
(文中敬称略)
ロシア軍のヘルソン市撤退によって、沿ドニエストルが駐留ロシア部隊とともにウクライナに侵攻する機会はほぼなくなった。
目下の軍事情勢に最も安堵しているのは沿ドニエストル当局かもしれない。
ウラジーミル・プーチンに強制されて参戦していれば強力なウクライナ軍の反撃を食らい政権が崩壊する可能性すらあっただろう。
開戦直後から堅持してきた中立政策が功を奏したといえよう。しかしながら危機が去ったわけではない。
冬季に入りロシアは親欧米的なモルドバへの天然ガス輸出を削減しているが、その影響で沿ドニエストル向けガス供給量も大きく減少、経済危機を超えた「人道危機」が域内で進行している。
3者の奇妙な依存関係
沿ドニエストルに供給される天然ガスは、ロシア・モルドバ契約(正確に記すとガスプロム・モルドバガス社契約)に従属している。
1992年の停戦以来、沿ドニエストルはモルドバから「事実上の」分離独立状態にあるとはいえ、国際的な国家承認を得ていないためだ。
ロシア語住民が多数派を占める沿ドニエストルを長きにわたり支援しているロシアですら国家承認していない。
現行のガス契約(2021年10月調印)によると、価格はEU市場における石油製品および天然ガス価格(TTF)から算出される(ウェイトは夏と冬で入れ替わる)。
また、モルドバ側が支払うのはモルドバが受け取った分のみである。本来であれば、沿ドニエストルもガスプロムに支払うべきであるのだが 2005年以来、不払いが続いている。
その間、ガスプロム社は債務累積を黙認して沿ドニエストルに供給を続けている。
これは事実上のロシアの経済援助といっていい。
「無料」の天然ガスは、沿ドニエストル消費者に安価なガス料金をもたらし、これをエネルギー源とした産業が沿ドニエストル経済と貿易輸出を支えてきた。
一方で、モルドバもエネルギーの対外依存が極めて高い国である。
天然ガスは完全に輸入依存であり、電力も7~8割を域外に頼っている。電力の輸入源は、沿ドニエストルとウクライナである。
特に安価な沿ドニエストル電力は貧しいモルドバにとって他に代え難く、2021年度のモルドバ輸入電力の95%を占めていた。
こうした関係は、ロシアのウクライナ全面侵攻後も維持されてきた。
ロシアのガスプロム社はウクライナにパイプライン輸送料を支払ってモルドバ(沿ドニエストル分含む)にガスを供給、モルドバはガスプロムにガス代金を支払い、そして沿ドニエストルは(ガスプロムにガス代金は払わず)火力発電を行いモルドバに電力輸出を続け外貨を獲得してきた。
このようにして見ると、ロシアの天然ガスを用いた沿ドニエストル支援は、モルドバへの電力輸出とセットであることが分かる。
沿ドニエストルの対外貿易においてモルドバが輸出の第1位、ロシアが輸入の第1位をそれぞれ占めている理由もこの文脈から理解できよう(グラフ参照)。
壊れる天然ガス・電力関係
ロシアがモルドバを巻き込んで作り上げた巧妙な沿ドニエストル支援システムは崩壊に向かっている。
ガスプロム社は、「ウクライナがパイプライン輸送を制限したため」と称して、10月期のモルドバ(沿ドニエストル含む)向けガス供給量を契約量の3割減とした。
モルドバ向けは沿ドニエストルを含むため、沿ドニエストルの取り分も減少、沿ドニエストルのガス火力発電の減産、対モルドバ電力輸出の減少につながった。
沿ドニエストルの火力発電所は、全発電量の8割を対モルドバ輸出に回しているが、これは域内ガス消費量の4割分に相当する。
域内消費を優先するのであれば、電力輸出にシワ寄せがくる。
モルドバは電力不足をウクライナからの輸入で埋めようとしたが、ロシアのエネルギー・インフラへの攻撃を受けてウクライナは電力輸出能力を喪失してしまった。
それだけではない。
