戸田恵梨香永野芽郁が共演し、壮絶な母娘関係を体現した映画『母性』(11月23日公開)。日本を代表するベストセラー作家で原作者の湊かなえは、子を持つ母として「子どもが生まれたことで、自分に母性は芽生えたのか?」という問いかけをスタート地点に、小説に取り掛かったという。本作の読後感として残るのは、様々な“母親のかたち”。湊が本作に込めた想いや、自身の子育て、そして作家としての原点までを明かした。

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■「『告白』のヒットのあと、『いつまで書けるだろうか』という不安があった」

本作は、ある事件を、“愛せない母”のルミ子(戸田)と、“愛されたい娘”である清佳(永野)、それぞれの視点で語り、2人の食い違う証言から衝撃の真実へと辿り着くエンタテインメント作品。10月5日には第41回バンクーバー国際映画祭で正式招待作品としてワールドプレミア上映され、廣木隆一監督と湊が参加。MOVIE WALKER PRESSは同映画祭の取材に同行し、バンクーバーを代表する観光スポット、グランビル・アイランドの海風を感じながら敢行したロングインタビューをお届けする。

本作の原作小説が刊行されたのは、2012年のこと。「これが書けたら作家を辞めてもいい。そう思いながら書いた小説です」と強い決意で臨んだというが、その覚悟の理由とはどのようなものだったのだろうか。

着手したのは2010年の秋ごろだという湊は、「デビュー作の『告白』がヒットしたことで、5年先くらいまでの仕事の依頼をいただいて」と回想しつつ、「『告白』は教師と生徒を描いた話でしたが、親子関係に注目して読んでくださった方もとても多くて。やはり1作書くごとに体力的にもダウンしていきますし、『次も書けるだろうか』という不安もあるなかで、もし作家を辞めることになったとしたら…と考えた時に、親子関係というテーマは絶対に書いておきたいものでした」と話す。

この物語に登場するルミ子は、娘の清佳に愛情を注ぐよりも、大好きな実母に愛されることを望む女性だ。“母性”のないルミ子に育てられた清佳は愛情に飢え、こちらも母親に愛されたいと願っている。すれ違う2人の感情が、胸を締めつけるようなせつなさと共に描かれているが、この母娘像が生まれる過程には、湊自身の子育ての経験も込められている。

「親子を描くならば、自分にも1人、娘がいるので、母娘の話にしよう」と考えながら、「自分には母性があるのか?子どもが生まれたことで、自分に母性は芽生えたのか?」と問い始めたという湊。

「もちろん子どもが生まれた時はものすごくうれしかったですし、かわいくてかわいくて仕方がない。とても大事な存在で『タイタニック』のクライマックスのように1人しか助けられないとしたら、迷いなく、自分の命よりも子どもの命を優先します。でも『母性が芽生えたのか?』と言われたら、果たしてどうなんだろうかと。世の中には、『子どもを産むとみんな模範的な母親になれる』と思われている風潮がありますが、私はそうなれない人のほうが多いんじゃないかと思うんです。『ではどんな人が模範的な母親になれないのだろう、ずっと誰かの娘でいたいと思う人もいるのではないか…』と想像しながら生まれたキャラクターがルミ子で、彼女の娘として生まれて、与えられないものをずっと求め続けてしまう人として描いたのが、清佳なんです」とアイデアを掘り下げた。

「自分自身も誰かの娘であるという感覚がありつつ、自分にも娘がいる状態。書き始めた当時、私の娘は10歳前後でしたが、娘が手を離れてしまったら、きっといまの感覚が薄れてしまうのではと感じて。いま書かなければならないものとして取り組みました」。

■「母親が、子どもの犠牲にならなくてもいい」

模範的な母親になれない女性を主人公とした本作だが、産んだ途端に母親らしさを求められることに、戸惑ったことのある人もきっと多いことだろう。たしかに母性神話は、いまも強く社会に残っている。湊は「母性を神聖化しすぎているんじゃないかと感じます。子どもが生まれた瞬間に、聖母マリアのような愛を求められたりもしますよね」と持論を展開。「私は、いろいろなタイプの母親がいていいと思っています」と語る。

