◎連載「河崎環の『令和の人』観察日記」記事一覧

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(河崎 環:コラムニスト)

50、60代のSNSにもニュースやドラマがある

 SNSを眺めていたら、物書きの大先輩が「60歳になりました!」と写真を上げていて、ええっと驚いた。

 もともとは雑誌編集者だった方で、多趣味でいらっしゃるのでも有名なお洒落男子。「僕がこれまで宣言してきた通り」と、赤いちゃんちゃんこの代わりに赤い革ジャンを着て、ギターを抱えた姿でポーズを決め、たくさんの人が「ええっ、60歳?」「カッコ良すぎでしょ」「これからもますますのご活躍を!」と書き込んだコメントがずらりと並んでいた。赤い革ジャンの洒脱さに、ブラボーのひとことである。

 およそ一回り下の私世代などは、これからやってくる55歳役職定年を念頭に、まずは50をどういう姿で迎えようかと考えている人が多い。働き続ける女性が増えた現代では、「50どうする問題」と「役職定年をどう乗り越えるか問題」、そして定年本丸である「60赤ちゃんちゃんこ問題」は、男女共通の話題でもあるのだ。

 大きな組織に属してきた人たちの中には、定年を前に転職した人や、独立を決めた人もいる。新たな土地へ移った人もいる。岐路に立ち、今まで通りの風景ではなくて「新しい方の道」を選ぶ。これはキャリア上の身の振り方だけではなくて、趣味の世界や、パートナーとの生活にも言えることのようだ。

 これを機に、今までやってみたいと心に浮かんでも踏み出せなかったことを「新しいことをまだ試せる体力のあるうちに」えいやっとやることにしました、なんて、50代から60代の人のSNSにもいろいろニュースやドラマがある。

 そう、これまで心に浮かんでもできなかったことをする。定年とは人生のそういう季節なのかもしれない。

文学新人賞応募作の「ある傾向」

 文芸誌を抱える出版社の新人や若手編集者が必ず通る年1回の風物詩、それは「新人賞応募作の下読み」である。

 そしてその世界では有名な話だが、この新人賞(特に純文学)応募作の半分近く、いや半分以上が、定年後の素人男性小説家志望者による壮大なエロティックファンタジーなのだそうだ。下読みの仕事とは、応募作の山から、一つひとつ読み、まず「それ」を外していくことなのだという。

 あるアラサーの編集男子は「みんな、先輩たちから聞かされて頭ではわかっているけれど、あまりの数にもうイヤになるというか、人間不信にすらなるんですよ」とボヤいた。

 各文芸誌のテイストや傾向によって多少の差はあるが、実際に目にする素人のおじさんたちの濃い妄想と並々ならぬ熱量を直接近距離で浴び、各社、泣きたくなるを通り越して本当に泣く新人編集者もいたりするという(もちろんそれは感動の涙とかじゃない)。

 アラフィフのおばさん物書きである私としては、その話を聞いて、どちらの立場もなんかわかるなぁと笑ってしまったものだ。

 会社でコツコツとまじめに働いてきたおじさんが定年を迎えて、さて時間ができたから何かしてみようと思った時、ようしこの際、今まで心の中ではほんのり憧れつつ、同時にそんな不安定な仕事など生業にできるものかと振り払ってきた「小説家という自由業」になってみようかと新人賞を目指してみる。そしてそこで選ぶ題材が、仕事に脂の乗った会社員時代にさんざん妄想しながらも、まじめな組織人として、家庭人として、まさか実現になど至らなかったが実はいたしてみたかった「若い女性(たいてい部下)とのラブロマンス」なのである。

 妄想は自由である。それを自由な時間を得た今、自由なワークスタイルで書き連ねてゆく。1つだけ決め事があるとすれば、新人賞の応募締め切りだけ。ああ、本当はこういう仕事がしてみたかった。こんなロマンスもしてみたかった。あとこんなプレイ・・・すみません失礼しました。どうだ、熟年の青春だ。やっと手に入れた自由な時間、定年バンザイ

 だがそうやって綴られた自由の結晶である「俺のエロ小説」の数々が、編集部のデスクに山積みになる。「なぜ人は、小説を書こうとするとまずエロ小説なんでしょうねえ」、若手編集男子は首をひねる。「やっぱり小説とは妄想だから、人類の最もポピュラーな妄想とはエロなんじゃないですかね」、私は答える。「中にはエロとはいえ読み応えや芸術性のある妄想もたまにはあったりしないんですか?」「いやそれが・・・。どれもどんぐりの背比べなんですよ・・・」

『愛の流刑地』ショック世代が定年を迎える

 約20年前、日本経済新聞朝刊の裏面(文化面)を朝から激しい情事のセリフや挿画で飾って世間を大いに動揺させた、渡辺淳一センセイによる『愛の流刑地』という新聞連載小説があった。55歳の売れない作家・村尾菊治と、36歳の人妻・入江冬香による道ならぬロマンス。渡辺センセイったら朝からそこまで丁寧に書いていただかなくても・・・と赤面するほど詳細な描写に、当時のビジネスマン、ビジネスウーマンからは当惑の声が上がり、ネットでも『愛ルケ』の愛称で「今日の菊治と冬香」の言葉や行いがさんざんネタにされていた。

「まさかあの日経でこんな連載小説が・・・」「でも朝刊でやられると正直困る」「電車の中で広げられないんだよな」(当時はまだ電車内で紙の新聞が読まれた時代であった)「早く終わってくれないかな・・・」と、小説の中では菊治と冬香が熱く激しく盛り上がっているというのに、読者の間では冷静に連載の終了が心待ちにされたという伝説の迷作であったが、まさにその日経朝刊『愛ルケ』を読んでいた、仕事も家庭も多忙な当時のアラフォー、いわば愛ルケ直撃世代が、今の役職定年~定年世代である。

 以前、とある「女のプロ」として知られる美貌の有名女性起業家が、こうおっしゃっていた。

「男の人って、30代や40代でいろいろ遊んでいても、50の声が聞こえると奥さんに戻っていくんですよ」

 へーそういうものなんですかー、と私などはワイングラスをガバッとあおりながら聞いていたものだが、定年を前にして、それまでさんざんロマンスというか火遊びなりリスクを冒して「やり尽くした」人もいれば、定年をきっかけにロマンスに目覚める人もいるのかもしれない。

 ただ1つだけ言えるのは、いま妄想エロ小説を執筆中の熟年男性にはライバルが山ほどいて、その小説は新人賞突破の戦略としては猛烈に悪手だということである。

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