それは2003年冬、京都で“起きた”。
日本経済はバブル以降の構造的不景気のなかから、弱々しい経済回復基調を進み始めはしたが、その歩みは遅々として日経平均株価は底のまま推移していた。
失われた10年後のエクストラステージに突入したような暗く寒い世相の真っ只中。
京都の冬もまた寒かった。地形的特徴と放射冷却が重なって起こる、一般に「底冷え」といわれる身体の芯から冷える古都特有の寒い冬。
その京都市の街角の一軒家で、人知れず撮影は行われていた。もしなにも事情を知らない善意の第三者が見ていたら、その光景はいったいどう映ったのだろう。
数人の男たちが全裸に純白のブリーフを身に着けて、肉体を運動させている。寝ころび、跳ね起き、奇声を発し、己の四肢を存分に駆使し、時にそれは律動し、時にランダムに動作する。
真冬の京都の一室にて、ほのかに紅く上気した肌にうっすらと浮き上がる汗。荒々しく息を上げる妙齢の男たちと、その肢体を一心不乱に撮影する男たち。
騙されて四国からやってきた男がいた。
全力で忍者を演じた役者がいた。
仕事終わりに撮影したブリーフの男達の姿を眺めながら黙々と作業する男がいた。
なにより、「バカバカしさを突き詰める」という、当時の関西同人ゲーム界隈の魂と矜持を持った男たちがいた。
そして産声を上げた、いまや世界的にその名を轟かす伝説の同人格闘ゲーム、『ブリーフカラテ』。
同人サークルD.C.S.が開発し、2003年に発売。
さらに15年の時を経てSteamで無料配信された同作は16万ダウンロードを達成して、同人格闘ゲーム、さらには実写格闘ゲームとしては異例の世界的人気を得た。
6月に開催された第2回世界大会では、30名弱もの参加者が、世界一のブリーフファイターの座をかけて死闘をきわめている。
はたして、まるでタイムスリップのように現代にふたたび現れた『ブリーフカラテ』。
この常軌を逸したコンセプトを考えたのは誰なのか? どうやってブリーフ一丁の格闘ゲームは作られたのか?
これは当時の制作者でありブリーフファイターでもある五間誰氏、玉出氏、苦羅那怒氏と、Steam版を配信したパブリッシャーHenteko Doujinのぱぃろ氏による、貴重な歴史的証言である。
聞き手・文/Nobuhiko Nakanishi
聞き手・編集/ishigenn
『ブリーフカラテ』女子も誕生する謎人気
Steam版のリリース後、予想以上に反響がよかったんですよね。受け入れられない人がいるのではと思っていたんですけど、そういう意見も少なく。
外国の人なんかにも受けがよくて、頭がおかしくなったのかというぐらい笑ってくれる。
笑って操作できないほど(笑)。いまでも外国人が配信プレイしてくれていて、「ハラキリ!ハラキリ!」とか「ネコミミ!」とか叫びながら楽しんでくれいるのを見ると、嬉しいですね。
実写格闘ゲームということもあって、ここまで人気だと身バレ(※身元がバレるの略)の恐怖が頭に浮かびみます。
下品な話になるんですが、開発当時は風俗雑誌を「B.ゾロ」【※】の人と研究して、目を隠すのと口を隠すの、どちらなら顔がバレないかを考えたんです。
B.ゾロの人と僕が風俗の話ばっかりするからね。
五間誰さんとB.ゾロさんは目を隠されて、苦羅那怒さんは口を隠されていますね。玉出さんはいっさい隠していません。
僕はもともとコスプレをやっていて、20年前からコスイベにもよく出ていたんです。
なるほど。どんなコスプレをされていたんですか?
え? 玉出さんがですか?
