「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」というワンセンテンスは、日本文学の中で最も有名な書き出し。

ところで以前ツイッター上では、トンネルを抜けた際…でなく、トンネル内部で発見された「衝撃的な光景」に、驚きの声が寄せられていたのをご存知だろうか。

【話題のツイート】ここトンネルの「中」ですよね…?


画像をもっと見る

■「トンネルの中」で遭遇したのは…

今回注目したいのは、日本各地で生きる人々の生活や昔の記憶、伝承などを記録して著作にまとめている紀行写真家・道民の人さんが投稿した1件のツイート

こちらの投稿は「愛媛県八幡浜市には『トンネルの中にトンネルがあるトンネル』という謎の道路が存在する。5mほどの幅のトンネルが、途中で3mちょっとという軽自動車がギリギリ通れるくらいの広さに小さくなってしまう」と、奇妙な構造をしたトンネルについて綴られている。

大峠隧道

果たしてそのようなトンネルが実在するのだろうかと、半信半疑で添えられた写真に目をやると…そこには確かに「内部にトンネルを有したトンネル」の様子が確認できたのだ。


関連記事:一見普通の信号機、じつは「日本一危険」と判明 凄まじい初見殺しが話題に…

■「めちゃくちゃ気になる」と反響

大峠隧道

ちなみに「トンネル」の定義について「日本トンネル技術協会」公式サイトでは「一般に『2地点間の交通と物資の輸送あるいは貯留などを目的とし、建設される地下の空間』で断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空間をいいます」と説明している。

こうした目的を考慮すると、余計に「トンネルの中にトンネルが存在する」理由について、謎が深まっていくばかり…。記者同様に戸惑いを感じた人々はかなり多いようで、件のツイートは投稿から数日で約3,000件ものRTを記録するほど、大きな話題に。

ツイッターユーザーからは「閉所恐怖症なので、絶対無理です…」「地元民ですが、知りませんでした」「めちゃくちゃ気になる。一回行ってみたい」といった具合に、反響の声が多数寄せられていたのだ。


■慣れないうちは注意が必要?

過去にも北海道の主張が強すぎるバス停や、山形県の「芋煮愛」を感じさせるベンチなどのツイートが話題になるなど、日本全国を訪れているツイート投稿主・道民の人さん。

愛媛県

じつは本人は大の四国好きで、今回改めて話を聞いたところ「今では年に最低4回は四国に行かないと気分が優れなくなります」というコメントも飛び出し、もはや「四国ジャンキー」と呼んでも過言ではないほどの熱愛ぶりであった。

話題となったトンネルの存在自体は以前から知っていたそうで、実際に車で通過した感想については「軽自動車でも車幅がギリギリで、トンネルの中にトンネルがあることから距離感も狂い、慣れないと通りにくいなあ…とヒヤヒヤしました」とも振り返っている。

大峠隧道

話題のツイートには「なぜこのような構造のトンネルが生まれたのか」という経緯をまとめたツリー投稿が連なっており、道民の人さんの四国愛はもちろん、探究心の強さが感じられた。

そこで今回は件のトンネル「大峠隧道」の詳細をめぐり、愛媛県の「八幡浜市役所」に詳しい話を聞いてみることに。その結果、じつに驚きの「舞台裏」が明らかになったのだ…。

■このトンネル、歴史が激動すぎる…

まずは早速、同市の「総務企画部」に、ことの経緯を説明したところ、担当者の口からは「ガリバートンネルの件ですね」という興味深いフレーズが飛び出し、やはり市内関係者の中では有名なスポットであるようだ。

続いては「ガリバートンネル」こと、大峠隧道の詳細について「産業建設部 建設課」に話を聞いてみることに。トンネルが存在する「市道宮内伊方線」の歴史を紐解くにあたり、同課の担当者は「こちらの道路は藩政のころ、隣町(三机・三崎 現:伊方町)へ行く重要な道でしたが、標高が250mで交通の便に恵まれない、幅員2m程度の山道でした」と、江戸時代の交通事情について強調する。

時代は流れ、1951年昭和26年)には地元民からの強い要望を受け、道路拡幅工事と併せてトンネル工事を着手。トンネルを掘削するに当たっては「本坑」を掘削する際の地質把握や水抜きとして利用するため、本抗に先行して全断面のうちの一部を掘った小さな孔道「導坑」を掘る必要があり、年内に60m、翌年に50mの計110mとなる導坑が完成した。

しかし52年(昭和27年)9月の秋雨により導坑中央部3か所で崩落し、トンネルが不通となる事態に。58年(昭和33年)には再びトンネル工事を推進し、事業再開として本坑工事をスタート。同時に、崩落した導坑部の復旧も完了させている。

大峠隧道

だがその後、新国道197号の建設計画が浮上したことにより、トンネル工事が中断。そのため本坑と導坑の「ダブルトンネル」状態のまま、現在に至っている…というのが、ことの経緯であるようだ。


■未完成ゆえの「完成形」

全延長110mの大峠隧道は本坑部50m、坑部60mという構造をしているため、半分ほど通過した辺りから幅員がグッと縮小するのが特徴。

大峠隧道

それぞれの幅員は本坑部が3.9mから4.6m、導坑部が2.5mとのことで、担当者は「軽自動車なら通行可、運転が上手な方であれば普通車でも通行可ですが、大型車は通行不可となっています。そもそもトンネルまでの道が通れません…」と説明する。

同トンネルの今後の展望については「現時点で拡張することは考えておりません」と前置きしつつ、「導坑完成後約70年を経過しており、老朽化が進行しています。今後は今のダブルトンネルという独特な形状を保ったまま、補修工事を行なっていく予定です」とのコメントが得られたのだ。

最後に、取材序盤に耳にした「ガリバートンネル」という通称名について尋ねたところ「以前、地元の新聞やテレビで『ガリバートンネル』という名前で紹介されたことがあったのです。通行している人(車)自身が大きくなったり、小さくなったりという気分を味わうことができ、まさにこのトンネルにぴったりの名前だと思います」という回答が返ってきた。

大峠隧道

当初の青写真を考慮すると「未完成」の状態である大峠隧道だが、時が流れて「完成形」へと昇華し、尚且つその状態で補修工事が加えられるというのは、なんとも興味深い現象といえるだろう。

しばしば人生における比喩表現では、トンネルという存在が例に挙げられるもの。概して「先が真っ暗で不安な時期」を表現する際に引用されがちだが、大峠隧道は当初の予定や目標から逸れた形で完成してしまったものも、後に思わぬ形で評価されたり、スポットライトが当たる可能性がある…という人生の教訓を、我々に説いてくれた気がしてならない。

・合わせて読みたい→女性宅の庭に運ばれ続ける人骨 警察の捜査で判明した意外な「犯人」とは

(取材・文/Sirabee 編集部・秋山 はじめ

日本一初見殺しなトンネル、内部構造に目を疑う ドライバーは「絶対無理です…」