
21歳女性を陵辱、遺体をバラバラに…「ルーシー事件」犯人がビデオに記録した“卑劣な余罪の一部始終”――平成事件史 から続く
2000年、六本木で働いていた英国人女性ルーシー・ブラックマンさん(21歳、死亡当時)が行方不明に。のちに神奈川県三浦市内の海岸にある洞窟で発見された彼女の遺体は、陵辱のすえにバラバラに切断されていた。
捜査一課の刑事たちは丹念な捜査の結果、会社役員・織原城二(48歳、逮捕当時)の犯行であることを突き止める。織原はオーストラリア人女性カリタ・リジウェイさん(21歳、死亡当時)をも殺害したとみられ、それを糸口にルーシーさん殺害事件の真相を究明しようとするのだが――。
ここでは捜査に携わった刑事たちが事件の真相を語った『刑事たちの挽歌〈増補改訂版〉 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』(髙尾昌司 著、文春文庫)を一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/前編を読む)
◆◆◆
「これは、殺しだ。織原に殺意がなかったとしても、準強姦致死事件であることは間違いない」
新妻管理官から報告を受けた有働理事官も、直感的にそう思った。
織原がカリタに陵辱の限りを尽くしているビデオテープがあることを知った有働は、その映像を何度も見つめながら捜査のプランを練った。
ビデオテープに記録された「犯行」カリタは着衣を剝がされた状態で映り込み、両手両足が紐でベッドの四隅に括りつけられている。ときどき手足をバタつかせているのは、抵抗を試みているからなのだろうか。顔色は蒼白で表情というものがない。
部屋の3か所に設置されたカメラの画角などは、リモコンでコントロールできる。照明が獲物の白い肌を照らし出す。
黒の目だし帽を被った小柄な織原が、画面の端から素っ裸で現れた。このシーンだけを見れば滑稽な状況だが、あとに続く卑劣な行為が想像できるだけに、カリタが哀れでならない。
織原が、褐色の薬瓶からタオルに染み込ませている液体はなんだろう。ベッドの上で横向きに寝かされたカリタの顔近くにそのタオルを置く。速乾性の液体だからなのか、織原は何度もその液体をタオルに染み込ませた。
「こりゃ、死んでしまう……」
有働は思わず呟いた。
カリタ・シモン・リジウェイという21歳の女性が、織原からの陵辱によって死亡させられたのだとすると、その死因は何か。
有働は、被害女性を映したビデオテープの存在が明らかになった早い段階で、科学捜査官の服藤警部に相談を持ちかけていた。
「服さん。この映像で使用されている薬物を特定できないかなあ」
「映像からですか?」
服藤は一瞬躊躇った。映像だけで使用薬物を特定したなどという話は今まで聞いたことがなかったからだ。使用薬物の特定は通常、被害者の代謝物や胃の内容物を分析して行う。
しかし、相手は有働理事官であり、服藤はこれまで有働からの申し出を断ったことがなかった。もちろん、結果は必ず出してきた。
「やってみましょう」
困り果てているらしい有働からの依頼を受けた服藤は、大量のビデオテープとデッキを借りて早速映像の解析に着手した。
執念の捜査によってつかんだ「証拠」ビデオテープの内容をひと通り見た後で、考えをある程度まとめ、知人でもあり、有働もよく知っている昭和大学医学部麻酔科学教室助教授である増田豊医学博士のところへ意見を聞きに行った。その後も公判対策のための議論を重ねていき、結論としては、睡眠剤、鎮静剤、麻酔薬などを投与された可能性を映像から導き出した。
一方で服藤は、ビデオテープに映し出されていた褐色瓶にも注目していた。映像の中で織原が手にしていたあの瓶だ。カリタの様子などからして、使用された薬物はおそらくクロロホルムであろうことは想像できたが、画像解析してもラベルは剝がされていて確認ができなかった。
「これ、押収されていないかなあ……」
捜査本部による家宅捜索では、褐色瓶を数多く押収している。ラベルが剝がされているものも、その中にあったはずだ。立会いを求められた家宅捜索で目にした記憶が確かにある。
科捜研に問い合わせてみると、鑑定中の瓶にそれは混ざっていた。内容物はクロロホルム。
