2014年7月30日に、TVアニメアオハライドエンディングテーマブルー」を含むニューシングルブルー/WIREDリリースをしたフジファブリック。『ダ・ヴィンチ』8月号では彼らを特集、メジャーデビュー10周年を迎え、ボーカリスト志村正彦の死を乗り越えたメンバー3名のインタビュー、さらに同誌2004年4月に掲載された志村正彦によるコラムを再掲載している。

関連情報を含む記事はこちら

 ここでは、現在志村に代わってボーカルを務めている山内総一郎のインタビューから一部を紹介する。

――07年は11月にはシングル若者のすべて』がリリースされて、08年1月に3rdアルバムTEENAGER』を発表。『若者のすべて』はファンから愛され続けている名盤ですね。

【山内】『若者のすべて』は、みんなでスタジオに入って何パターンアレンジを作ったんです。今のアレンジにすることが決まった後で、志村君が歌詞を書いたんですけど、サビの「ないかな ないよな」「きっとね いないよな」っていうフレーズを聴いて、僕は「フジファブリックとしての存在意義のある曲になる」と思ったんです。女性に対する期待感だったり、恋する気持ちを表現する曲はたくさんあると思うんですけど、ああいう表現をしている曲は聴いたことがなかったから。志村君がいなくなった後、自分で歌詞を書くようになってからは「人と違う言い方で表現しなきゃ」って日頃から努力してるんですけど、『若者のすべて』にはそれがあって……。すごく、手応えを感じた曲でした。

――09年5月に4thアルバムCHRONICLE』がリリースされます。全編、スウェーデンで録音されたそうですね。

【山内】 3週間毎日ホテルスタジオの往復で、“スウェーデン合宿”みたいな感じでした。ひとつ前の『TEENAGER』はみんなで曲を持ち寄って作ったアルバムで、ポップな要素にもチャレンジした作品だったんですよ。それを作ったことで、志村君の中にパーソナルなものを全部出したいっていう要求が出てきて、『CHRONICLE』というアルバムが生まれたんだと思います。

――そして、そのアルバムが発売された年の12月レーベル移籍発表前に志村さんが亡くなられました。

【山内】 レーベルを移るということで、打ち合わせも、新しいアルバムの“曲出し”もしていたんです。でも志村君がいなくなったことで、一気に目の前が見えなくなったし、見ようともしなかった。「バンドをどうするかはすぐには考えられない」「とにかく決まってることだけやろう」と思って……。志村君の夢だったんですけど、10年7月に富士急ハイランドライブ(「フジフジ富士Q」)を開催することは決まってたんです。同タイミングで、アルバムを1枚出すことも。だから、これからどうするかは何も考えずに、これぞ使命感というか、とにかくライブを実現することだけ考えようと突っ走ってました。亡くなったことなんて、未だに理解はできないし、受け止めていくつもりではあるけど、そこをどうこうしようというよりかは、それが現実になってしまったので。予定がなかったら、ずーっと何もせずに時間をやりすごしていただけだった気もするんです。

――「フジフジ富士Q」は、志村さんが遺した楽曲を3人が演奏し、錚々たるゲストボーカルの人たちが歌い上げるスタイルでした。そして、志村さんがメロディとワンフレーズだけ吹き込んでいたデモを、『会いに』というタイトルで3人が完成させた“新曲”を披露します。この曲で初めて、山内さんがボーカルを務めました。

【山内】 マイクの前に立った時は、自分の心臓の音が聞こえました。『会いに』を歌うのは、タイムテーブルラストだったから「これを歌えばライブは終わる!」って腹を括っていたはずなのに、結構な人数の前だったんで、圧を感じて。魂が細くなる感じを覚えました。でも、とにかくやり切ろうと。その後、「フジフジ富士Q」が終わった後くらいから、ご飯も食べられないぐらいの疲労感もあって、脱力感もありますし、「何かがひとつ終わった」という気持ちになりました。どういうふうに生きていこうっていうのを一番考えた時期でもあったと思います。

――志村さんが残した音源を基に3人で完成させた5thアルバムMUSIC』完成後、8カ月ほど時間が開きます。そして11年4月に、3人体制での活動継続を発表されます。