自分のサイトなどにも写真を載せていましたよ。だから身を晒すことに抵抗はなかったんです。
※『過労伝説 本番』……1997年にD.C.S.が開発した実写格闘ゲーム。1993年に開発されたサラリーマン同士が戦う『過労伝説』の続編。当時の開発機材がビデオカメラ&カラーイメージユニットしかなかったため、各キャラ平均120~130枚ほどの動画パターンをすべて手作業で切っていたという。
(画像は過労伝説 本番|D.C.S.ひななゐやより)
そもそもぼくらがイベントで手売りしてましたからね。ただ、ちょっと「苦羅那怒」は権利的にまずかったかなと思っていました。
ちょうどあのころ、Keyさんから『CLANNAD』【※】が発売されるはずだったんですけど、リリースが2年も伸びたんですね。
Steam版をリリースする際に「これはまずいぞ」と思ったんですが、ビジュアルアーツの二次創作ガイドラインを見ると「耳コピは大丈夫」と書いてあったので、ホッと胸をなでおろしましたね。
当時から顔出ししてきたとはいえ、16万ダウンロードされているわけで、単純計算して16万回以上は世界中のゲーマーが15年前のみなさんを見ている。
実写格闘ゲームに出演しているというのは、世界中探しても100人ぐらいしかいないですよね。さらに素性もわかっているとなると、相当貴重だと思います。
確実に『ツインゴッデス』より触られた数は上やもんな。
※『ツインゴッデス』
1994年にプレイステーションで発売された格闘ゲーム。主役のふたりである「ニーナ」と「シリン」が実写取り込み、さらに敵キャラクターのほぼすべてがアニメーションで描かれているという、世にもめずらしい二次元vs.三次元格ゲーとして、当時一部のゲーマーたちに強烈なインパクトを残した。
それをいうなら、最近のコンシューマーゲームでもなかなか16万人に触れてもらうのって難しい。そう考えると『ブリーフカラテ』の成功は恐ろしくもありますね。
玉出の家を根城に遊ぶ数十人のネット住民(本名不明)
玉出さん、五間誰さん、苦羅那怒さんは『ブリーフカラテ』開発のコアメンバーとのことですが、そもそもどのように集まられたんですか?
僕と苦羅那怒は完全に幼馴染です。家まで歩いて5分くらいです。
で、2000年くらいにいきなり家にやって来て、パソコンにWindowsをインストールしたのが玉出ですね。
当時はまだパソコン通信【※】の時代で、掲示板で苦羅那怒が玉出と知りあったんですね。
※パソコン通信
1980年代後半から1990年代後半にかけて流行したインターネットの先駆けとなるデータ通信サービス。ユーザーは専用ソフトウェアを用いて通信し、電子メールやチャット、あるいは掲示板などで情報をやり取りしていた。
むかしは関西のパソコン通信の掲示板つながりでゲームを作る文化があったんです。当時はパソケ【※】とかもありましたよね。あとはみんな無料で作ったゲームを掲示板に貼って、お互いに遊び合っていました。
※パソケ
スタジオYOU主催による同人ソフト専門の即売会イベント「パソケット」の略称。インターネット本格普及の前であり、文字でのやり取りが主流だった「パソコン通信」の時代、パソケは各地で開催され、黎明期の同人ゲームコミュニティの交流を促した。
格闘ゲームに関しては『SF エクシヴィ』【※】で繋がった人が多いかもしれませんね。
※SFエクシヴィ
『ストリートファイター XVI』の略称。シャープが開発、販売していたパーソナルコンピュータX68000向けのゲームで、プレイヤーが作成したキャラクターを自由に組み込める『ストリートファイターII』のパロディ作品として草の根ネットを介して広まった。X68000では二次創作やパロディ、時には悪ふざけや改造がほどこされた同人ゲームが開発されていた。
『SF エクシヴィ』は、いまでいう『MUGEN』【※】みたいなものなんです。25年ぐらい前からキャラクターを作る職人のような人たちがいて、今見てもすごいですよね。
そういう経緯をへて草の根ネットワークで知り合って、即売会系のイベントで直接会うようにもなったと覚えています。開発者が投げてきたものをみんなでいじくり倒して遊んで、開発者の人もそれに応じて作り直していましたね。
むかしは常時インターネットにつながっているわけじゃないので、関東と関西で流行りが全然ちがったりして、秋葉原に行ったらまったく知らないキャラが動いていたり。年に何回か交流して、またそれを関西に持ち帰ったりしていましたね。
いまももちろん、なにかをみんなで作ろうとしたら仲間と出会わないといけないですよね。でも当時は相当調べないと、そういった仲間と出会う場所へとたどり着くのは難しかったんですよ。
だから仲間意識が強かったですよね。初めて会った人を普通に家に泊めていましたもん。
玉出君の一軒家ではずっとオフ会してましたけど、知らない人が普通に寝泊まりしていた。しかも本名を知っている人は、ほとんどいませんもん。
“ずっと”ですか?
