ウクライナ侵攻によって、より独裁者としての色を強めた現ロシア大統領のウラジーミル・ウラジーミロビッチプーチン。侵攻開始直前の2月21日に行われた安全保障会では、ほとんの参加メンバーがプーチンに忖度するなか、たったひとり「異議を唱えようとした」男がいました。それはいったい誰なのか。また、世界を敵にまわしても侵略を決断したプーチンの思惑とは……大統領就任前からプーチンを追う元外交官で作家の佐藤優氏が考察する。

開戦前夜…プーチン大統領がみせた独善的な態度

2022年2月24日ロシア軍ウクライナに侵攻した。ウクライナ侵攻により、ロシアは世界のほとんどすべての国を敵に回した。ロシアを積極的に支持しているのは、シリアイラン北朝鮮などの「ならず者国家」だけだ。中国ですら、あいまいな態度を取っている。

ロシアの行為はウクライナの国家主権を侵害する行為であり、厳しく弾劾されるべきだ。ここまで大きなリスクを冒して、プーチン大統領が何を獲得しようとしているのか。分析専門家の一人として、プーチンの内在的論理を推定したい。

プーチンは何を獲得しようとしているのか」という問いに答えるヒントが、2月21日に行われた安全保障会議における、プーチン大統領とナルイシキンSVR(ロシア対外諜報庁、KGB第一総局〈対外諜報担当〉の後継機関)長官とのやりとりにある。

ロシア情勢に詳しい「日本経済新聞」の池田元博編集委員(元モスクワ支局長)が興味深い指摘をしている。

プーチン氏の独善ぶりは、ウクライナの親ロ派支配地域の承認問題を討議した2月21日の安全保障会議でもうかがえた。事実上の最高政策決定機関とされる同会議には各治安機関のトップ、首相、外相、上下両院議長らが参加。司会役のプーチン氏は各人に独立承認の是非を聞いたが、自らの意にそぐわない発言者には厳しい態度をとった。典型例がナルイシキン対外情報局長官とのやりとりだ。

ナルイシキン氏 「西側のパートナーに対し、ウクライナに平和とミンスク合意の履行を短期間で認めさせるよう最後のチャンスを与えても……。そうでなければ……」

プーチン氏 「そうでなければ、とは何ですか。あなたは対話プロセスの開始を提案するのですか、それとも共和国の主権を認めるのですか。はっきり答えてください」

ナルイシキン氏 「承認提案の支持を……」

プーチン氏 「支持するつもりなのか、支持するのか。明確に答えてください」

ナルイシキン氏 「提案を支持して……」

プーチン氏 「イエスかノーか、答えてください」

ナルイシキン氏 「はい、私はドネツクルハンスク人民共和国のロシア編入を支持します」

プーチン氏 「そんな話はしていないし、討議もしていません。今、話しているのは独立を認めるかどうかです」

ナルイシキン氏 「はい、私は独立承認の提案を支持します」

プーチン氏 「よろしい。すわってください」

安保会議は普段は非公開だが、この日は例外的に公開された。政権内で熟慮を重ねた決定だと強調したかったのだろうが、はからずもプーチン氏の独裁色が強まっている様子が垣間見える会議となった。ウクライナへの軍事侵攻も、軍部の提案というより、プーチン氏自らが主導したとみるべきなのだろう〉※1

※1 22年3月1日、「日本経済新聞」電子版

このやりとりで興味深いのは、ほとんどの安全保障会議メンバーがプーチン大統領の意向を忖度して「ルハンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」を独立国家として承認すべきであると主張しているのに対して、ナルイシキン長官が異論を唱えようとしたことだ。

ナルイシキン長官がこのような発言ができたのは、プーチン大統領からの信任がきわめて厚いからと私は見ている。

ウクライナへの軍事侵攻はプーチンの独断と考えられる

プーチン大統領KGB旧ソ連国家保安委員会)の出身だ。国家保安委員会には、海外を担当する第一総局(対外諜報担当、SVR=ロシア対外諜報庁の前身)と国内を担当する第二総局があった。第二総局は、現在のFSB(ロシア連邦保安庁=国内秘密警察、KGB第二総局〈防諜・反体制派担当〉の後継機関)の前身だ。国際問題の分析に関して、プーチン大統領外務省よりもSVRのほうを信頼している。

ナルイシキン長官には、両「人民共和国」を承認すれば、その後、両国がロシア集団的自衛権の行使を求めてくることになるのがわかっていた。ロシアはそれに応え、ウクライナとの全面戦争に突入する。戦争でロシアが勝利するのは確実だ。だがその後、ロシアと欧米や日本との関係が決定的に悪化する。

