マジックとは奇術(手品)のことだ。人間の錯覚や思い込みを利用し、実際にはタネも仕掛けもあるものの、あたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける技のことである。
マジックの歴史には、「脱出王」の異名を持つハリー・フーディーニや、「鳩出し」で有名となったチャニング・ポロックまで、さまざまな特色がある。
こうした世界のマジシャンたちについて知り、奇術という言葉の由来、カップ・アンド・ボールのマジックに夢中になっていた古代ローマの観客たちが、自分のポケットを注意しなくてはならなかった理由など、楽しく魅惑的なマジックの事実を見ていこう。
【画像】 1. 世界最古のマジックは、2000年前のカップ・アンド・ボール
舞台マジックの最古の記録は、少なくとも紀元1世紀にさかのぼることが確認されている。カップ・アンド・ボールマジックは、ほとんどの人が一度は見たことがあるだろう。
ボールをカップの下に隠して、その位置を変えると、まるでボールが意志を持っているかのように、消えたり、また現れたりする。
とてもおもしろい手品だが、ギャンブルや詐欺が絡んだ悪質な歴史もある。
このトリックの使い手が、ボールの入ったカップを素早く立て続けに動かして、今ボールがどのカップの中にあるかを当てさせて、観客から金を巻き上げることができるのだ。
・合わせて読みたい→こいつはとんだ営業妨害。ニュース中継の後ろでは大掛かりなマジックが展開されていた
ヒエロニムス・ボスは、1502年に観客の前で奇術を披露している『手品師』という絵を描いている。
ヒエロニムス・ボスの絵画「手品師」 / image credit:public domain/wikimedia
よく見ると、手品に気をとられている観客のひとりから、詐欺師が小銭入れを盗もうとしている。こうした詐欺行為は、何世紀にもわたって、手品師たちの評判につきまとってきた。
2. 英語で書かれた最古の奇術書は1584年のもの
レジナルド・スコットが1584年に書いた『魔女術の発見』は、オカルト芸術に関する懐疑的な暴露本のようなものだった。
人を奇術でかどわかすのは、不合理で、キリスト的精神に反するという確固たるスタンスを貫いている。
これは多くの人々、とくに魔術を信じ、嫌ってもいたスコットランド王ジェームズ6世を怒らせた。
イングランドのジェームズ1世となったとき、王はこの本の初版本のほとんどを燃やすよう命じたという。
・合わせて読みたい→オカルトめいた演出で人々の潜在意識を刺激。ビクトリア時代のビンテージレトロなサーカスポスター
この話は伝説にすぎない一方、王が魔術を否定するこの本を、心底軽蔑していたことはわかる。王は自分で実際に本を書き、スコットの"許しがたい意見"を非難している。
『魔女術の発見』には、手品や舞台マジックに関する部分も含まれている。
本当に魔術が行われているという考えを否定し、人々が詐欺にあうのを防ぐ意味合いもあった。
"洗礼者ヨハネの斬首"のような通常の舞台トリックを覆す図表も含まれている。
洗礼者ヨハネの斬首の図 / image credit:public domain/wikimedia
1651年版ののタイトルページによると、この本の目的は、「魔術師の悪だくみと共謀」、「魔術師の不敬な冒涜」、そしてもちろん「中毒性の恐ろしい罠と、曲芸や奇術のあらゆるトリックや手管」の完全解読を目指すものだという。
3. 魔術師はかつてジャグラーと呼ばれた
複数の物を空中に投げたり取ったりを繰り返す「ジャグリング」というのは、基本的に現代のマジック用語で、これを行う人をジャグラーという。
だが15世紀当時、手品という意味の「legerdemain」という言葉は、指先を素早く動かすことのできる奇術師のことをさすのに使われた。
中世フランス語に由来し、文字どおり"手先の器用さ"を意味する。それが英語になったとき、「leger de main」がひとつの単語として名詞化された。現在、私たちになじみのある「Sleight of hand」(手先の早業)という言葉に代わるものだった。
「Sleight」という単語は、古ノルド語の"ずる賢い"という意味の言葉が語源になっている。
4. "ニュルンベルグの小男"マチアス・ブヒンガー
17世紀から18世紀にかけてのマジック界で、もうひとりの注目すべき人物は、ニュルンベルグの小男として知られたマチアス・ブヒンガーだ。
彼は生まれながらに手足がなく、身長も73センチしかなかったが、カップ・アンド・ボールなど、多くの奇術を行うことができたという。
マチアス・ブヒンガー / image credit:public domain/wikimedia
5. 物理学を利用してマジックを行ったジョージア・ワンダー
1885年、ジョージア・ワンダー(別名ルル・ハースト)という10代の少女が、薄暗い劇場に集まった大衆の前で驚くべきマジックを披露した。
聴衆の中から選ばれた3人の大柄な男たちが、指示通りに椅子をしっかり押さえた。すると、電気を帯びた嵐の中で超能力を得たとされる、ジョージアが近づいてきて、さっと椅子に触れた。
3人の屈強な男たちががっちり押さえているにもかかわらず、椅子がとんでもない勢いで飛び始めたのだ。群衆はこのパフォーマンスに熱狂した。
ジョージア・ワンダーは、自然の法則を無視したように見える、このマジックで聴衆を沸かせた奇術師のひとりだ。
ジョージアの場合、ショーマンシップとストーリーテリング、そして、物理学の「軸と支点の定理」の高度な理解をうまく組み合わせたショーを演じたのだ。
以下の写真は、ルルが男たちの体重を逆手にとって操作するために、てこの支点を利用して、常識をくつがえしたかのように見せたトリックだ。
ジョージア・ワンダーのマジック / image credit:public domain/wikimedia
だが、現実の科学を利用して、多くの人に自分には超能力があると信じさせるのがマジックでないのなら、なにがマジックなのか、わからない。
