本連載では、人気YouTubeチャンネル「魚屋の森さん」の運営者で、IT企業から実家の魚屋の後継者へと転身し、新しい視点でSNSをビジネスに効果的に活用している森朝奈氏が、著書『共感ベース思考 IT企業をやめて魚屋さんになった私の商いの心得』から、経営における「共感ベース」の仕事術や発想法について解説します。

YouTubeでも対面でも魚屋としての伝え方は同じ

スーパーの中に父の魚屋があった頃のことです。煮つけにする魚を買いに来た常連のお客さまに、父がかれいをすすめました。でも、お客さまが選んだのはぶりでした。理由は、子どもがかれいが嫌いだから。以前食べたかれいが口に合わず、それ以来「かれいはまずい」と箸をつけようとしない、ということでした。

でも父は、前回のかれいが冷凍ものだったと聞いてもうひと押し。その日のかれいは天然。身がプリプリしていてぜったいにおいしいし、お買い得だから! とおすすめである理由を説明したのです。父のことをよく知っているお客さまは、「たかちゃん(父の名)がそう言うなら」とかれいを買って帰りました。

そして、翌日。昨日のお客さまがお店に立ち寄り、「かれいの煮つけ、子どもが大喜びで食べたのよ。たかちゃん、ありがとう」と言ってくれたのです。さらにそのお客さまは、その後はたびたびかれいを買うようになりました。

切り身のパックを並べておいただけだったら、お客さまは食べやすいぶりを選んだでしょう。かれいのおいしさを知ってもらえたのは、対面で販売していたからです。このときのことを思い出すたびに、経験や知識を生かしていろいろな魚を楽しんでもらえるようにすることも魚屋の大切な仕事なんだ、と再確認させられます。

対面販売のかわりにインターネットで魚の情報を提供

対面販売の魚屋は減ってしまいましたが、魚を売る父の姿を見て育ってきた私には、「魚のおいしさを知ってもらいたい」という思いがあります。YouTubeやSNSで魚に関する発信を続けているのも、そのためです。

スーパーに並ぶ魚の種類は限られていますが、魚の種類はとても豊富です。ただし、とれる季節や地域が限られ、とれる量にもバラつきがあります。必要量に応じて提供できるわけではないので、とれたものをおいしく、むだなく消費する工夫が必要です。そのために頑張らなければならないのが、私たち魚屋だと思うのです。

魚の知識をお客さまに伝えるという魚屋の役割

1カ月に1回、「朝市」として魚の激安小売イベントを行っています。

「あまり見かけないけれどおいしい魚」も知ってもらうため、朝市には、珍しい魚も並べています。たとえば「さめがれい」。とてもおいしい高級魚なのですが、欠点がひとつ。見た目が、かなり気持ち悪いのです。

コロナ禍による値くずれで、さめがれいを通常の7分の1ほどの価格で販売できた日がありました。魚屋としては、これに飛びつかないなんて信じられない! というほどの値打ちものです。でも一般のお客さまにとっては、「ただの不気味な魚」にしか見えないかもしれません。

そこで店先に立ち、「これは本当においしいよ」「うちでさばいてお刺身にできるから」「ちょっとあぶって握りにするのもいいよ」などと、どんどん勧めました。

おいしさや食べ方がわかると、ほとんどの人が喜んで買ってくれました。

多くの人に魚のおいしさを知ってほしいから魚に関する発信を続ける

朝市では順調に完売したさめがれいですが、たとえ破格の安さでも、同じものをパックづめしてスーパーで売るのは難しかったと思います。見慣れない魚は味も調理法もわからず、敬遠する人が多いからです。

でも、魚とお客さまの間に魚屋が入ったらどうでしょう? 知識と経験を生かしてその魚の価値や魅力を伝えていけば、食べてみようと思うお客さまも出てきます。

おいしい魚はたくさんあるのに、「知らないから食べない」なんて、もったいないと思うのです。

YouTubeでは魚のおいしい食べ方や扱い方のコツ、簡単な調理法などを紹介しています。手に入りやすい食材を使うことが多いのは、「食べてみたい」と思った人には、近所のスーパーで魚を買ってすぐに試してみてほしいから。

