どのような戦争であっても、国家間の対立において「一方のみが100%悪い」というケースは稀でしょう。足元で続いている「ウクライナロシア戦争」についても同様で、アメリカシカゴ大学のミアシャイマー教授は「この戦争が起きた原因は、アメリカとNATOにある」といいます。それぞれの国がもつ思惑、戦争という悲劇が起きた背景について、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏が解説します。

前大統領が合意した「ミンスク合意」を反故にした理由

ドイツのメルケル首相やフランスのオランド大統領が介入する中、2014年9月、15年2月の二度にわたってロシアウクライナの間でミンスク合意が結ばれた。

ロシア派武装勢力が実効支配しているウクライナ東部について、特別の統治を認めるよう憲法改正を実施する。OSCE(欧州安全保障協力機構)の代表が見守る中で自由選挙を行い、東部地域の統治形態を決める。

ポロシェンコ前大統領はこういう内容のミンスク合意に調印したものの、後任のゼレンスキーは約束を反故にした。なぜか。

ゼレンスキーはNATO(北大西洋条約機構)に是が非でも加盟したかったからだ。親ロシア派武装勢力が実効支配している地域は、ルハンスク州の半分、ドネツク州の3分の1に過ぎない。そこに特別の統治体制を認めると、憲法改正のときに必ず「外交条約を結ぶときにはこの二つの地域の承認が必要だ」という条項を付け加えることを親ロシア派は要求する。このような条項を付け加えることをウクライナが拒否すれば、ロシアも親ロシア派武装勢力も憲法改正には絶対合意しない。

ウクライナルハンスク州やドネツク州の一部に特別の統治体制を認めると、何が起きるか。親ロシア派武装勢力が外交条約締結に関して拒否権をもつことになり、ウクライナは未来永劫NATOに加入できなくなってしまう。こういう構図があるから、ゼレンスキーはミンスク合意の履行を拒否した。

シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、ロシアウクライナで起きてきた出来事をリアリズム(現実主義)の観点で鋭くとらえている。ミアシャイマー教授は「今回の戦争の責任はアメリカとNATOにある」と断言する。

ロシアと国境を接する周辺諸国にNATOが進出してくれば、ロシアにとっては喉元に匕首(あいくち)を突きつけられているようなものだ。

08年4月、ルーマニアで開かれたNATO首脳会議で、アメリカのブッシュ大統領ウクライナジョージアのNATO加盟をぶち上げた。ドイツフランスはこの提案に反対したものの、ウクライナジョージアブッシュ大統領の提案に同調する。

ミアシャイマー教授は、ブッシュ大統領がけしかけた08年のNATO東方拡大路線が、今回の戦争の原因だと断言する。

NATO首脳会議から4ヵ月後の08年8月、ロシアジョージアに侵攻した。さらに14年3月には、ロシア軍ウクライナ南部のクリミア半島へ侵攻する。

クリミア半島には、黒海と接する海軍基地セバストポリがある。東方拡大によって、セバストポリをNATOの拠点にされる事態は絶対に避けたい。

だからロシアクリミアへ侵攻したのだとミアシャイマー教授は指摘する。

ロシアとNATO…その緩衝地帯だったウクライナ

1999年ポーランドチェコハンガリーが新たにNATOに加わった。2004年にはルーマニアブルガリアバルト3国(エストニアラトビアリトアニア)、スロバキアスロベニアの7ヵ国がNATOに加盟している。アメリカの主導によってNATOは東方拡大を続け、ロシアをずっと刺激し続けてきた。

このうえウクライナまでNATOに加わることになれば、ロシア陣営でもNATO陣営でもない軍事的な緩衝地帯(バッファー)を失い、ロシアは喉元に匕首を突きつけられることになる。

西側の同盟国になるか。ロシアの同盟国になるか。中立の道を選ぶか。独立国であるウクライナには、決定権があるのは当然だ。

だがロシアとNATOという巨大国家に挟まれた弱小国であるウクライナは、バッファーにしかなりえない。この地政学的制約を、ウクライナは宿命として受け入れるしかないのだ──リアリストであるミアシャイマー教授はこう考える。私も同じ認識だ。

感情に流されることなく、リアリズムに基づいてここ20年余りの歴史を振り返ってみることが重要だ。ロシアがただ一方的に、ウクライナに軍事侵攻を仕掛けたわけではない。ロシアにも言い分はある。

NATOの東方拡大によって、アメリカがロシアを刺激し続けたことは紛れもない事実だ。どんな戦争にせよ、どんな対立にせよ、国家間の対立は一方のみが100%悪いわけではない。

戦争を引き起こした原因は、アメリカとNATOにあるというミアシャイマー教授の指摘に真摯に耳を傾けるべきと思う。

なお、22年2月15日に収録されたミアシャイマー教授のインタビューは、ユーチューブで動画を視聴できる。日本語字幕つきの20分程度の動画が公開されているので、検索して視聴してみてほしい。

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官・同志社大学神学部客員教授