
サッカーは民族対民族の力比べ
サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会の決勝トーナメント1回戦の日本対クロアチア戦が行われ、日本は前回準優勝のクロアチアに1-1からのPK戦で敗れた。
8強という未知の領域に立ち入ることはできなかった。
結果だけを見れば過去3度と変わらない。これまでとは違った自信と気概を持ってワールドカップ(W杯)を戦った。そしてドイツとスペインという欧州の優勝経験国を打ち負かした。
米国という異郷に日本人として生きている筆者にとっては、サムライ・ジャパンの雄姿は民族としての限りない誇りを共有させてくれた。
W杯は、確かに国旗の下に戦う国家同士の競技だが、それは民族の競い合いでもある。
(欧州勢には白人でない選手もかなりいたが、彼らもまた先祖から受け継いだ民族の誇りをもってプレーしていたに違いない)
だが日本チームのメンバーをみても分かる通り、19選手が海外クラブに所属している。世界に羽ばたき、そこで鍛え上げた日本人の血が躍動した。
それだからか、今回のチームには国際的な風格があった。これまでとは違った自信と気概を持ってW杯を取りに行った。
ドイツとスペインという欧州の優勝経験国を打ち負かした。前回準優勝のクロアチアと互角に戦い、PK戦で負けた。これは時の運だった。
次期開催国・米国に欧州の厚い壁
米国も頑張ったが、決勝トーナメントでは欧州の壁に阻まれた。4年後のW杯は米国、カナダ、メキシコの北米3か国の共同開催*1だ。
*1=2026年W杯の開催地は米国のロサンゼルス、ニューヨーク、ダラスなど11都市、カナダのモントリオールなど3都市、メキシコ・メキシコシティなど3都市。北米大陸での開催は初めて。
何でもナンバーワンを誇ってきた米国だが、サッカーのワールドカップだけはなかなかナンバーワンとはいかない(もっとも女子は4回優勝している)。
それでも第1次リーグではイングランドと引き分け、「敵対国」であるイランを破って、決勝トーナメントまで駒を進めた。だが、強豪オランダには歯が立たず、3対1で敗退した。
「オレンジ(オランダのこと)に粉砕され、放逐される」(Orange-crushing ouster)
12月4日付のロサンゼルス・タイムズは試合後、ピッチに両膝をついてうなだれる米国選手の写真を載せて、大見出しで無念さを表していた。
手に汗握るゲームに世界市民は熱狂している。だが米国民は、いまいちだ。
「それはそれでいい」と、サッカー好きな主要メディアのベテラン国際報道記者は筆者とテレビ観戦しながら言う。さらに続ける。
「米国が勝って喜んだイラン市民の1人が警察に射殺されたり、欧州の一部国家が、カタールがスタジアム建設に外国人労働者を雇い、多くの犠牲者を出した点を取り上げ批判するなど政治色が色濃く出た」
「W杯中継でノーマスクの観衆を観た中国の若者たちは自国の『ゼロコロナ』政策に反発、抗議デモが起こった。一党独裁国家が隠そうとしても隠せない社会矛盾が露呈した」
「『平和の祭典』の最中もロシアはウクライナ侵攻の手を緩めず、北朝鮮の独裁者はミサイル発射を繰り返している。W杯に出ていれば非難囂々だったろうが、皮肉なことに、これらの『問題児』のロシア、中国、北朝鮮は、地区予選リーグで枕を並べて敗退していた」
「そうした中で、日本はトップレベルのドイツ、スペインを倒した。クロアチア戦も事実上引き分けみたいなものだ」
「あのキビキビしたプレーや監督の采配ぶりはすがすがしい。まさにサムライだった」
「卓越した一人のプレーヤーに頼る欧州や南米のチームとは違っていた。米国がこれから強くなるためには学ぶべきは、日本だ」
米国は、カナダ、メキシコと共催する次回2026年大会を見据え、20代中心のメンバーで臨んだ。
23歳の主将、MFのタイラー・アダムズ*2は、大会を振り返りこう語っている。
「世界最高の選手たちと互角に戦えることが証明できた。米国のサッカー界にとって大きな進歩だ。僕たちは正しい方向に進んでいる」
「個々の選手はより成熟しなければならない。一緒にいる時間が長いほど、成長できるはずだ。僕たちの若さや可能性を最大限に生かしていく」
*2=米プレミアム・リーグ・サッカー(MLS)のニューヨーク・レッドブルズの下部組織で力を付け、ライプチヒ(ドイツ)を経て、今年7月にリーズ(イングランド)と5年契約を結んだ。代表でも仲間からの信頼は厚く、選手間投票で主将を任された。
米国のエース、FWのクリスチャン・プリシック(24)*3は、イランとの1次リーグ最終戦で16強入りを決めるゴールを挙げたが、その際に相手GKと交錯し負傷交代した。
