2015年、ドラマで大統領役を演じて人気を博した当時コメディアンゼレンスキーは、勢いそのままに2019年の大統領選に出馬し当選。当時の支持率は73%を超える人気でした。その後、さまざまな問題で支持率を失ったゼレンスキー大統領となった彼にいったいなにがあったのか、彼を大統領に選んだウクライナ国民の心境とは……元外交官で作家の佐藤優氏が解説します。

テレビドラマの役だったはずが…本物の大統領に

2022年2月24日ロシアによる侵攻が始まるや否や、ウクライナゼレンスキー大統領は国民総動員令に署名した。18歳から60歳までの男性はウクライナからの出国を禁止され、ゼレンスキーは「市民よ銃を取れ」と煽り立てた。

そもそもゼレンスキーとは、どういう人物なのだろう。元コメディアンであるゼレンスキーの芸風は、あえて日本の例をあげるならば「志村けんバカ殿様」を想起させるものだ。開けっぴろげな芸風は、裏返して言うと庶民にきわめて近い。

15年、ゼレンスキーウクライナのドラマ「国民の僕」に出演して人気を博す。ゼレンスキーが扮する主人公は高校教師ゴロボロジコだ。

現職大統領の腐敗政治に憤慨する高校教師が「ウクライナの政治はおかしい」と言っているうちに、大統領選挙に立候補するはめになり当選する。しかし、腐敗政治家と寡占資本家(オリガルヒ)の開票操作により当選無効とされたうえで、反体制派と見なされて投獄されてしまう。

腐敗した大統領は、明らかに15年当時のポロシェンコ(14〜19年在任)を当てこすっている。

ドラマでは、2049年のウクライナ医科大学の授業が描かれる。

「今はどういう生活ですか。生活水準はどうですか」

「正常です。悪くないです」

「経済の発展によって、私たちは世界の中で最先端に立つようになりました。政治も経済も先進国です。しかし20年前はこんな状況ではありませんでした。教師の給与は足りない。光熱費さえ足りない時代でした。高齢者はものすごく貧乏な暮らしをしていて、古い車しか走っていない貧しい状態でした。当時の時代と今を比較してみることが重要です。2019年のウクライナ大統領は誰でしたか」

「クラフチュクです」

「それは2019年じゃなくて、1991年大統領でしょう。2019年の大統領によって、ウクライナの世の中は変わったのです」

ゼレンスキーが扮する高校教師は、投獄されてもなお腐敗政治と闘う。その高潔な人物が大統領になって大きな政治変化が起きたおかげで、ウクライナは世界の最先進国へと発展した。こういうストーリーだ。このドラマはテレビで爆発的な人気を得て、高視聴率を獲得した。

その勢いに乗ってゼレンスキーは19年3月の大統領選挙に出馬し、4月の決選投票でポロシェンコを破って当選を果たした。得票率は73%を超える。フィクションであるはずのドラマが、現実を上書きしてしまったのだ。

ドラマが上書きした現実は「大統領」だけではない

なおウクライナ戦争が始まって以降、オレクシー・アレストーヴィッチという大統領府長官顧問が記者会見に毎日出てくる。彼も元コメディアンであり、かつては女装で笑いを取っていた人物だ。

アレストーヴィッチはジョージア(旧称・グルジア)生まれのウクライナ人で、キーウ国立大学を卒業し、俳優になった。またカトリックの高等教育機関で神学を学んだ。その後、ウクライナ軍の諜報部門で勤務した。ゼレンスキーの側近のほとんどが、ドラマ「国民の僕」に出てきたスタッフによって固められている。

なお22年5月から、Netflixで日本語字幕つきのドラマ「国民の僕」が配信されている。興味がある読者は観賞してみるといいだろう(特に第3シリーズ)。

ヨーロッパ最貧、政治は腐敗…改革を求めたウクライナ

1991年12月にソビエト連邦が崩壊した当時、ルーブル(ソ連の基軸通貨)は紙切れ同然になり、92年にロシアでは2500%というハイパーインフレになって経済は崩壊した。ウクライナは新通貨を導入したが、93年のインフレ率は4700%になった。ロシア経済もウクライナ経済も破滅的な状況に陥り、ポスト冷戦の時代がスタートした。

ところがその後、ロシアウクライナの経済格差は大きく広がる。ロシアの一人当たり名目GDP(国内総生産)は、1万1273ドル(146万4000円)だ(2021年、JETRO=日本貿易振興機構の公開情報による)。それに対して、ウクライナの一人当たり名目GDPは3726ドル(48万4200円)でしかない(20年、世界銀行)。

ウクライナの人口は4159万人(21年、クリミアを除く/外務省 基礎データ)だが、ロシアには1億4617万人(21年、JETRO基礎統計。ロシア連邦国家統計局による)もの人口がいる強みもある。

ヨーロッパにおける最貧国グループに属するウクライナでは、トップによる腐敗と汚職が蔓延してきた。政権が替わるたび政治も経済もガタガタし、国家体制をまともに構築できない。

「チョコレート王であり、ガラス王であり、造船王でもあるポロシェンコは、私腹を肥やすばかりで国民のための政治をやろうとしない。民衆の声を反映する政治を実現するべきだ」

