2022年上半期(1月~6月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年3月16日
ロシアプーチン大統領を説得できる政治家はいないのだろうか。国内では27回の首脳会談を重ねた安倍晋三元首相を特使に推す声がある。ジャーナリストの鮫島浩さんは「むしろ安倍氏は今回のウクライナ危機を受け、日本国内に米国の核兵器を配備する『核共有』の検討を提案している。安倍氏にはプーチン氏を説得しようという気はないようだ」という――。

■本来なら「欧米対ロシア」の仲介役は日本がやれるはず

核兵器保有を公認され、国連安保理で拒否権を持つ軍事大国ロシアが、国際法を自ら破ってウクライナに侵攻した。ゼレンスキー政権を転覆させ、ウクライナが欧米軍事同盟のNATOに加盟するのを軍事力でなりふり構わず阻止する構えだ。

ウクライナは「欧米vsロシア」の主戦場と化し、ウクライナに暮らす多くの人々の命が犠牲になっている。欧米主導の国際社会はロシアの暴走で国際秩序が崩れゆく現実を前に立ちすくんでいる。ロシアウクライナの双方と関係が深いイスラエルトルコが仲介の動きをみせるが、いまのところ成果を生み出せていない。

いま最優先すべきは、即時停戦を実現させて和平交渉の舞台を設置し、ウクライナの人々の命を守ることである。そのためにはウクライナだけでなく欧米とロシアの直接対話が不可欠だ。米国と覇権争いを続ける中国がただちに仲介役を買って出る気配はない。国連はロシアの拒否権行使を前になすすべがない状態である。

今こそ、欧州から遠く離れ、NATOに加盟しておらず、ウクライナをめぐる「欧米vsロシア」の対立とは一線を画すことのできる日本の出番のはずである。

しかも日本にはプーチン氏と27回も首脳会談を重ねた安倍晋三元首相がいる。

プーチン氏が2014年ウクライナの親ロシア政権が倒れた直後にクリミア半島を軍事力で併合して欧米との緊張が高まった後も、安倍氏は欧米の懸念をよそにプーチン氏と首脳会談を重ね、蜜月をアピールした。「ウラジーミル、シンゾー」と呼び合い、「ゴールまで2人の力で駆け抜けよう」と熱烈にラブコールを送った安倍氏の姿は、ロシアウクライナ侵攻を機に、記憶に蘇ってきた人も多いだろう。

今こそ安倍氏プーチン氏のもとへ駆けつけ、即時停戦を説得する時ではないのか。

■「27回の首脳会談」プーチン氏と個人的な親交を重ねたはずだが…

巨額の予算を投じ、欧米からの懸念を招いてまでプーチン氏と個人的親交を重ねたのだから、今こそ世界平和の回復のためにその人脈を駆使する時ではないのか――日本国民がそう感じるのは至極当然である。ところが安倍氏当人にその気はさらさらない。

安倍氏ロシアウクライナ侵攻して間もない2月27日テレビ番組で、こう解説した。

「(プーチン氏は)NATOを拡大しないはずだったのにどんどん拡大した米国に不信感を持っている。領土的野心ということではなく、ロシアの防衛という観点から行動を起こしている。それを正当化はしないが、彼がどう考えているかを把握する必要はある」「彼は『力の信奉者』だ。プーチン大統領を相手にする場合、最初から手の内を示すよりも『選択肢はすべてテーブルの上にある』という姿勢で交渉するのが普通ではないか」

そのうえで、持論である日本の国防力強化に話を移し、非核三原則を見直して日本国内に米国の核兵器を配備する「核共有」の検討を提案したのだった。

岸田文雄首相も安倍氏を対ロシア外交に活用する考えはなさそうだ。

3月8日の参院外交防衛委員会で、立憲民主党の羽田次郎氏が「積極外交を行う日本の姿が見えてこない」として安倍氏らを特使としてロシアへ派遣するよう提案したが、林芳正外相は「現時点で特使を派遣する考えはない。G7をはじめ国際社会と連携し有効と考えられる取り組みを適切に検討していきたい」と素っ気なかった。

■派遣先はロシアではなくマレーシア

岸田内閣が3月10日から安倍氏を特使として派遣したのはロシアではなくマレーシアだった。

安倍氏は当地で講演し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻について「われわれが目にしている危機は力による一方的な現状変更の試みであり、ルールに基づく国際秩序に対する深刻な脅威だ」とロシアを批判。「影響は欧州にとどまるものではなくアジアでも深刻な脅威だ。一致して反対の声を上げていくべきだ」と述べた。

