日本人の6人に1人は偏差値40以下、5人に1人は役所の書類を申請できない…“見えない格差”をつくった知識社会のザンコク から続く

 ヒトは徹底的に社会的な動物で、家族や会社、地域社会などの共同体に埋め込まれている。しかしそこには、善意の名を借りた他人へのマウンティングや差別、偏見などが存在する。人間というのは、ものすごくやっかいなのだ。

 ここでは、作家・橘玲氏が社会の残酷すぎる真実を解き明かした著書『バカと無知』(新潮社)から一部を抜粋。皇族の結婚問題や生活保護受給者へのバッシングから人間の“自尊心”を紐解いた内容を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

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皇族は「上級国民

 自尊心をめぐる闘争ほどやっかいなものはない。面と向かって罵倒されたり、SNSで罵詈雑言を浴びせられることは、脳の生理的反応としては、殴られたり蹴られたりするのとまったく同じに感じられる。

 皇族の1人がまさにこのような状況になって、複雑性PTSD心的外傷後ストレス障害)と発表された。病名について異論はあるかもしれないが、「殴る蹴る」の精神的暴行を数年にわたって受けつづければ、こころに深い傷を負うのは当然だ。

 いちばんの問題は、皇族やその関係者には、直接反論したり、裁判で名誉毀損を訴えることが事実上、封じられていることだ。これは反撃できない者を徹底的にいたぶるのと同じで、「集団リンチ」以外のなにものでもない。

 さらにグロテスクなのは、「あんな男と結婚したら不幸になると、善意のアドバイスをしただけだ」などと述べる者がいることだ。そもそもなぜ、わずかな税金を払っているというだけで、見ず知らずの他人の恋愛や結婚に口出しする権利があるのか。自ら選んだわけでもない「身分」によって、どんな誹謗中傷にも耐えなくてはならないのなら、自由や人権、プライバシーの保護はどうなるのか。

 哲学者サルトルは、「地獄とは、他人だ」と書いたが、彼女はまさに「善意の他人」という地獄を体験したことになる。

アメリカの人種問題が再燃

 自尊心というのは、そのひと固有のパーソナリティというよりも、他者との関係性で決まるものだ。相手に対して圧倒的に優位なら、自尊心が傷つけられることはない。たいていの親が幼い子どもに反抗されてもなんとも思わないのは、大きなちからの差があるからだ。これが愛情の問題でないのは、思春期子どもが反抗すると、(親の優位性が失われつつあるので)しばしば逆上することからもわかるだろう。

 アメリカの白人は圧倒的なマジョリティだったので、有色人種(黒人)から批判されてもなんとも思わなかった。冷戦終結後のアメリカは唯一の超大国で、圧倒的な軍事力で世界に君臨していたので、反米運動にもさしたる関心はなかった。

 近年、アメリカの人種問題が再燃しているのは、レイシズムが強まったというよりも(異論はあるだろうが、人種を理由にした犯罪は一貫して減少している)、白人(とりわけ労働者階級)の地位が低下して、優位性がなくなってきたからではないか。イラクアフガニスタンでの無益な戦争や中国との対立も、アメリカの国力が落ちたことと関係しているだろう。――ロシアによるウクライナへの無謀な侵攻は、ソ連崩壊によって国際社会におけるロシアの優位性が危機に瀕したことを抜きにしては理解できない。

アジアの国々が高度経済成長を迎え、中国のGDPは日本の3倍に

 1970年代田中角栄首相が東南アジアを歴訪したとき、各地で大規模な反日デモが起きたが、国内ではほとんど関心をもたれなかった。当時、アジアのなかで日本の経済力は圧倒的で、中国は文化大革命の混乱の真っ只中だし、軍事政権の韓国は世界の最貧国のひとつだった。多くの日本人は、「貧しい国のひとたちはかわいそう」と思っていたのだろう。

 それがバブル崩壊後、日本経済が低迷する一方で、中国を筆頭にアジアの国々が高度経済成長の時代を迎え、日本との差が縮まってきた。いまや中国のGDPは日本の3倍で、国民のゆたかさの指標である1人あたりGDPでもマカオシンガポール、香港に大きく引き離され、韓国に並ばれようとしている。