2015年の「第2次ミンスク合意」に基づいて、親ロシア派武装勢力が実効支配している地域に「特別の統治体制」を認める憲法改正を行わせる。改正憲法には、ウクライナが外国と条約を結ぶときに「特別の統治体制」となった地域の合意を得ることを約束させる。

そうすれば、親ロシア派武装勢力が実効支配する地域に住むロシア人を擁護できる。さらに、NATO(北大西洋条約機構)にウクライナが加盟することもできなくなる。

ウクライナゼレンスキー大統領は、このシナリオがわかっていたので「第2次ミンスク合意」の履行を頑なに拒否したのだろう。

日本経済新聞」の池田元博編集委員が指摘する通り、ウクライナへの軍事侵攻はプーチン大統領自身の決断と考えられる。これはプーチンの戦略に基づいてなされている。その戦略とは、ウクライナをいくつかの小国家に分断して、時間をかけてロシアに併合していくことと思われる。

この点について、ドンバス地方(ルハンスク州、ドネツク州)の事情に詳しいロシアの政治学者アレクサンドル・カザコフは、20年に上梓され話題になった著作『北の狐 ウラジーミル・プーチンの大戦略』(日本語訳『ウラジーミル・プーチンの大戦略』)でこう述べている。

〈例えば、アメリカの大戦略はオープンであると言える。このことから、なぜ、プーチンはその大戦略を秘密にしておくのか問うことも可能だ。答えは、奇妙なことかもしれないが、単純である。

プーチンがその大戦略の秘密を、たとえ近い将来の目的や遠い将来の目的だけでも明らかにすれば、彼は……敗れてしまうだろう。その大戦略が成功するかどうかは、まさにそれがすべての者にとってどれほど秘密のままになっているかに左右されるのだ。

具体的な例を挙げて説明しよう。ウクライナとドンバスについてである。これらの地域に対するプーチンの計画と戦略を知っていると言える者はいるだろうか? 例えば、もし近い将来にドンバスを、そしてその後、崩壊の時を経てウクライナ全体を一部ずつロシアに統合するつもりだとプーチンが公然と宣言したとしたら、この戦略的な目的の達成は容易になるだろうか? むろん、否である。

すべての敵、反対者、そして慎重すぎる友人たちにさえ、プーチンの「グレートゲーム」を破壊するためには、どこに反撃したらいいのか、わかってしまうだろうからだ〉※2

※2 アレクサンドル・カザコフ[原口房枝訳]『ウラジーミル・プーチンの大戦略』東京堂出版、21年

カザコフには今日の事態が2年前に予測できていた。これからのロシア情勢を予測するためには、プーチン大統領が胸の中に秘めている戦略を推定することが死活的に重要になる。そのためには価値判断をいったん保留して、ロシアの政治エリートの発言を詳しく分析する必要がある。

日本も「心情を切り離した」冷静なロシアの分析が必須

今回のロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナの主権と領土の一体性を毀損するとともに、既存の国際秩序を武力によって変更する、許すことのできない行為だ。日本、アメリカ、EU(ヨーロッパ連合)は団結してロシアを最大の言葉で非難し、最大限の経済制裁を加えている。しかし、経済制裁によってプーチン政権が倒れることはない。

ロシアウクライナに侵攻した以上は、東西冷戦終結後のロシア観は改めなくてはならない。ロシアは日本にとって現実的な脅威になった。

現在、日本のマスメディアは、当然のことであるがウクライナに同情的になり、ロシア叩きが進行している。ウクライナに対して少しでも批判的な発言をすると、インターネット空間ではバッシングの対象になるという状態だ。あえて言うが、このような現状は危険だ。情勢分析は、心情や価値判断をいったん括弧の中に入れて、冷静に行わなくてはならない。

太平洋戦争が始まると、日本人は「鬼畜米英」のスローガンを叫び、ルーズベルト大統領チャーチル首相のわら人形に竹槍を突き刺して戦意を昂揚させた。しかし、そのような形で士気を高めても、圧倒的な生産力の差がある日本がアメリカに勝つことは不可能だった。

対してアメリカは、文化人類学者を集めて日本人研究を行った。この報告書を基にして、ルース・ベネディクトは日本人論の古典である『菊と刀』を書いた。また沖縄人研究のプロジェクトが別途組まれ、その結果は『民事ハンドブック』にまとめられている。

日本にとって脅威となるロシアの論理と思考を理解していくことが、これから死活的に重要になる。そうしなくては、正しい対策を立てることができなくなるからだ。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官・同志社大学神学部客員教授