ウクライナ廃墟

ウクライナ戦争は停戦の見通しが立たない。歴史上、停戦し、講和に至った戦争を振り返る。


■第二次世界大戦

1939年9月1日に始まった第2次世界大戦は、連合国(英米仏ソ連など)が枢軸国(日独伊など)に勝った戦争である。イタリアでは、45年4月28日ムッソリーニがパルチザンに銃殺された。ドイツでは、4月30日ヒトラーが自殺した。

その背景は、連合国側の攻撃にイタリアドイツも反撃する能力を失ったからである。日本は、8月の広島、長崎への原爆投下で壊滅的な被害を受け、8月15日無条件降伏した。

今のウクライナ戦争は、ロシアウクライナもまだ継戦能力を維持しており、第2次大戦末期とは異なる。


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■日露戦争

話し合いによる停戦や講和が成立するためには、交戦国が消耗し、経済的に継戦が困難になる必要がある。そのような例が1904年2月に勃発した日露戦争である。ロシアでは帝政を打倒しようとする革命勢力が台頭し、国内が不安定になり、05年6月には黒海艦隊の戦艦ポチョキンの水兵が反乱を起こした。

日本は、05年3月の奉天会戦勝利、5月のバルチック艦隊撃滅などの成果を収めたものの、さらに戦争を続けていくのは、軍事的にも経済的にも不可能であった。


■調停役の存在

そこで、日本は、アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトに講和の斡旋を依頼し、ロシアニコライ2世も、帝政を守るために、日本との戦争よりも国内の革命勢力との戦いを優先させ、それに応じたのである。

ルーズベルトもまた、日本かロシアのいずれかが決定的な勝利を収めれば、その国がアジアを支配することになり、それは勢力均衡という観点からは望ましくないと判断して、斡旋の労をとった。

05年8月のポーツマスでの講和会議では、ロシアは南樺太を譲渡したのみで、賠償金は払わなかった。日本政府のプロパガンダで連戦連勝に沸いていた国民は、この結果に不満を抱き、日比谷焼き打ち事件などを起こして抗議したのである。


■冬戦争

1939年11月30日、ソ連軍(赤軍)はフィンランドに侵攻し、「冬戦争」が始まった。ソ連の指導者スターリンは、小国など直ぐに屈服できると思っていたが、フィンランドの抵抗は凄まじく、容易には屈しなかった。フィンランド軍はスキー部隊を編成し、自国の地形を活用して有効な戦いを進め、赤軍に壊滅的な打撃を与えた。

しかし、ソ連は兵力を増強して攻撃を続けたため、武器弾薬の消耗が激しいフィンランドは、敗戦は必至となると判断して、講和への道を選んだ。ソ連もまた、戦争の長期化は避けたいという思いから、講和に踏み切った。こうして、40年3月12日に講和が成立し、フィンランドカレリアなど領土の約10%を割譲することになったが、独立を保つことができたのである。

■歴史からの教訓

以上の例を参考にウクライナ戦争を考えると、日露戦争と違って、両国とも軍事的、政治的、経済的に限界には達していない。ウクライナにはNATOから最新の兵器が供与され続けており、武器弾薬が尽きたフィンランドとは違う。ロシアは軍事大国であり、核兵器も持っている。

また、日露戦争のときのセオドア・ルーズベルトのような、交戦国よりも強い国の仲介役がいない。米英独仏伊はウクライナ側で、中国はロシアの友好国である。トルコイスラエルも仲介努力をしているが、軍事力や経済力でロシアウクライナを停戦させる能力はない。


■「革命」は起こるか?

レーニン

第一次世界大戦のときは、ロシアではボルシェヴィキ革命が起こり、帝政は倒れ、革命の指導者レーニンは1918年3月に講和に踏み切った(ブレスト・リトフスク条約)。

ドイツでも1918年11月にドイツ革命となり、それがきっかけとなって、ドイツも講和を選択したのである。保守派は、戦場でドイツ軍が負けたのではなく、この左翼の革命という裏切り(「背後からの一突き」)によって、ドイツは敗北したと非難する。そういう雰囲気のなかで、ヒトラーナチスが勢力を拡大していくのである。

今はプーチンゼレンスキーを排除するような「革命」のようなことが起こる可能性は低いであろう。停戦への道は険しそうである。


■執筆者プロフィール

舛添要一

Sirabeeでは、風雲急を告げる国際政治や紛争などのリアルや展望について、舛添要一(ますぞえよういち)さんが解説する連載コラム【国際政治の表と裏】を毎週公開しています。世界各国のイマについて深掘り分析する連載です。今週は、未だ先行きが見えないウクライナロシア戦争をテーマにお届けしました。

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(文/舛添要一

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