このゲームに出てくるガリガリ君【※】なんかは、一歩も家から外に出ずに2ヵ月住んでいました。
それはもはやオフ会ではないですよね。
家を管理していた、ぼくくらいしか知らんよな。
いま正直にいうと、玉出の本名を知らないんです。出会って30年近く経って、家の場所も結婚したことも知っていて、飲みにいった回数なんてゆうに100回は超えているのに
本名を知らないどうしなのに、入り口が狭いことで独自の信頼感が生まれているというか。いまではあまり見られない不思議なインターネットの世界ですね。
まあ、この界隈はそんな感じではありますよね。
なので『ブリーフカラテ』みたいなゲームも作りやすかったし、作ったものに関しても好きな人は好きと行って、嫌いな人は特になにも言わなかったですね。
冬の京都でブリーフ男たちが舞う
では、その玉出さんの家で『ブリーフカラテ』は開発されたわけですね。
やろうと言いだしたのは苦羅那怒さんと聞いています。
『ビキニカラテ』【※】が流行ったので作ろうかと。
年末に話しているときに、思いつきで「『ビキニカラテ』みたいなのをやろうぜ」と決まったんですよ。
「わしらもう30歳だから、やるんなら今の内。少なくとも撮影だけはしておかないと」と話していましたね。30だからギリギリだと(笑)。
身体が綺麗なうちに残しておこうと。グラビアアイドルの最後の水着写真集みたいな発想ですね。
もう『過労伝説 本番』を作った経験もあるし、撮影してすぐに完成だと思っていたら、そのあとが全然楽じゃなかった。
まあでもその撮影のときだって、東京から香川までいろんな場所の人間が集まってきたんで、大変だったけど。
※1 弐忍賀死丸……一子相伝、最強の忍術と言われる「九九流忍術」の使い手。包丁を振り回し、あたり構わず切り刻むその姿は、まさに修羅。普段は「恋に逝き、愛に死す」がモットーな、恋する男である。「恋の忍術!スキトキメキトキス!」(公式サイト原文まま)
※2 玉の輝……人生負け続けの相撲取りを目指す役者(?)。今日も勝てずに最後には姑息な手段で明日を夢見るエンゲル係数貧乏役者。「あ~あ、今日もだらけ行って寝よ。」(公式サイト原文まま)
ちなみに撮影したのは真冬の2月でしたね。
しかも京都。寒いゆうねん。
集まったみんなに「じゃあブリーフ一丁になってください」と。
それは事前にみなさんには説明していたんですか?
ネコミミさん【※】はだまして呼びだしました。
猫耳さんは騙されて収録になったけど、むしろ途中からノリノリになったという話を聞いたことがあります。
最初はしぶしぶブリーフを受けとっていたんですけど、そのうち段ボールを切って耳と尻尾を作っていましたね。
あの人、騙されて来てたのにね。
最終的に「言ってくれたらちゃんと用意してたのに」って。
ノリノリすぎる。
ゲーム内のドットで見ると、じつは毛が映っているんですよね。フォトショップで修正はしているんですけど、その部分はよく見るとへこんでいる。
そういえばなぜ玉出さんは「NEOGEO」の帽子を被ってらっしゃるんですか?