6. マジシャンの手引書「ホーカス・ポーカス・ジュニア」
古い時代の舞台マジックについて、アドバイスが欲しいのなら、事欠かない。例えば、1634年の本『ホーカス・ポーカス・ジュニア:The Anatomie of Legerdemain』は、手品の解剖学、つまり奇術の技を適切な色で完全に、わかりやすく、正確に説明していて、ド素人でも、少し練習すれば、完璧に学ぶことができる可能性を秘めている。この本では、次のようにアドバイスしている。
第一に、無謀とも思えるくらいの、大胆な精神の持ち主でなくてはならない。
第二に、敏捷であざやかな手管を見せなくてはならない。
第三に、奇妙な用語や強調された言葉を使わなくてはならない。
第四に、こちらのやり方を、厳しく入念に観察する観客の目をそらすような身のこなし
7. マジックには知識と頭の良さが必要
19世紀の有名な奇術師、ハリー・ケラーのアドバイスは次のようなことだ。
完璧に秩序立った、実際に自動的に刻み込まれる記憶、おびただしい言語の知識、これらが多ければ多いほど良い
自分の頭を切断する」という、ハリー・ケラーの最新トリックを紹介する劇場ポスター / image credit:public domain/wikimedia
8. マジシャンに必要なのは器用さ
19世紀のフランス人の奇術師、ジャン=ウジェーヌ・ロベール・ウーダンは、次のようなアドバイスをした。
奇術師として成功するには、3つのことが不可欠だ。一にも器用さ、二にも器用さ、なにはともあれ器用さである
この名前になんとなくピンときたら、それはロベール=ウーダンが、本名エリク・ヴァイス、つまりあの有名なハリー・フーディーニに、インスピレーションを与えたからだろう。
Jacques Neve presents: The “Three-Mystery Clock” by Jean-Eugene Robert-Houdin c.1850
ロベール=ウーダンは舞台マジックを芸術として認めさせることに貢献した。1805年、フランス、ブロアで生まれたロベール・ウーダンは、近代奇術の父と称される。
家業である時計職人の仕事を歩み始めたが、マジックにはまってしまった。ジョセフ・セシル・ウーダンと結婚し、その名前を名乗って、ついにはパレ・ロワイヤルに自分のスペースを持つまでになった。
この場所は、通常の劇場よりも催し物で使われることが多く、マジックを披露する会場としては、かなり格式の高い所だった。
ロベール=ウーダンは、当時の多くのマジシャンが着ていた華やかで凝った衣装ではなく、普通のイブニングスーツでステージに立った。
ロベール=ウーダンのマジックは、すぐに観客を魅了した。綿密なリハーサルを重ねたマジックやメンタリズムを取り入れ、自身で作った電気で動く自動人形ロボットなどを使ったりした。
彼のそんな自動人形が、サーカス王のP. T. バーナムの目の留まり、1844年に彼は購入している。
ロベール=ウーダンのマジックは、高く評価され、フランス政府からアルジェリアへのマジック使節団の派遣を依頼されるほどだった。
この植民地では、地元の宗教指導者マラバウトが、部族の心をつかむ独自のマジックを行っていた。
ロベール=ウーダンの任務は、フランスのマジックのほうが優れていることを示すためだったが、どうやらこれはうまくいったらしい。
9.ロベール=ウーダンに牙をむいたハリー・フーディーニ
ハンガリーのブダペスト市出身で、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師の「ハリー・フーディーニ」は、「不可能を可能にする男」という評価を得て「脱出王」の異名を取った人物である。
1908年、ハリー・フーディーニは、ロベール=ウーダンのトリックを細かく分析した『The Unmasking of Robert-Houdin』を出版し、「至高のエゴイズム」として、彼を攻撃した。
本には、「ロベール=フーダンの回顧録の偏狭さ」、「彼自身のペンが暴露した、ロベール=フーダンのマジックに対する無知」といった章があり、フーディーニは彼のことを、"ただの気取り屋で、他人の頭脳労働で偉そうに振る舞う男"とこきおろしている。
フーディーニが突然、自分の芸名にその名をもらったほど尊敬していた人に反旗を翻したことはショックだが、それはパフォーマーとしての彼自身の不安の表われだと言う人もいる。
それはまた、過去のライバルさえも犠牲にして、自分を高める必要性だとも考えられる。
だが、このふたりの男たちが、名前以上のものを共有していたことを考えると、フーディーニ自身に対して向けられる批判に対する、彼のエゴと精神が許す範囲での、反応の仕方だったのかもしれない。
ハリー・フーディーニ(1899年の宣伝写真) / image credit:WIKI commons
10. 20世紀始め、マジシャンのための重要な組織が誕生
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ステージマジック様式を変えるマジシャンたちが登場した。
ハリー・ケラー、ハワード・サーストン、ハリー・ブラックストーンらが、大規模な劇場型マジックショーを行い、すべてが素晴らしいポスターで宣伝された。
ハワード・サーストンのマジックショーのポスター(1914年) / image credit:public domain/wikimedia
1905年にマジック・サークル、1922年にはインターナショナル・ブラザーフッド・オブ・マジシャンズという、世界中のパフォーマーのための組織ができた(1991年まで、女性はマジック・サークルに入れなかった)。
1970年代、ブロードウェイにダグ・ヘニングが登場して、再びステージ・イリュージョンを主流にした。ステージマジックは、テレビで放映されてヒットし、ラスベガスを制覇した。
References:14 Facts About the History of Magic / written by konohazuku / edited by / parumo
コメント