「親に数年会っていない」「家族との仲が悪い」──こうした状態が、「成年後見」を招く要因となります。また、多くの人にとって「相続」と「認知症」は人生後半における大きな課題です。もし、この二つの課題が同時期に重なってしまうと──資産が凍結されて「自分のお金が使えない」という最悪の事態を招いてしまいます。石川秀樹氏の著書『家族信託はこう使え 認知症と相続 長寿社会の難問解決 』(ミーツ出版)より、家族信託のプロトタイプから、相続についてわかりやすく書かれた箇所を一部抜粋してお届けします。

家族信託のプロトタイプはこれ

「相続に使える家族信託のプロトタイプ」を紹介します。

今回は「原型」ですから、できるだけシンプルな契約書にします。福祉型家族信託の場合、委託者(=当初の受益者)は高齢の場合が多いので、条件を複雑にすると条項の意味や構造、実現したい狙いが理解しにくくなってしまうからです。

とはいえ、高齢の夫婦を守り、しかも相続人(委託者の子)への財産承継を確実にするには、条項の内容は過不足なく、完ぺきでなければなりません。あれもこれもと盛り込むわけにはいかないので、信託財産をシンプルに、信託しない財産については遺言で指定することにしました。

登場するのは石上太一(83)さん、和香子さん(80)夫婦と3人の子たちです。委託者太一さんを「甲」、妻を「乙」、受託者となる長男(59)を「T」、受益者代理人の長女(58)を「A」、信託監督人の末弟(54)を「B」と表記していきます。

甲の全財産は自宅不動産を含め、財産評価額1億2,000万円です。ちなみに甲は県庁所在地に住んでいます。Tは近居し、A、Bは東京と他県に住んでおり、全員既婚、子(甲、乙にとっては孫)もいます。Tは車で10分の市内に住んでいますがマイホームがあるため、実家そのものを相続したいとは思っていません。Tの妻Rも甲、乙と疎遠ではないですが、特に普段から交流があるわけではありません。

つまり子全員が両親の生活に関心があるわけではなく、資産継承も特別に考えている様子はありません。“争族”を起こしてまで両親の財産に固執する気はないものの、無視されるのはイヤだという感じ。まあ、ふつうの、どちらかといえば恵まれた家族関係ですね。

両親の何気ない不安を長男が察知

今のところ甲、乙共に元気で、乙がひざ痛で歩きにくくなってはいますが、要支援にもなっていません。家計は乙が一手に管理してきました。ネットバンキングはしませんが、ATMはよく使います。

そんな乙が急に心配になってきたのは、甲がある日「元同僚のO君が脳梗塞になってね、少し後遺症が出たものの退院できたんだけど、最近、急にボケ症状が出てきたらしくてね、銀行からお金をおろせなくて困っているそうだ。この歳になると何が起きるかわからないよ」と話したからです。

長男Tの妻Rが別件で乙を訪ねてきたとき、その話題になりました。「私も足がこんなだから、銀行に行くのは苦痛なのよ」と乙がいいます。「東京だと“凍結”の話はよく聞きますね。『名義』はほとんどがお父さんですか? それではお父さんに何かあると困っちゃいますね」とR。

その日は雑談で終わりましたが、家に戻ってTに話すと、夫は珍しく真剣な顔になりました。「俺も定年が近いし、予想もしないことでおやじたちの生活が破綻したら困るよ。AとBにも相談してみるか」。

幸い、T、R夫婦と姉弟の仲は良好なので、次の連休にAとBが実家に集まりました。3人一致したのは「確かにほっとくのはこわいね」でした。

A「それにしてもうちの(両親の)財産はどれくらいなのかしら」

T「聞いたことないなぁ。家まで含めれば1億円くらいはありそうだけど」。

話を始めても、子たちは肝心なことがまるでわかっていません。

ふつう、家族はそんなものですね。細かい経緯は省略して、結論的には「家族信託をおやじに説得しよう」と決まりました。父の甲は唐突な話に驚いた様子でしたが、元来、お金のことに無頓着な性格。サラリーマン時代は妻に小遣いを渡され、今もって甲の金銭感覚はそこにとどまっているので、乙が「それなら安心ね」というと、あっさり家族信託契約を結ぶことを了承しました。

甲「信託すると相続税が少しは節約になるのかね?」

Tたちは、『やはり相続税が発生するくらい財産があるんだ』と妙に納得したのですが……。

遺産1億2,000万円。石上家の相続税はいくら?