それは一番最初にしたコスプレがテリーだったからですね。あと胸に「プロアクションリプレイ」【※】があって、両腕が『鉄拳』のケンとアキラだったりします。
※プロアクションリプレイ
イギリスのデイテルが開発していたゲームチート用のハードウェア製品シリーズ。
知っていてもなんにも嬉しくない情報やね。
だから「鉄山靠」を使うんだって知っていてもね。
でも当時も気づく人はいたで。お前は頭おかしいやろってなった。
いちおう「苦羅那怒」の設定もあって、あの人がマスクしてるのは口からでるビームを制御してるんです。
「カトリーヌ五間誰」と「ネコミミ」が特に外国人には人気なんですよね。
以前取った人気投票でも五間誰3位やったし。
ゲイサイトでな。
あと技名とか動きは演者本人に書いてもらったんですね。これがその当時のものなんですけど。
技の台割表みたいですね。
ゲームを成立させるために、システム上どうしても必須のセルがあって、そこだけは絶対に必要だったんですよ。
たとえば左を向いているときに飛び越されたら右を向くので、その正面を向く1パターンがいるとか。吹っ飛ぶ前に上向きに仰け反るのに1パターンとか。
出ている人がみんなそうなんですけど、みんなが共通の趣味を持っているわけじゃないんですよね。だからキャラクターひとりひとりに個性が出た。
ストレッチ【※】の技なんて、ワシらには絶対思いつかないです。攻撃のモーション見たときにどうしようかなって頭を抱えました。
楽しそうな収録現場です。
ただ、あのゲーム、結果としては波動昇竜とか関係なかったけどな。波動が弱い。
無敵技も作らなかったですね。部分無敵はあるんですけど、全身無敵はない。
一人用モードでも最初の2、3人目まで、ほとんどなにもしないようなAIを作っていますね。そもそも対戦前提では作っていない。見ていて面白いものを目指している。
300MBものブリーフ男の写真を切り抜いた末に
技の設定もキャラクターもファイターがそれぞれ好き勝手に考えたみたいですが、ストーリーはどう経ったんですか?
明確な物語はないですね。十年に一度開かれる大会に優勝すると、黒いブリーフが貰えるというだけ。
十年に一度の大会なのに、発売から十年以上経ってしまいましたね。
というか、ストーリーってあったんや。
セル切り続けるのに一生懸命やったから。
※貴重な『ブリーフカラテ』収録現場の映像。
2日間の収録を終えたあと、開発はどれぐらいかかったのでしょうか?
その動画を一枚一枚カットで切り抜いたのは俺や。
おかしくなりますね。
ブリーフ男のイメージを一枚一枚切りとる作業は精神的にくるものがあったんで、一気にやりましたね。
もう感覚で。このへんのフレームを切ったら自然に見えるとか、そういうノウハウはあったんで。
しんどい作業やな。
逆に言ったらしゃがみ小攻撃なんて2、3パターンあっても、誰も気付かないですからね。
発表した際の当時の反応は?
もともと4月1日に作品の情報を公開して、最初の1週間くらいはエイプリルフールネタだと思われていたんですよね。
発表してから10日後に玉出だけが使える体験版みたいのを出して、「ほんまに作っとるんや」ってなりましたね。発売後も一部で盛り上がってくれました。
けっして誰もが知る同人ゲームではなかったと思うんですが、それが15年の時を経てSteamで発売されることに。
僕がたまたま見つけて、「あ、これ昔よくあったやつだ」と思って、これは世界に発信しなきゃと考えたんです。
ちょうど同人ゲーム専用のパブリッシャーやろうと思っていた時期だったので、まず世界に挑戦するのはこれだなと。それで代表の苦羅那怒さんにリリースさせてくださいといったんですね。
では開発者の方が「『ブリーフカラテ』を世界に出してやるぞ」という気持ちではなかった。
だって自分でこれを作ったとして、これで世界をとってやるぞとか思います?自分がブリーフ一丁で出ているゲームですよ?