ロシアや中国の軍事的脅威に対抗し、欧米との安全保障上の結束を強めるべきだとの立場を鮮明にした。プーチン氏に駆け寄って欧米との仲介を担う役回りを自ら封印したのである。

安倍氏は何のためにプーチン氏と個人的親交を重ねたのか。今のような重大局面でまったく役に立たない「首脳外交」とは何だったのか。

■安倍外交の本質①――歴史に名を刻むという国内的動機

そもそも安倍―プーチン外交は外務省が主導したものではなかった。安倍氏霞が関の両雄である財務省外務省を遠ざけ、経済産業省警察庁を引き立て、官邸主導の政権運営を進めたのである。

安倍氏2006年から1年の短命に終わった第1次政権で首相秘書官を務めた経産省出身の今井尚哉氏と警察庁出身の北村滋氏を2012年末の第2次政権発足後も最側近として重用。今井氏を首相補佐官に、北村氏を国家安全保障局長に引き立て、内政に加えて外交も主導させた。安倍―プーチン外交は外務省を脇に追いやり、今井・北村両氏が直接指揮して進めた「官邸外交」だった。

ロシアクリミアを併合した2014年以降、欧米は日露接近に神経を尖らせ、日米関係を最重視する外務省には安倍―プーチン外交への慎重論が強まったが、安倍氏は今井・北村両氏を押したてて外務省をねじ伏せ、プーチン氏との個人的親交を重ねたのである。

安倍氏の狙いは北方領土問題を解決して歴史に名を刻むという極めて国内的動機に基づくものだった。2016年12月プーチン氏が訪日した際は、地元の山口県で首脳会談を実施。平和条約問題を議論し、北方領土における共同経済活動に関する協議開始で一致するなど、前のめりな対ロ外交が展開されていった。

この今井・北村両氏の対露アプローチは、外務省が積み上げてきた従来の路線から逸脱していた。もちろんプーチン氏に北方領土交渉で譲歩するつもりはハナからなく、安倍―プーチン外交はロシアに「G7の分断」という成果を残すだけに終わったといっていい。

■安倍外交の本質②――国内の支持強化策として外交を利用した側面

小泉純一郎首相が勇退した2006年秋から第二次安倍政権が誕生する2012年末まで日本の首相は毎年目まぐるしく交代し、国際政治の舞台で日本の影は薄かった。安倍氏が憲政史上最長となる7年8カ月政権を維持し、各国首脳の間で「日本の顔」として定着したことは間違いない。

安倍氏は「地球儀を俯瞰する外交」を唱え、世界中を飛び回った。当初は中国に対する強硬外交が目立ったが、途中からは習近平政権と一定の信頼関係を築いたのも、安倍氏が国内権力基盤を固め、右派勢力を抑えることができたからであろう。安定した国内権力基盤こそが首脳外交に取り組む必須条件であることを安倍氏は示したといえる。

しかし、安倍氏が長期政権の恩恵を日本外交の得点に十分につなげることができたかは疑問だ。むしろ偉大な首相として歴史に名を刻む個人的野心や日本国内で内閣支持率を稼ぐためのパフォーマンスとして首脳外交を利用した側面は否めない。プーチン氏との蜜月を深めトップダウン北方領土解決を目指した対露外交はその最たるものといえるだろう。

マスコミ安倍氏の華やかな首脳外交「安倍外交」と持ち上げる一方、その成果を厳密に検証することはなく、国民には「やってる感」ばかりが伝わった。

安倍首相が権力を私物化していると指摘された森友学園事件や桜を見る会問題などで世論の批判を浴びながらも長期政権を維持した大きな要因のひとつは「安倍外交」の演出に成功したことだろう。

しかしそれが単なる「演出」に過ぎなかったことが今、ロシア軍ウクライナ侵攻明らかになりつつある。

■仲裁ではなく核共有論に言及

安倍政権は2020年秋に退陣した。今井・北村両氏は政権中枢を離れ、岸田政権では外務省主導の外交に立ち返った。安倍氏と地元・山口で長年の政敵である林芳正氏を外相に抜擢したことは、安倍氏の影響力低下を裏付けている。

外務省にとって安倍最側近の今井・北村両氏がロシア外交を牛耳った日々はまさに「悪夢」だった。あの時代には決して戻りたくはない――。林外相をはじめ外務省から安倍氏ロシアへ派遣するという構想がみじんも出てこないのはそうした事情による。

先述の通り、安倍氏は岸田政権で非主流派に転落した菅義偉前首相とも連携し、岸田政権を揺さぶり始めた。ウクライナ情勢の緊迫に乗じ非核三原則見直しを提起したのは、被爆地・広島を地元とし、ハト派宏池会を率いる岸田首相への強烈な牽制だ。