「食べ物のない時代に、『お母さんはいいからみんなで食べなさい』と食べ物を差し出したりするイメージがあって、いまでも世の中では、子どものために身を削ったり、なにかを犠牲にすることが“母の愛”だと勘違いされているんじゃないかと感じていて。いまは、たとえ身を削らなくてもお互いに愛情を持って、楽しく過ごせる時代だと思うんです。母の犠牲を美徳としている世の中って、どうなのかな?と。なにかを犠牲にしなければ子どもを幸せにできないなんてことはないし、お互いが幸せになることを望んでもいいのではないかと感じています」と思案しつつ、「でも母親が自分の幸せや願望を口にすると、周りから『母親なのに』『子どもがいるのに』と言われてしまう」と苦笑い。

「私自身、思春期のころに母親から『お母さんはあなたのためにやっている』と言われると、しんどいと思うこともありました。犠牲にしている、我慢しているということを子どもに押し付けて、対価を求めてしまったら、それは子どもへのしわ寄せにもなってしまうはず。個を確立して、それぞれの幸せを見つけるためには、誰かが犠牲になるのではなく『私はこれくらい我慢するので、あなたはこれくらい我慢をしてね』と我慢をわけ合えたらいいのかなと思っています」と提案する。

湊自身、子育てをしながら、次々と代表作を世に送りだす作家として、バリバリと仕事をしてきた。しかし「自分を犠牲にしていると感じたことはない」とキッパリ。

「もしも独身の時に小説家になって、そのあとに結婚をして子どもが生まれたとしたら、『前は書きたい時に小説を書けていたのに』『我慢しなきゃ』と感じていたかもしれません。でも私は子どもが3歳くらいのころに小説を書き始めて、『告白』が刊行されたのは、娘が小学校1年生の時。子育てと小説を書くことがセットになっていたんですね。だからなにも犠牲にしていないし、『うちの子はよく寝てくれて、夜に小説を書く時間があって助かる』と思っていました(笑)。最初から子どもがいる前提で、そこから小説家としてのプランを組んでいったので、我慢をしていると思うこともありません」。

子育てと仕事を両立するうえでは、「日中は原稿の確認やメールのチェックをして、子どもが寝てから、夜の22時から朝方の4時くらいまで小説を書いて、4時から7時まで睡眠。子どもを学校に送りだして、また8時から11時くらいまで寝て。トータルでは6時間くらい寝られていました。子どもは、私が書いている姿を見たことがなかったので、夜中に小人さんが書いてくれているとでも思っていたんじゃないでしょうか。でも私は小説家になりたくてなったので、そこで『お母さんはあなたが寝ている間に仕事をしているのよ』というのも、おかしな話ですしね」と不規則かつ多忙な日々。どれだけ睡眠時間を削ったとしても「書くのが楽しかったんです。書きたいことも、書いてみたいこともいっぱいあった。そうやって趣味で始めたら、プロになれて。書いている間はしんどいこともたくさんありますが、しんどいのも自分のせいだし、楽しいのも自分」と、“小説を書きたい”と湧きあがる気持ちが、湊を支えてきた。

「『こうでなければ』という母としての理想を持つこともなく、『子どもが毎日、健康に楽しく学校に行ってくれたらそれで十分』という想いで子育てをしていましたが、すくすくと育ってくれてうれしい」と成人した娘を思い浮かべながら、目を細めた湊。「娘さんは、母親の小説にどんな感想を抱いているのか?」と聞いてみると、「うちの子は、私の本は読まないんですよ」とのこと。