おっしゃるとおりです。
もうSteamでの配信前から無料で配布していたんですね。
楽しければいいじゃんって感じですね。僕らもまったく儲けたくないわけじゃないんですけど、儲けたいの部分の天井が低いんですよ。たとえば東京のコミケにいって帰ってくるのなら、交通費が出ればまったく問題なし。
帰りに牛角で打ち上げできれば大勝利ですよね。とはいえ、逆に好きで作っているという思いもあるから、頑張って作ったものを最初からタダで配ってもいいって思っていたわけじゃないんですよね。
かかっているお金って、せいぜい撮影代と打ち上げ代なんで、製作費は十万以下です。
そんな十数年前の「楽しいから作る」のゲームで、いまだに大会を開いてバカ騒ぎできる。
ここまで人気となると、オンライン機能を備えたアップデート版や、あるいは続編の登場も期待してしまうところですが……。
システム的にはキャラクターの追加とかは可能なんですけどね。けっきょく金とか時間とかよりも、気力とかやる気の問題なんですよね。逆に気力さえあれば、金なんてなくてもできる。
『ブリーフカラテ』を作るのに金はいらない。むしろ集まっても持て余しまうんですよね。気力の問題なんです。
オンライン対戦に関しては、そうとう要望はきますよね。
レンタルサーバーはいまは安く借りられますけどね。
とはいえ、システムの構築からになるんで、それこそ専門でやっている人間を探してという感じになる。
あとEVOのサイドトーナメントもね、やろうと思ったんですけど予算がなかったから。誰か出してくれればね。
最近ではKickstarterのようなクラウドファンディグもあります。
続編もオンライン機能もEVO出張もKickstarterで。って、Kickstarter万能すぎるやろ!
集まりすぎたら賞金に回しつつみたいな。
それやったらちゃんとバランスを取らないと。
オンライン対戦とか続編とかは、なんかひょんなことから、あるかもしれないですよね。
出ていた人がたまたま集まって焼肉を食べて酒飲んでいたら、テンションが上がって「よしやろか!」みたいなノリになれば、あるかもしれない。僕らがなんかやるときって、そんな感じなんで。
ありがとうございました。
実際に『ブリーフカラテ』をプレイしたことがある人ならば理解できると思うが、本作のクオリティ、特に格闘ゲームの核となる部分の質は、ブーム時に量産された凡百の格闘ゲームを凌ぐと言っても良いほどに高い。
キャラ間のダイアグラムにやや偏りが見られるものの、技の繋がりや爽快感、単純かつ奥深い駆け引きは、「格闘ゲーム」としての求められる要素を十全に満たしている。
そして大阪日本橋で開催された世界大会出場者たちは、技のフレームやめくり判定もしっかり理解している「ガチ勢」だ。狭く小さいが、『ブリーフカラテ』を競技として楽しむコミュニティは存在しており、今後広がっていく可能性も「まったくない」わけではないだろう。
もしかして、ひょっとしてではあるが、万が一どこかのタイミングで奇跡が起きて「オンライン対戦」が実装されたりするかもしれない。
天変地異的に『ブリーフカラテ2』が開発されるかもしれない。そのとき、『ブリーフカラテ』がもっと多くの人が格闘ゲームを楽しめる場所になること、もっと大きな大会が開かれていくことを、個人的には望んでしまわざるを得ない。
プレイヤーとしての欲求は尽きることがないのだが、同時に制作者の「自分たちが楽しんでいることを楽しんでくれればいい」という気持ち、「お金の問題ではなくて気が向くか向かないか」という徹底的にぶれない気風が10年を経ても変わらない点もまた、今の時代には得難い貴重なものである気がしてならない。
超レアブリーフ。 pic.twitter.com/XyCqg01YUJ
— ぱぃろ@夏コミ 金曜日 東ト-25b (@Piro_Shiki) June 9, 2018
※左から現在の玉出氏、五間誰氏、苦羅那怒氏。
ビデオゲーム作成のハードルは下がり、クラウドファンディングも一般化し、インディーゲームは商売として成立しやすくなった。一面で企業色の強い小規模ゲームもまた目立ちつつある。
その是非を問うつもりはないが、個人や小規模でビデオゲームを制作するということの意味そのものが、2003年当時とは違うものになりつつあることは疑いようのない事実だろう。ゲーム制作者やメディア、ユーザーが、あらためてそのことの意味を考えてみる時期にきていることを、『ブリーフカラテ』は示しているのかもしれない。
(C) 2003-2016 D.C.S.
(C) 2016 D.C.S., Henteko Doujin
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応募方法は電ファミニコゲーマーの公式Twitter(@denfaminicogame)をチェック!『ブリーフカラテ』開発秘話の記事公開を記念して
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