日本が非核三原則を見直して国内に核兵器を配備することは、米ロ英仏中5カ国以外への核兵器拡散を防止する「核拡散防止条約(NPT)」体制を根本から揺るがすものであり、国際社会が認めるはずがない。北朝鮮の核開発を強く批判してきた日本外交の自己否定でもある。安倍氏がそれを承知で議論を提起したのは岸田首相や林外相を揺さぶる政局的思惑の側面が強いだろう。

つまり、ロシアウクライナ侵攻という国際秩序を揺るがす重大局面において安倍氏が優先しているのは、欧米とロシアを仲裁する「外交」ではない。岸田政権を揺さぶるという極めて内向きな「政局」である。それが「外交の安倍」の実像だ。

■外交は、政権基盤を強化するための手段

首相在任中、安倍氏プーチン大統領と個人的な信頼関係を築いてきたと主張してきたが、現時点で全く役に立っていない。これは「安倍外交」の本質が、国内的動機や国内向けの実績を喧伝する手段に過ぎなかったことの証左といえるだろう。

仲裁を買って出るわけでもなく、国際社会からは隔絶した「核共有」論を声高に主張する元首相の姿は、7年以上に及んだ安倍外交の“真価”を端的に示している。

とはいえ、現政権は外務省主導の対米追従外交で「欧米vsロシア」の軍事対立がエスカレートする世界的な危機を乗り越えられるのか。

岸田政権はロシアへの経済制裁で欧米と歩調をあわせた。さらにウクライナに武器支援する欧米にならって防衛装備品の提供にも踏み切った。安倍政権下で武器輸出を事実上禁じる「武器輸出三原則」は撤廃されており、それに代わる「防衛装備移転三原則」の運用指針を変更して防弾チョッキなどの無償提供を断行したのだ。

人道支援や避難民受け入れとは明らかに次元の違う「軍事支援」である。プーチン氏が経済制裁を「宣戦布告」とみなして核兵器使用をほのめかすなか、ロシアと軍事的にも対立する姿勢を鮮明にしたのだ。

これは北方領土交渉に悪影響が出るというレベルの話ではない。日本の北に広がる軍事大国ロシアの脅威はもはやひとごとではなくなった。ロシアとの対立を深める欧米の背中を追いかけているうちに日本も重大な安全保障上のリスクを抱え込む事態になったのである。岸田政権にその自覚はあるのだろうか。

状況対応型でずるずる追い込まれる岸田政権の姿勢は内政でも同じだ。

■ウクライナ危機で露見した「安倍外交」の実像

安倍氏らが提案する「米国との核共有」について、岸田首相は当初「非核三原則を堅持するというわが国の立場から考えて認められない」と明確に否定していた。しかし、自民党内で非核三原則見直しを議論するべきだという声が高まると、岸田首相を支える茂木敏充幹事長からも「議論の余地はある」との声が出始めた。

経済制裁で日本国内でも原油価格は急騰し、消費者物価はじわじわ上昇しはじめ、国民の暮らしを直撃している。コロナ禍に続くウクライナ戦争で安全保障や国内経済の危機は強まっているが、外務省財務省が主導する従来型の政策決定を進める岸田官邸が事態の打開を主導する気配はほとんど感じられない。すべては状況対応型で後手後手だ。

欧米とロシア2014年以降、ウクライナを舞台として激しい主導権争いを続けてきた。日本は安倍長期政権の下、ウクライナ情勢にはまったく無頓着で、安倍―プーチンの蜜月外交を繰り広げてきた。ロシア軍ウクライナ侵攻国際法に反する断じて許されない暴挙だが、そうした事態を招いたのは欧米の対ロシア外交の失敗である。

そうしたなかでプーチン氏と関係強化を目指してきた日本に対して仲介役を求める声が欧米からもロシアからもその他の国際社会からもまったく上がってこないのは、いかに「安倍外交」が国際政治から遊離した頓珍漢な自己満足にすぎなかったかを物語る。

そして「安倍外交」にトラウマを抱く外務省主導の米国追従外交もまた国際社会から見向きもされていないのだ。ウクライナ情勢をめぐる国際政治のなかで日本の存在感の薄さは、この国の国力低下を如実に映し出しているといえるだろう。

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鮫島 浩(さめじま・ひろし
ジャーナリスト
1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディアSAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。

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2019年9月5日、東方経済フォーラムにて - 写真=AFP/時事通信フォト