ひとりでも多くの人に魚のおいしさを知ってもらうことが、発信のねらいです。

ネットでの発信が「バーチャル魚屋」のように機能してくれたらいいな、と思っています。

YouTubeで紹介した魚を食べた視聴者さんから、「初めて食べたけれどおいしかった」というコメントをもらったときは、とてもうれしかった! パソコンの前の自分と、魚屋の店先で接客していた父がリンクした一瞬でした。

YouTubeという入口から出口となるビジネスへつなげていく

YouTubeとSNSのいちばんの違いは、動画配信には表に出るキャラクターが必要なことです。写真と文字の投稿なら、発信者が「企業」という形のないものであっても成り立ちます。でもYouTubeで同じことをするのは難しい! 動画の場合、企業の理念も商品のPRも、画面に登場している「会社の中の人」の口から語られるからこそ興味をもってもらえるのだと思います。

私がYouTubeに出ているのも、魚や魚屋の仕事に興味をもってもらいたいからです。魚をさばく技術なら、父やベテラン社員のほうが私よりずっと上。料理だって、私の何倍ものキャリアをもつ職人さんにはかないません。「魚のさばき方」や「魚料理のコツ」を紹介するためなら、私以外に適任者がいるのです。

それでも私が表に出るのは、魚や魚屋の仕事を身近に感じてもらうためです。

「魚屋」というと、鉢巻きをした男性が大きな包丁で豪快に魚をさばく、というイメージがあります。「魚料理が上手な人」といえば、白衣の似合う熟練の職人さんを連想する人が多いでしょう。でも私は、そのどちらにも当てはまりません。

「いかにも魚屋」の父が魚をさばく動画は、魚好きな人には参考になるはず。ただし魚を扱った経験があまりない人には、「素人には無理そう」というイメージを与えてしまう可能性もあります。でも、魚屋のイメージがない私が家庭用サイズの包丁で魚をさばく動画なら、身近に感じてくれるかもしれません。魚のプロである父にはない目線からの解説も、私だからできることです。

ベテランの職人には見えない私が、家庭にあるもので魚料理をつくってみせれば、魚料理が実は簡単であることが伝わるはず。「あの人にできるなら、自分にもできるかも?」と、魚を扱うことのハードルが下がると思うのです。

私はYouTubeを、「魚にくわしい人だけが見る動画」とは考えていません。魚のことをもっと知りたい、もっと食べてみたい、と魚に興味をもってもらう「入口」の役割を果たすものにしたいと思っています。

「興味」と「商い」の架け橋となるのはSNS

YouTubeやSNSの運用は「経験」から学んだ

SNSでさまざまな発信をしていますが、実は情報発信に関する私の知識は実用書を読んだ程度。ほぼ経験だけが頼りです。

一度、SNSの運用にくわしいコンサルタントにアドバイスを求めたことがありますが、「SNS=“数”に価値がある」という考え方がぜんぜんピンと来ませんでした。私には企業のSNSは「トライ&エラー」が大切で、それぞれの価値観に合う方法を探るのがベストであるように思えます。

試していくなかで、自然に発信ツールの使い分けもできるようになっていきました。

たとえば仕入れた魚をその日のランチで提供したい、というときは、LINEやインスタグラムのストーリーで。市場で素材の写真を撮り、その場で「本日のランチ大トロ丼900円!」などと発信します。数時間後のランチの集客につなげるためには、「すぐに」「来店が可能な人に」知らせることが大切だからです。

反対にイベントなどの情報は、多くの人に届くYouTubeで。それに加えて「いいね!」などで拡散につながるツイッターやフェイスブックなども活用しています。いろいろなツールを使い分けることで、ツイッターは質問形で書くとお客さまからの意見をリプライしてもらいやすい、インスタグラムは料理写真を正方形にリサイズしてから投稿したほうがおいしそうに見える、などの小さなテクニックも身についてきました。

SNSの情報発信で興味をアクションにつなげていく

YouTubeが興味をもってもらう入口なら、出口は実店舗やオンラインショップ、オンラインサロンです。

YouTubeを見て興味をもってくれた人の中には、魚を食べに行きたい、魚を買って調理してみたい、と思う人もいるでしょう。そういった人が求める形で受け皿を用意しておけば、「興味」を「商い」にもつなげることができます。また、リアルタイムでさまざまな情報を発信するSNSは、ユーザーのニーズを拾いにいくことができるツール。ニーズを形にすることがビジネスにもなると考えています。

森 朝奈

株式会社寿商店

常務取締役

(※写真はイメージです/PIXTA)