「小説のなかに、自分っぽい人が出てきたら嫌なんだそうです。でも私は、それでいいと思っていて。“湊かなえの子ども”ということで、なにか言われることもあっただろうし、もしかしたら嫌な気持ちになることもあったかもしれません。いまでは彼女なりに、そこに対していい距離の取り方を作ってくれていて、とてもありがたいなと思っています。『リバース』のドラマが放送されていた時は、友だちから『犯人、誰?』とよく聞かれたらしいです。でもうちの子は『読んでないから知らない』と(笑)。そうは言っても裏では読んでいるのかな?と思っていたんですよ。でもある時、本当に読んでいないことがわかって驚きました。いやあ、本当にすくすく育っていますね」と楽しそうに話す。

■「人間って二極に分けられるものじゃない。そういったことを小説にしたいと思いました」

湊は、2007年に「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。同作を収録する「告白」が「週刊文春ミステリーベスト10」で国内部門第1位に選出され、2009年には本屋大賞を受賞した。「夜行観覧車」「Nのために」や「白ゆき姫殺人事件」「ポイズンドーター・ホーリーマザー」など映像化の実現した作品も多く、日本を代表するベストセラー作家となった。ここからは、彼女の作家としての原点に迫ってみたい。

「母性」では、ルミ子と清佳、それぞれの回想と手記によって人生が語られ、お互いの言い分によって、起きた出来事の見え方やその時の感情がまったく違ってくる点が、大きな見どころだ。語り手を変えながら、複数の視点によって物語を紡ぐという手法は、湊作品の真骨頂とも言えるものだが、こういった視点の持ち方は、どのように身につけてきたのだろうか。

湊は「物語を書くのが楽しくなってきた時期に、白血病になってしまった親戚がいました。身近な人は型が合わなかったので骨髄バンクに登録したところ、適合する人が見つかったのですが、その方が突然辞退されたんです。当時、仲の良かった友だちに『なんで辞退したんだろう』と話したところ、その子はもともと身体が丈夫ではなかったので、『私も辞退するかもしれない。もし健康を損なうようなリスクを負うとしたら、小さな子どももいるし、その子を育てられるかもわからなくなってしまう』と。大きな病気をしたことがない私は、そんな視点を持ったことがなかった」と振り返り、「その時に『自分が当然だと思うことも、反対の意見の人がいて、それはおかしいことではない。絶対に理由があるはずだ』とひしひしと感じて。そういったことを小説にしたい、それこそが小説を書く楽しさなのではないかと感じました」と吐露。「自分の思想とは違う人を書けば書くほど、おもしろいですね。自分とはまったく違う人生を体験できますから。人間って二極に分けられるものじゃない。どうやって育って、どういう人生を歩んだら、こういう考え方になるのだろう?その真ん中にいる人は?と掘り下げていくことで、デビュー作の『告白』が出来あがりました」と熱っぽく、やりがいを語る。

また青年海外協力隊隊員としてトンガに赴任し、家庭科の教師として栄養指導を行なっていた経験も、視点の持ち方に影響を与えているという。

トンガは国民のほとんどがキリスト教徒で、日曜日には朝昼晩と、3回も教会に行くんです。そしてトンガは肥満大国でもあって、生活習慣病にかかっている人も多い。健康に痩せる方法を学んでもらうために、家庭科の先生としてトンガに行ったのですが、『油を摂りすぎてはいけないよ。太りすぎて、病気になって早く死んでしまうよ』と言うと、『死は悲しいことではない。イエス様のもとへ行くことを許されることだ』という話になる。自分の育ってきた環境や価値観を、この人たちに押し付けるわけにはいかないなと思って『不健康だと教会に通えないよ』とか、そういった言い方を考えてみたり」という経験もあり、小説を書く時には「自分の価値観が正解ではないということを、いつも自分自身に言い聞かせています」とモットーを明かす。

■「3日寝ずに語れるくらい、大映ドラマの申し子です」

嫉妬や憎しみ、悪意など、誰にも見せたくないような人間の闇の部分をえぐりだすことにも定評のある湊だが、インタビューで対峙していると、柔らかな笑顔とユーモアを絶やさない彼女からは、温かな人柄が伝わってくる。バンクーバー国際映画祭では現地のファンと交流する場面もあり、「こんなに気さくな人だとは思わなかった」「書いているものからイメージしていた人と違った」と作品と本人のギャップに驚く人の姿も見受けられた。