【山内】 その期間は月に1回ぐらい集まって、3人でずっと話し合っていました。フジファブリック自体は続けるという結論に至った後も、ゲストボーカルを招いて、インストバンドとして、続けていくっていう方法も考えました。でも「フジフジ富士Q」で、ほかのバンドの方に間近で触れて、そこに独特の空気やサウンドがあったり、言葉があったり、音楽に対する姿勢があるのを見ていたら、「僕らフジファブリックにも、そういう空気はある」とすごく感じて。「そういうフジファブリックだけの音や言葉を失くしたくない」って思ったんです。だから3人でやっていこうと思った。だったら歌がないと。「歌えるんだったら歌っていこう」って気持ちで、二人の前で「俺が歌う」って言ったんです。そうしたら、二人は「どうぞどうぞ」って。

――ダチョウ倶楽部みたいですね(笑)

【山内】「いやいや俺が!」にはならなかったんですけどね(笑)。そこから次のアルバムの制作に入っていったんですよ。3人がそれぞれ作ってきたものを、持ち寄って一枚にした6thアルバムが『STAR』でした。

――表題曲は、山内さん作曲、山内さんと加藤さんの共作詞です。パワフルな曲ですよね。

【山内】 あの曲は、何かが作られる前の、最初の爆発みたいな曲だなって思うんですよね。イメージとしては、ビッグバンとか、スーパーノバ。これから何かを「炸裂させたい!」って気持ちが、あの曲にはすごく出ていると思います。『STAR』ってず〜っと高いキーで歌ってるんですよ。今だと「お前うるせえな!」って感じがするんですけど(笑)、でもそのときはもうこれしかない!と思っていた。それは、それだけ爆発だっていうことを伝えたかったのかなって思います。

――今“フロントマン”と呼ばれるわけじゃないですか。そう言われることへの不安感とか緊張みたいなのって……。

【山内】 いや、今もめっちゃあります。フロントマンってバンドアイコンというか。歌うって「こういうふうに伝えたい」を言葉にする、一番分かりやすい手段だと思うんですよ。なので、やっぱり歌うことには責任があるし、あと“フロントマン”って人となりなんかも出るものなんだろうなって。

――12年から13年にかけては、ライブツアーの年でしょうか。

【山内】 できるだけたくさんライブをやりたい、と僕から言いました。人前で歌うことに慣れたいというのもあったし、音源制作とライブって、表裏一体なんです。お客さんの前で披露するたびに、曲が成長していくんですよね。それを自分の肌で感じるっていうのはすごく大事なことだし、次はこういうことを言いたい、こういう曲にしたい、こういうフレーズを弾きたいっていう欲求も沸き上がってくるんです。

――フジファブリックとして、山内さんが歌われることに関して、いろいろな声を受け止められておられるのでは?

【山内】 いやもう、仕方がないですから。それでも聴いてくださってるんやなって、それだけでうれしいんですよね。……でもね、やっと楽しくなってきました。今、すごく楽しいです。

――今年でデビュー10周年を迎え、11月には初となる武道館ワンマンライブが開催されます。今のお気持ちを聞かせてください。

【山内】 武道館ではフジファブリックにとっての10年をちゃんと、過去も現在も未来も見せられる一日にしたいと思ってます。しっかり振り返って、しっかり今を見てもらって、しっかり未来も見てもらえるような一日にするには、もってこいの場所だなと。

――最後の質問です。今の山内さんとフジファブリックにとって、志村さんはどういう存在ですか?

【山内】“昔の友達”みたいな感じにならないでいられるんですよ。今もバンドメンバーとして、僕らの近くにずっと存在している。というか、僕らがこのバンドを続けているからこそ、彼の存在を感じられるんだと思うんです。このバンド名で活動を続けている、それが一番の大きな理由かもしれないです。

――これからのフジファブリックの活躍も、楽しみにしています。

【山内】 ちょうど昨日、次のアルバムの歌入れがあったんですよ。これまたね、いい曲なんです(笑)アルバムツアーも自分が歌い手として、一番素直で、そのままの言葉を歌として届けられるように、今精進してるんですけど、それができたらいいなって。でも、何よりたくさんの人に聴いてもらいたいなと思いますね。それはデビューの頃と変わってないです。たくさんの人にずっと聴き続けてもらえるような音楽を、これからも作り続けていきたいんです。

ダ・ヴィンチ8月号「フジファブリック特集」 取材・文=吉田大助 より

●『ブルー/WIRED』 フジファブリック
2014年7月30日発売
Sony Music Associated Records
初回生産限定版(CD+DVD1600円(税別)
通常版(CD)1200円(税別)

『ブルー/WIRED』(フジファブリック/Sony Music Associated Records)