出場が危ぶまれたが、不安を感じさせない動きで起点となり、後半にはアシストもマークした。そのプリシックは、試合後、こう語る。
「このチームがここまで来られたことを本当に誇りに思う。多くの人に自分たちの力を見せられた」
*3=1次リーグ初戦のウェールズ戦ではティモシー・ウィアの先制点をアシストしたが、試合は1-1の引き分けに終わった。続くイングランド戦も引き分け、イラン戦では、セルジーニョ・デストが頭で折り返したボールを体ごと押し込んでゴールを決めた。このゴールが決勝点となり、米国は2大会ぶりのグループステージ突破を果たした。祖父がクロアチア出身で、タイラーも米国とクロアチアの二重国籍保持者だ。
2026年のW杯では、アダムズとプリシックが米国チームの顔になることは間違いなさそうだ。
中南米移民が米国サッカーを変えた
サッカーが米国に紹介されたのは1869年。ロンドンにフットボール・アソシエーションが設立された6年後だった。
1980年にはアメリカン・フットボール協会が正式に発足、東部アイビーリーグの大学チームを中心にプレーされていた。
ところがそのアイビーリーグに所属するイエール大学の学生の一人(ウォルター・キャンプ氏)が球を蹴るだけでは満足せず、球をもって走るフットボールとラグビーとを合体したフットボール、つまりアメリカン・フットボールを考案したのだ。
従来のフットボールは、サッカーと呼ばれて続けられ、東部を中心に中学高校や地元のサッカークラブでプレーされてきたが、メジャー・リーグもでき、一般大衆の間では、新参者のアメリカン・フットボールが見る見るうちに広がり、その後ラジオ・テレビのスポーツ中継の花形になってしまった。
カレッジ対抗はもとより、プロのアメリカン・フットボール・リーグ(NFL)が1965年結成された。
(https://www.footballhistory.org/)
(https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_American_football)
米国人男性が子供の頃から自分でプレーするスポーツとしては、バスケットボールが一番(3030万人)だが、ゲーム観戦を一番楽しむスポーツはアメリカン・フットボール(37%)。
バスケットボールは11%、ベースボールは9%、サッカーは7%だ。
こうした人気度を反映して、アメリカン・フットボールをテレビ中継で観る視聴者は年間延べ1億5700万人。
年間で視聴率上位100番組のうち、75はアメリカン・フットボール試合中継が占めている。
(https://bleacherreport.com/articles/1691465-how-the-nfl-became-americas-sport)
その意味では、サッカーは「日陰者」だったのだが、1965年以降、中南米からの移民が増えたことからサッカー人口は急速に増えた。
カリフォルニアやテキサスといった中南米が多い地域ではスペイン語テレビネットワーク、テレムンド*4がMLSの試合を中継するようになった。
*4=1954年、プエルトリコのサンファンにWKAQ-TVが開業。ムンドはスペイン語でワールド(世界)を意味している。2002年にはNBCユニバーサルを買収。
スポーツ・ジャーナリストのトム・オーク氏は米国でのサッカーについて筆者にこうコメントする。
「これまでサッカーがあまりポピュラーでなかった理由は4つある。一つは、NFLやNBA、MLBに比べると輝き(Lustre)に欠けていたこと」
「もう一つは、テレビ局の放映権に制限があったため各局が放映に乗り気でなかったこと」
「そして、W杯では女子がチャンピオンになったが、女子チームが強すぎると、男子チームはそれと比較されて敬遠されてきたこと」
「それにMLSにはスーパースターがいなかった。ドイツのヒーロー、ユルゲン・クリスマンが監督になった時でも、米国の一般市民は騒がなかった」
最近の世論調査では成人の32%が「自分はサッカー・ファンだ」と答えており、54%が「サッカーに関心がある」と回答している。
前出のテレムンドは「サッカーは今や急成長のスポーツだ」とコメントしている。
2026年W杯のチャンピオンを決める決定戦は、かつてハリウッド競馬場だったところを全面改修したソフィスタジアム(Sofi Stadium)だ。
(https://abc7.com/inglewood-world-cup-sofi-stadium-los-angeles/11966381/)
できればそこで日米の激突試合が観たいものだ。
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