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 楽天から中日にトレードで移籍した涌井秀章投手が25日に入団会見を行い、新たに空き番になっていた背番号「20」をつけることが発表された。プロ野球ではエースナンバーは「18」とされることが多いが、中日は「20」となっている。

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 これは中日球団の歴史に関係している。過去に杉下茂権藤博と球史に残る名投手が入団1年目からつけたことに由来する。杉下は1リーグ時代から活躍した投手で通算215勝。フォークボールの先駆者で「フォークの神様」とも呼ばれている。

 権藤も1年目には35勝を挙げて最多勝最優秀防御率などのタイトルに輝き、新人王にも選ばれた。連投を重ねたことから「権藤、権藤、雨、権藤」が当時の流行語にもなった。2人とも球界の重鎮として現在も活躍している。

 その後、燃える男・星野仙一がつけることになったが、1969年の入団時は「22」で、3年目にエースナンバーに変更した。この時点でエースがつける数字として既に定着していたようで、速球で一時代を築いた小松辰雄も7年目の84年に「34」から「20」に切り替えた。

 その後は韓国出身の守護神・宣銅烈リリーフエースとして継承したが、21世紀になってからは川崎憲次郎中田賢一、野村亮介と続いて、2018年以降は空き番になっていた。

 川崎はヤクルトからFA移籍したが、移籍1年目で右腕を故障。野村もドラフト1位指名で入団しながら1軍登板はわずか3試合に留まった。中田も主力と期待され、14年に14勝を挙げたが、それ以外は1桁の勝ち星に留まった。背番号の重みに負けてしまったのかもしれない。

 「20」が復活するのは2017年以来、6年ぶりで、涌井は「トレードで来て、ドラゴンズのエース番号をいただけたのは、それだけ期待されているということ」とコメントした。果たしてエースナンバーに恥じぬ活躍をすることができるか。

 涌井は過去に西武、ロッテ、楽天の3球団に在籍したが、背番号は「16」と「18」だった。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

なぜ中日は背番号「20」がエースナンバーなのか 涌井が選択したことでも話題