マーベル・スタジオの劇場公開最新作『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』がついに本日から公開になる。全世界で驚異的なヒットを記録した前作から4年。主人公ティ・チャラを演じたチャドウィック・ボーズマンが病でこの世を去った後、制作陣が新作で挑んだのは、ボーズマンが役を通じて表現した“気高さ”と、そこに至る苦闘のドラマを新たに描くことだったようだ。これから劇場に足を運ぶのを楽しみに待っている人のために具体的な内容には可能な限り触れずに作品を紹介する。

本作の舞台はアフリカにある架空の国ワカンダ。遥か昔、“ヴィブラニウム”と呼ばれる物質が宇宙からこの地に飛来したことで、ワカンダは驚異的な発展を遂げた。その一方でこの物質をめぐって人々が争うことを避けるため、彼らは対外的には貧しい国として振る舞い、国に脅威が迫った際には代々の王が守護者“ブラックパンサー”として国を守ってきた。

前作『ブラックパンサー』の主人公ティ・チャラはワカンダの若き王子だった。爆破テロによって命を落とした父に代わって国をおさめることになった彼は一度は王座に座るも、国を離脱した叔父の息子ウンジャダガが出現し、危機に陥る。ウンジャダカは自らを“キルモンガー”と名乗り王座を狙い、チャラは一度は生死の境を彷徨うが、復活を遂げ、ウンジャダカを倒して再び王の座についた。

しかし、最新作『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ではティ・チャラが病でこの世を去るところから幕を開ける。チャラの母ラモンダは愛する息子を失った悲しみを胸に秘めたまま国を率いるが、妹のシュリは愛する兄を失った悲しみからまだ立ち直れずにいる。そんなある日、ワカンダを揺るがす事件が起こり、彼らは“王がいない状態”で危機に立ち向かうことになる。

本作の最大のポイントは前作の主演チャドウィック・ボーズマンがすでにこの世を去っていることだ。劇中でも同じように彼が演じた若き王ティ・チャラがこの世を去っており、母ラモンダや妹シュリは“喪失”を抱えている。さらに詳細は書かないが、彼らの前に立ちはだかる新たなキャラクターも“喪失”を抱えている。誰もが懸命に生きているのに、何かを失ってしまう。どれだけ願っても取り返すことのできないものが、この世にはある。

通常の娯楽映画であれば、“喪失から立ち直って前向きになるまでの物語”が描かれる。実際、本作もそのようなドラマが中心に据えられている。しかし、人は何かを失った時、悲しみや落胆だけを感じるのだろうか? 時にその喪失が“誰かのせい”だと思ってしまった場合、怒りや復讐心、自分では制御できない激情が生まれたりはしないだろうか? 時に喪失は理不尽なものとして人々を襲う。自分では何もできなかった。あるいは、この喪失は自分のせいだと思い込んでしまう。やり場のない感情は時に混乱や、誰かに向けた怒りとなって現れる。

本作では単に登場人物が愛する人やものを失うだけでなく、その喪失の中で混乱したり、時に怒りにのみこまれる瞬間を容赦なく描き出していく。さらに劇中では何か事件が起こるたびに憶測や、思い込みや、気持ちのすれ違いが繰り返し出現する。冷静さを失った時、怒りや混乱にのみこまれた時、人は安易な憶測や思い込みを信じる。喪失には魔物が潜んでいるのだ。

思い返せば、ティ・チャラ=ブラックパンサーが『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で初めてスクリーンに登場した時、彼は愛する父を爆破テロで失い、復讐に燃える若者として登場した。やがてチャラは様々な苦難に直面しながら、忍耐力や民を愛する心、愛する故郷を守ろうとする意思を身につけていった。彼の前に現れたウンジャダカ=キルモンガーは喪失によって変貌し、復讐心が生きるよすがになった。しかし、ティ・チャラは混乱や怒りを自らの意思で乗り越えた。彼の“気高さ”は、生まれや育ちに依るものではなく、彼自身が戦い、苦しみ、自らの存在と意思を表明することで得たものだ。

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』は、単にティ・チャラの喪失を悲しんだり、その存在を懐かしんだりするのではなく、かつて彼が歩んだ道のりを再びたどるように、喪失と混乱と復讐の渦に巻き込まれる人々を描く。観客は“リーダーのいない国”で最大の危機に立ち向かう母ラモンダや妹シュリの物語を目撃することになるだろう。そして私たちは彼女たちを通して、改めてチャドウィック・ボーズマンが魂をこめて演じたティ・チャラの“気高さ”の本質を目撃することになる。スクリーンにその姿はない。しかし、ティ・チャラは確かにここにいる。そう感じられるはずだ。

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー
公開中
(C)Marvel Studios 2022

『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』