ロシアのウクライナ電力インフラ攻撃によりウクライナ南部で大規模な停電が起きると、旧ソ連時代の電力システム網で接続されているモルドバ、沿ドニエストルでも停電が発生してしまう。
11月期にガスプロムが縮小幅を契約量の5割に拡大すると、沿ドニエストルのガス不足はさらに深まり、不可抗力が宣言され対モルドバ電力輸出が完全に停止された。
沿ドニエストルとウクライナという2大輸入源を断たれたモルドバは、沿ドニエストル電力に比べて単価が2倍以上のルーマニア電力の輸入に切り替えざるを得なくなった。
3月に同期試験に成功した欧州送電システム運用会社ネットワーク(ENTSO E)が役に立った形だ。
ただ、モルドバ・ルーマニア間の送電容量は十分ではなく、モルドバ国内では節電・計画停電が実施されている。
他方でソ連時代に構築された電力システム網でウクライナ・沿ドニエストル・モルドバはつながっている。
そのため、ロシアのウクライナ電力インフラ攻撃よりウクライナ南部で大規模な停電が起きると、モルドバ、沿ドニエストルでも停電が発生してしまう。
天然ガス不足については、モルドバは短期的には省ガス政策とルーマニアおよびウクライナ領内の地下貯蔵庫に備蓄したガス、国内火力発電所の重油、石炭への転換で乗り切る予定である。
ガス不足の影響は、発電の減産のみならずガスを消費する主要企業、すなわち冶金工場、繊維工場、セメント工場の操業停止にまで及んでいる。
沿ドニエストルの2021年統計によると、鉄鋼・電力・繊維合計で全輸出額の4分の3を叩き出している。
もとよりロシアのウクライナ侵攻で、沿ドニエストルは貿易パートナーと通商ルートを失い甚大な影響を蒙っているところに加えての輸出産業の稼働停止である。
また、トローリーバスの間引き運転、停電など、市民生活にも影響が生じており、沿ドニエストル当局は「経済危機」に続いて、「人道危機」を宣言するに至っている。
国際ドナーがいない沿ドニエストル
11月21日、モルドバ政府は12月期のガスプロムのモルドバ向けガス供給量は契約量のマイナス56.5%と発表した。
しかしながら、翌日、ガスプロムは、モルドバ向けガスの一部がウクライナ領内のパイプラインで抜き取られていることを示唆して、さらなる削減を予告してきた。
ガス需要が高まる冬季に親欧米的モルドバ政権に負荷をかける意図は明白だ。
実際、モルドバでは年始以来、国内ガス料金は6倍、電気料金は3倍に跳ね上がっており、10月以降のガス・電力の絶対量不足が加わって、政府に対する批判が高まっている。
「西側寄りの政策がロシアを挑発しエネルギー危機を招いた」と主張する親ロ派政治勢力のデモも頻発している。
しかし、少なくともモルドバには代替供給源がある。
ガスはEU市場から調達しウクライナ領経由で輸入でき、電力もルーマニアから輸入している。また、EUからエネルギー購入の信用や援助を受けている。
一方で、沿ドニエストルは国際社会から承認されていないため、ロシア以外のドナーは想定できず、代替供給源の確保が困難である。
ロシアは沿ドニエストルの危機を「パイプライン輸送を妨害する」ウクライナと「沿ドニエストルの取り分を奪っている」モルドバに責任転嫁して、「モルドバ・ウクライナ=悪」「沿ドニエストル=無垢な被害者」というお約束の二項対立図を描き出している。
しかし、既に見たように、ガスプロムのモルドバ(沿ドニエストル分含む)への供給削減が危機の主因である。
ロシアはウクライナやその連帯者にコストを強いることに血道を上げ、沿ドニエストルを顧みる余裕はない。
今のガス削減状態が続けば、モルドバよりも先に沿ドニエストルが干上がるのは明らかなのだが・・・。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] プーチン戦争に巻き込まれ苦悶する沿ドニエストル
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