本筋と少し外れますが相続税について書いておきます。下が相続税の速算表です。遺産1億円、さて相続税はいくらか?

ほとんどの人が[1億2,000万円×0.4-1,700万円=3,100万円]と答えます。全然違う。相続税はそんなに高くはなりません。もっと合理的にできているんです。相続人は誰で人数は何人か、そこまで考えて作られています。配偶者は税額が軽減されます。同居親族には小規模宅地の特例。それに、生命保険には相続人1人当たり500万円の非課税枠があります。

石上家の課税対象となる財産の総額

実際に石上家の例をもとに「相続税の計算方法」をお教えします。

〈石上太一氏の正味の遺産額〉

家屋 500万円 → 新築でない限り評価額は低めです。

土地 4,000万円 → 小規模宅地の特例で8割引きの800万円。

預貯金 4,000万円 → 分けやすい財産で特典なし。

生命保険 2,000万円 → 非課税枠500万円×4人で0円に。

有価証券 1,500万円 → おまけなし。相続の算定日は選べます。

→で注釈した理由は、相続税の節約技術は、法律に則って「課税価額」 をいかに抑えるか、にあるからです。税制上のおまけで最も大きいのは配偶者の税額軽減と小規模宅地の特例です。

▼配偶者の税額軽減

亡くなった人の配偶者が遺産分割や遺贈により実際に取得した正味の遺産額が、次の金額のどちらか多い金額までは配偶者に相続税はかかりません。

① 1億6,000万円 ②配偶者の法定相続分相当額、ですから、100億円の遺産であっても、配偶者は半分の50億円までの相続なら1円も相続税がかかりません。

▼小規模宅地の特例

一定の条件を満たせば、相続する土地の相続税評価額を最大80%減額することができます。亡くなった人が居住していたか、事業等に使っていた土地であることが要件。配偶者または同居親族などが対象になります。土地の規模は宅地の場合は330㎡まで。

以上を当てはめると、石上家の課税対象になる財産の総額は「家500万円+土地800万円+金銭4,000万円+生命保険0円+有価証券1,500万円」の計6,800万円になります。

そして、さらに相続税の基礎控除額を考えます。3,000万円+600万円×4人=5,400万円 よって課税遺産総額は[6,800万円-5,400万円=1,400万円]となります。

相続税の計算

さて、ようやく相続税を計算することができます。

①課税遺産総額を法定相続分で取得したと仮定して「速算表」で計算。

乙:T:A:B=3:1:1:1 → 乙700万円、T、A、B 各233万円

これを速算表に当てはめて計算 母70万円、T、A、B 各23.3万円

②4人の相続税額を合計して、相続税額全体を算出。140万円です。

③この合計額を、実際の相続額で按分。今回は、実際に法定相続分で分割しているので、①の結果と一致します。

母70万円、T、A、B 各23.3万円

ここが重要です。母は法定相続分ですから70万円→ 0円になります。子は3人の合計70万円で変わらず。ということは、配偶者がいる相続の場合、相続税額は常に半分に減額されるわけです。

逆に配偶者がいない2次相続になるとおまけなしですから、相続税は跳ね上がります。小規模宅地の特例なし、死亡保険金2,000万円ほかの金融資産7,500万円がそのまま残っていると、相続税額は930万円!

表は、遺産総額を単純に相続税速算表で計算した額と、税法に基づいて正しく速算表を使った場合の一家に係る「実際の相続税額」を記したものです。特例をきちんと把握していれば、生命保険を上手に使う程度の節税策で、“相続税恐れるに足りず”にすることは十分に可能なのです。

(※写真はイメージです/PIXTA)