「サイン会に来ていただいた方にも、そう言われることが多いです」と切りだした湊は、「私だって誰かを妬むこともありますし、怒ったりもします。妬みって、持っていてもいい感情だと思うんです」とにっこり。「妬む気持ちを小説として書く時には、自分のなかにある妬みを見つけて、取りだして、キャラクターに寄り添わせていきます。私は書くことで、その闇を浄化しているのかもしれません。皆さんに闇のお裾分けをしている」と笑いながら、「でもきっと誰かを妬んだことがない人なんて、いないと思うんです。嫉妬心は、誰にでもあるもの。サイン会で『親友を妬んでしまう自分は、人間としてどこか欠けているのかと悩んでいた。でも私だけじゃないんだ、そういう気持ちを持っていてもいいんだと思えて、楽になりました』と言ってくださった方がいて。私の小説を読んで、闇の心を過剰に発動させるのではなく、劇中のキャラクターのようにならないためにはどうしたらいいのか、どうやったら怒りや妬みの気持ちを小さくできるのかと考えてもらえたら、とてもうれしいなと思っています」と願いを込める。

小さなころから「本を読むのが好きだった」という湊。読者としては「ミステリーの王道を突き進んできた」そうで、「まずはポプラ社の『怪盗ルパン』シリーズが1冊だけ家にあったので、そこから読み始めて、図書室に通うようになりました。江戸川乱歩を読み、赤川次郎ブームに乗り、コバルト文庫をつまみ食いしたのが、中学時代。高校生になると少し背伸びをしたくなったのか、アガサ・クリスティを読んで、大学生で東野圭吾さん、宮部みゆきさんを買い漁って。そのあとに綾辻行人さんや、有栖川有栖さんを読む…という、ミステリー好きの王道。誰が犯人だろうと予想したり、謎が解けていく過程が大好きなんです」とミステリーと共に育ってきた。書き手として刺激を受けたと感じているのは、三浦綾子の「氷点」。「章の区切り方が絶妙で、次から次へと読み進めたくなる。私も、いっき読みできるように『ここでちょっとドキドキワードを入れておこう』と考えたりしますが、そのやり方は『氷点』から学んだように思います」と教えてくれた。

「ドラマも大好き」という湊だが、1970年代から80年代にかけて、強烈な個性を持ったキャラクターやセリフが人気となった「大映ドラマ」がとりわけお気に入りだったのだとか。「大映ドラマの申し子です」と声を弾ませた湊は、「観ていた当時、大好きだったのが『スクール・ウォーズ』。『乳姉妹』や『ポニーテールはふり向かない』『少女に何が起ったか』も好きでしたね。石立鉄男さんが『薄汚ねぇシンデレラ!』と(主人公を演じる)小泉今日子さんをいじめたりして。3日寝ずに語れるくらい、大映ドラマは大好きです」と目尻を下げるように、大映ドラマも湊作品に影響を与えている様子。

「田舎にずっと住み続けているので、本やドラマは身近なものでした。一方、周囲には映画館がなかったので、映画に行くのはイベントごと。だから自分の小説が映画になって映画館で上映されるということは、ご褒美のようにうれしいことなんです」と、「母性」の映画化にも大喜び。身を削りながら小説を書くという作業は苦しいことでもあり、今年は1年間の休筆宣言をしているという。「一度そういったことをやらないと次の10年に行けないのではないかと感じた」と胸の内を語りつつ、いままたムクムクと創作意欲が湧き上がってきている最中なのだという。「世界中の人に小説を読んでもらいたいけれど、『誰にでも刺さるものを』と狙って書いたとしたら、きっとつまらないものになってしまう。自分が向き合いたいと思った課題を、まっすぐ見つめていきたいです」と穏やかな笑顔の裏側に、信念を貫く強さとエネルギーを秘めていた。

取材・文/成田おり枝

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