは嫉妬していたと報じられた。チャールズの思いはさておき、少なくともこのドレスで踊るダンスシーンは、ファッション史ばかりか王室外交史に永遠に刻まれることになろう。

4. 覚醒期:苦悩を経た後の覚醒と解放を語るリベンジドレス

 ダイアナの覚醒を示す転機は、1994年の6月に訪れる。サーペンタイン・ギャラリーのパーティ―に出席する際、ボディラインがはっきりとわかる黒のオフショルダーのミニドレスで颯爽と車から降りた。肩まで開いた胸元には、あの勝負ジュエリー。

 この日は、チャールズ皇太子(当時)が不倫を告白するテレビ番組がオンエアされる日だった。しかし、この鮮烈なドレスの効果で、メディアの注目はダイアナ妃に集中、翌日の新聞は一斉にダイアナ妃を一面でとりあげた。チャールズに関しては隅の方で小さく「統治者不適格」と書かれた。

 ギリシアのデザイナー、クリスティーナ・スタンボリオンによるこの黒いドレスには短いけれどトレーン様の装飾もついており、そのため、ダイアナ妃がヴァージンロードならぬフリーダムロードを歩く「結婚生活の終わりを祝うヒロイン」にも見えて鳥肌が立った。王室以外のほぼ全世界が、新生ダイアナに魅了された決定的な瞬間に着用されたこのドレスは、「リベンジドレス」と呼ばれ、ダイアナ妃を語るときに不可欠な一着となる。

 この時期のダイアナ妃は占い師に頼ったりアロマに凝ったりと、心の傷は癒えていなかったようではあるが、同時にフィットネスにも力を入れている。ジムに通う時のスポーティーなショーツとスニーカーのスタイルは、その後の「アスレジャー」ブームの先駆けとなっている。

 ジムで磨きをかけたボディラインを出し、女性としての美しさをアピールすることで、ダイアナ妃は自身を奮い立たせていたようにも見える。178㎝の長身で着こなす露出多めの一連のドレスは、世界からの絶賛を浴び、元夫とその不倫相手をかすませることに貢献するという意味で、リベンジの役割は見事に果たした。

ダイアナ妃ルックブック』の著者であるエロイーズ・モランは、ダイアナ妃のリベンジに自身を重ね、一連のリベンジルックをインスタグラム@ladydirevengelookで発信しつつ、ダイアナルックを研究することで自らが励まされている。ハッシュタグは#FyouCC (「ファックユー、チャールズカミラ」。

 さて、当時のダイアナ妃の「リベンジルック」系のドレスを多く手掛けていたのが、ジャック・アザグリーである。1997年ダイアナ妃が『白鳥の湖』を鑑賞したときに、胸が半分くらい見えるアイスブルーのミニドレスを着たが、あれをデザインしたのがアザグリー。アザグリーがダイアナのためのデザインした5着のセクシーなドレスは、「フェイマス5」と呼ばれている。

 私はアザグリーにもインタビューしているのだが、彼が語ったところによれば、ダイアナ妃は当初、露出が多すぎるのではと心配したという。しかしアザグリーは、「あなたはもっと自分の美しさをアピールすべき」と後押しした。大胆なショートヘア日焼けした肌で着こなすシンプルなミニドレスは、セクシーというよりも解放感にあふれている。これまでの苦悩を経たからこそ勝ち取られた解放をここに見て、胸が熱くなる。

 ダイアナの物語が多くの共感を得るのは、長い苦悩の後に獲得した自由と解放という、人間の成長に不可欠な覚醒のプロセスを経ているためでもある。

 ちなみに上記の本の著者モランは、ダイアナ妃が数々のリベンジルックによって成長し、自信を得ていく過程に、自分自身を重ね、結婚の破綻から立ち直っていったという。

 ファッションの力が、裏切られ、切り捨てられ、傷ついた心を癒し、自信を回復する後押しをしてくれるということを、ダイアナ妃は身をもって示したのだ。(続く)

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写真=Shutterstock/アフロ