ゼレンスキーは本気でそう思ったからこそ、大統領選挙に出馬した。

ポロシェンコ政権が存続する限り、ウクライナの問題が何ひとつ解決しないことは明らかだった。平和と経済復興を願う民衆の望みによって、ゼレンスキー大統領は必然的に誕生したのだ。問題は彼が手がけたその後の政治だった。

自爆型ドローンでロシアを煽ったウクライナの責任

民主的な制度がまだ十分でないウクライナでは、テレビの影響がとても強い。なにしろゼレンスキーは元コメディアンだから、ユーモアのセンスもあるし、どのようにパフォーマンスすれば自分がより画面映えするか熟知している。未来の理想像を、ビジュアルな形で国民に示す彼の戦略は当たった。

「この人が大統領になれば、国が一挙に変わる」

7割以上の国民が本気でそう信じた。

ところが、あっという間にゼレンスキーの支持率は40%まで下がる。戦争が始まったときには、20%台にまで支持率はガタ落ちしていた。

ロシア派武装勢力は、ウクライナ東部のドネツク州やルハンスク州を実効支配し続けている。ミンスク合意は破綻したまま、ロシアとの和平はいっこうに実現しない。

2021年10月には、ゼレンスキーが海外のタックスヘイブン租税回避地)に資産を隠していた事実が明らかになった。「これではポロシェンコ大統領の時代と、政権の腐敗は変わらないではないか」「政権が腐敗したままなのだから、道理で国内経済なんて改善しないわけだ」。国民はソッポを向き、ゼレンスキーの支持率はみるみるうちに落ちていった。

危機感に駆られたゼレンスキー政権は、21年10月以降ナショナリズムに訴えて国をまとめようとし始める。ドネツク州やルハンスク州、クリミアから親ロシア派武装勢力を追い出し、ウクライナの実効支配を貫徹しようと考えたのだ。

21年10月、ウクライナ軍は自爆型ドローン(無人攻撃機)「バイラクタルTB2」を使って親ロシア派武装勢力への攻撃を開始した。この行為はロシアを非常に強く刺激した。

自爆型ドローンによる攻撃が、軍部だけをピンポイントで傷つけるとは限らない。ドローンの攻撃によって、無辜の民間人が巻きこまれて犠牲になる可能性がある。ウクライナが自爆型ドローンを使用したことが明らかになると、ヨーロッパ諸国が非難声明を出した。

3つの地方を「単一のウクライナ」にすることは困難

前述のように、ゼレンスキーナショナリズムを煽ることによってウクライナをまとめようとしている。だがウクライナはけっして一枚岩ではない。西部と中間部、南部のクリミアや東部では、歴史も文化もそれぞれ異なる。それを一つの国としてまとめるのは至難の業だ。

エマニュエル・トッドフランス人の歴史人口学者)の分析を見ると、ロシアウクライナではそもそも家族様式が根本的に異なることがよくわかる。

ロシア共同体家族(結婚後も親と同居、親子関係は権威主義的、兄弟関係は平等)の社会で、ウクライナ核家族(結婚後は親から独立)の社会です。

共同体家族の社会は、平等概念を重んじる秩序立った権威主義的な社会で、集団行動を得意とします。こうした文化が共産主義を受け入れ、現在のプーチン大統領が率いる「ロシアの権威主義的な民主主義」の土台となっているわけです。

ですから、西側メディアが、「戦争を引き起こした狂った独裁者」としてプーチン一人を名指しして糾弾するのは端的に間違っています。プーチンは、こうした社会にふさわしい権力者だからです。

他方、ウクライナ社会は、かつて共産主義国を生み出したロシア社会とは異なります。(中略)おおよそ核家族構造を持っていて、個人主義的な社会です〉

※「文藝春秋」2022年5月号

こうした素地の違いがあるため、1930年代の農奴集団化は、ロシアでは比較的すんなりうまくいった。集団行動を得意としないウクライナは、農奴集団化に激しく抵抗する。その結果、現在のウクライナ政府が「ホロドモール」と呼ぶ大規模飢餓が発生し、数百万人以上もの民衆が犠牲になった。

エマニュエル・トッドは〈ウクライナに「国家」が存在しない〉と主張する。

核家族は、英米仏のような自由民主主義的な国家に見られる家族システムです。しかし民主主義は、強い国家なしには機能しません。個人主義だけでは、アナーキーになってしまうのです。問題は、ウクライナに「国家」が存在しないことです。しかも西部(ガリツィア)、中部(小ロシア)、東部・南部(ドンバス・黒海沿岸)という三つの地域間の違いが著しく、正常に機能するナショナルの塊として存在したことは一度もありません〉(同)

9世紀末から13世紀にかけてできたキエフ・ルーシ(キエフ公国)から、西部のガリツィアが分離した。そのウクライナ民族は、いまだ形成途上だ。ウクライナでは2004年にオレンジ革命が、さらに14年にはマイダン革命が起きる。上からの強力なナショナリズムによって、政治指導者は「ウクライナ民族」なる塊をつくろうとしてきた。

エマニュエル・トッドが指摘するように、「単一のウクライナ」なるものは歴史上一度も存在したことがない。こうしたウクライナの素地が、今回の軋轢の根本にあると私は見ている。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官・同志社大学神学部客員教授