 その結果、(コロナ前は)日本の庶民には手の届かない名門ホテル・旅館や一流レストランアジアの富裕層が殺到した。80年代は、ふつうのOL(死語)が週末の弾丸ツアーで香港に行き、5つ星ホテルに泊まってブランド物を買いあさっていたのだから、その栄枯盛衰には愕然とするしかない。

経済格差による怨恨があちこちで噴出

 日本がどんどん「貧乏臭く」なっていく過程と、2000年以降の嫌韓・反中の排外主義の急速な広がりは見事に一致している。韓国や中国はそれ以前からずっと「反日」だったのだから、この変化は、「アジアで一番」という日本人の自尊心が揺らいだことでしか説明できない。

 徹底的に社会的な動物である人間は、集団としての自尊心が低下すると攻撃的になるが、それと同様に、個人としての自尊心が揺らいだときもきわめて危険だ。経済格差が拡大すると、自分が虐げられていると感じる層が増えて、あちこちで怨恨(ルサンチマン)が噴出する。これは世界的な現象で、アメリカではトランプ現象を引き起こし、日本では「上級国民」批判となって表われた。母子が死亡した池袋の交通事故の炎上騒動はその典型だろう。

 皇族の結婚問題にしても、ネットに掲載された記事へのコメントを見ると、その大半は「国民の税金で食わせてもらっているくせにわがままだ」という罵倒の類だ。これにもっとも近いのは、生活保護ナマポ)受給者へのバッシングだ。

ネットルサンチマンを噴出させている者が求めているもの

 皇族とナマポに共通するのは、「働かずにうまいことやって暮らしている」ように見えることだ。それに比べて「下級国民」の自分は、不安定な身分とわずかな給料(あるいは年金)でかつかつの暮らしをしている。建前では「みんな平等」というけれど、生まれや制度の歪みによって、自分より恵まれている者がたくさんいるではないか、というわけだ。

 脳は上方比較を「損失」、下方比較を「報酬」と感じるように進化の過程で設計されている。上位の者を引きずり下ろすことは、脳の報酬系を刺激し自尊心を高める効果がある。ワイドショーコメンテーターといっしょに「義憤」に駆られ、ネットコメント欄に皇族や婚約者母子への誹謗中傷を書き込むことは、ものすごく気分がいいのだろう。

 キャンセルカルチャーは、セレブリティの不品行を「正義」の名の下にバッシングし、その地位を「キャンセルする(奪う)」運動だ。そう考えれば、いま起きているのは皇族に対するキャンセルだ。ネットルサンチマンを噴出させている者たちが求めているのは、上級国民の特権の剥奪、すなわち天皇制廃止ということになる。

皇室に対する風当たりの強さは今後も強くなるのでは

 その一方で、皇室に「理想の家族」を求める高齢者層の批判には、(かつては「欠損家庭」といわれた)母子家庭への偏見が垣間見える。だが近代の市民社会で、「親の借金問題を子どもが解決しないと結婚が許されない」などということがあっていいはずがない。

 王制や天皇制は、有り体にいえば「身分制」で、自由恋愛が当然とされるリベラルな社会ではきわめて不安定だ。ヨーロッパの王室もしばしばスキャンダルで炎上するが、アジアで孤立する天皇制は、それよりずっと脆弱だ。

 皇室はいま、「わたしたちの夢を壊すな」という高齢者(および右翼・保守派)と、「特権は許さない」という「下級国民」からの激しい攻撃を浴びている。そしてこの風当たりは、今後ますます強くなっていくだろう。

 “平等”な社会では「主権者」である市民が絶対化し、政治家や官僚など「権力者」の地位はすっかり地に落ちた。次は皇族の権威が引き下げられて、「国民の下僕」としてしか存在を許されなくなるかもしれない。

 果たしてそのとき、天皇は「日本国の象徴」でいられるだろうか。

(橘 玲)

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