現物を手に取った服藤は、ラベルを剝がす際、ガラス瓶に残る糊の跡に目を奪われた。
「指紋と同じかも……」
糊の跡を画像としてコンピュータに取り込んで解析してみると、特徴が映像の瓶に一致した。点と点が線になった。これらを科捜研に回して詳細な鑑定を依頼する。
服藤の“発見”は、科捜研の鑑定でも裏付けられた。
ついに判明した、カリタさんの死因織原が被害女性たちに用いていた薬物はこれでほぼ特定できた。次の課題は死因の解明だ。服藤はまた有働に呼ばれた。
「カリタの件なんだけど、彼女はどうやら劇症肝炎で死んでいるらしいんだよ。服さん、どう思う?」
「確か、クロロホルムには急性、慢性を含めて肝臓毒性がありますよ」
「ほっ、本当か?」
「クロロホルムの肝臓毒性は、毒物の勉強をしている者なら常識的に知っていますよ。劇症化するかどうかは調べてみますが、たぶん間違いないと思います」
「ありがとう。これでいける。逮捕状が取れる」
椅子から立ち上がって服藤の手を握り、喜びをあらわにした有働だったが、その目には涙が光っていた。
服藤は文献を調べていくうちに、クロロホルムの急性暴露が肝障害を引き起こし、それが時に劇症肝炎に移行することや、劇症肝炎罹患後に肝性脳症に移行することがあること、また、劇症肝炎罹患の初期の段階で、「羽ばたき振戦」と呼ばれる症状が見られることを突き止めた。
ビデオテープに映し込まれたカリタは昏睡状態であることが窺われるにもかかわらず、ベッドで手足をバタつかせていた。これが医学用語でいうところの「羽ばたき振戦」なのだろう。
裏付け捜査を任された「敏腕刑事」織原がクロロホルムを用いて陵辱に及び、カリタを死に至らしめたことは、服藤の報告で説明できるようになった。問題は、この裏付け捜査を誰に任せるかだ。
特別捜査本部の捜査員たちは、ルーシー失踪事件にかかりきりになっている。カリタの件については別班を編成しなければ人手が足りない。科学的なアプローチとアドバイスは引き続き服藤に頼んだ。
「カリタ事件を解明せずしてルーシー事件には到達せず」
こう判断した有働の脳裏には、第二強行犯捜査殺人犯捜査二係の笹川保警部の顔が浮かんだ。
「これは笹やんにしか任せられない」
笹川は捜査二課から一課に移って15年余り経っていたが、汚職事件捜査担当から殺人捜査への配置換えは異例のことだった。
二課の捜査では証拠の緻密な積み重ねが求められる。笹川の持ち味はそこにあった。
事実、1991年に発覚した「東京大学医学部技官酢酸タリウム毒殺事件」の捜査でも、笹川の持ち味は十分に発揮された。
「職場で飲むコーヒーに毒を入れられた」と訴えながら死亡事件の端緒は、ある都立病院からの通報だった。当時入院していた東大技官の内田賢二が、「職場で飲むコーヒーに毒を入れられた」と訴えながら死亡したのだという。
司法解剖の結果、内田の死因は酢酸タリウム中毒であることが判明し、内田が職場で使用していたコーヒーポットからも酢酸タリウムが検出された。
本富士署に設けられた特別捜査本部では、同大医学部附属動物実験施設で毒劇薬物を保管担当する内田の同僚に当初から疑いの目を向けたが、その一方で、逮捕までには922日もの日数をかけた。
犯行に使われたと見られる酢酸タリウムについては、同一ロットはもとより、その前後に製造されたタリウム計127本(瓶詰め換算)を特定し、これらが納品された全国50か所の研究機関などに捜査員を派遣。
回収したタリウムは、一般企業も含む複数の研究機関に提出して鑑定を依頼し、このことによって、同僚が保管を担当していたタリウムとコーヒーポットのタリウムが成分的に同一であることを証明したのだ。
問題は犯行の動機だが、科学捜査と併せて同僚の谷本靖男(仮名)を追及したところ、「内田とはふだんから人間関係がうまくいっておらず、仕事上のことで注意しても無視され、目障りだった」などとの供述を得た。
谷本靖男は、2000年6月に最高裁で懲役11年の実刑判決が確定している。
有働は、カリタ事件の解明や犯罪性の立証には、笹川警部のこうした経験が不可欠であると考え、赤羽警察署の特別捜査本部にいた笹川に携帯電話をかけたのだ。
(髙尾 昌司/文春文庫)

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