ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story [番外編]
オードラ・マクドナルド渾身の絶唱に酔う、『ビリー・ホリデイ物語』

文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 

 2017年の『ホリデイ・イン』を皮切りに、ブロードウェイやウエストエンドの名作ミュージカルやプレイをライブ・ビューイングで上映し、演劇ファンを魅了してきた松竹ブロードウェイシネマ。来年2023年の第1弾が、3月10日(金)から公開される、オードラ・マクドナルド主演の『ビリー・ホリデイ物語』だ(原題『Lady Day at Emerson’s Bar & Grill』)。これは、ブロードウェイで2014年に限定上演され絶賛を博し、同年12月にニューオーリンズのジャズ・クラブで再演された舞台を収録したもので、その後2016年に初公開された。見どころを紹介しよう。

ブロードウェイ公演のプレイビル表紙

ブロードウェイ公演のプレイビル表紙

■早逝した天才歌手の人生

 20世紀のアメリカ音楽史を代表する、不世出の天才ジャズ歌手ビリー・ホリデイ(1915~59年)。近年は、関係者や共演ミュージシャンの証言を丹念に集め、波瀾万丈の生涯を浮き彫りにしたドキュメンタリー映画「BILLIE ビリー」(2019年)や、後述する彼女の代表曲〈奇妙な果実〉を巡るエピソードを軸に展開する、「ザ・ユナイテッドステイツ vs. ビリー・ホリデイ」(2021年)が公開され、その存在が再びクローズアップされた。

こちら本物のビリー・ホリデイ

こちら本物のビリー・ホリデイ

 酒とドラッグに溺れ、麻薬不法所持で逮捕と、乱脈を極めた凄絶な人生を送り、44歳の若さで息絶えたホリデイ。本作『ビリー・ホリデイ物語』(以下『BH』)は、彼女が死の4か月前に、フィラルフィアの寂れたクラブで歌い、合間のトークで人生を語るという設定。いわば「プレイ・ウィズミュージック」のスタイルだ。脚本はラニー・ロバートソン。NYでは1986年に、オフ・ブロードウェイのヴィンヤード劇場で初演され賞賛を浴び、今なお世界中で上演を繰り返す。ちなみに日本では、『LADY DAY(レディ・デイ)』のタイトルで翻訳上演。まずは1989年に、ちあきなおみの主演で上演され、以降1994年の再演では阿知波悟美、1996年に田中利花、比較的最近では、2014年に安蘭けいがホリデイ役に挑戦した。
 

■ホリデイの魂が息づくヴォーカル

ホリデイの特徴を巧みに捉えたマクドナルド

ホリデイの特徴を巧みに捉えたマクドナルド

 さて、今回上映される再演版『BH』で、ホリデイに扮するのはオードラ・マクドナルド。『回転木馬』(再演/1994年)や『ラグタイム』(1998年)、『ポーギーとべス』(再演/2012年)などのミュージカルオペラはもちろん、プレイ、コンサートに至るまで華々しい活躍を続ける、アメリカが誇るパフォーマーだ。ただ、NYでこの公演を観る機会を得た私は、開演前まで不安だった。ジュリアード音楽院で声楽を学び、豊かで伸びやかなソプラノの美声で鳴らした彼女と、ささくれ立った酒ヤケ声のホリデイではイメージが繋がらなかったのだ。

 だがそれは杞憂に終わった。拍手に迎えられステージに登場したマクドナルド。1曲目の〈私たちの愛は何処へ消えたの〉を歌い始めた瞬間、私を含む観客全員が息を呑んだ。唖然とするほど似ていたのだ。時折しゃくり上げるような独特の節回しで、悲しげな表情を見せたかと思うと、一転童女のような可憐さを感じさせる、あの唯一無二の唱法を完璧にマスターしていた。しかも物真似に終わらず、ホリデイの人物像を把握した上で、それを歌唱に反映させる演技力にも感嘆。本作で6度目、しかもプレイ部門でトニー賞に輝いたのも当然だった。
 

■〈奇妙な果実〉の衝撃

 続いて、〈女が男を愛する時〉と〈月光のいたずら〉を軽くスウィングし好調だ。さらにグラス片手の語りは、最初の夫を「最低の男だった」とクサしたかと思えば、差別を受けた話を肴に、ほろ酔いオバさんの自虐ネタ入りボヤき漫談風トークが全開。しかし、十八番の〈ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド(神は自ら財を築く子供を祝福する)〉などはじっくり聴かせ、さすがに上手い。ホリデイが乗り移ったかのような、マクドナルド絶妙の語り口に魅せられる。

辛辣なジョークを交えたトークでも観客を沸かせる。

辛辣なジョークを交えたトークでも観客を沸かせる。

 ところが、グラスを重ねる内に酩酊状態。感情の起伏が露わになり、15歳で娼婦に身を落とした忌わしい過去や、敬愛する父が肺を病んだものの、差別が激しいダラスでは満足な治療を受けられず、病院をたらい回しにされた挙句に亡くなった記憶が甦り、激しく取り乱し、憑かれたように歌う。そんな中で、白人のバンドリーダー、アーティー・ショウが専属歌手として自分を迎え入れ、しかも対等に接してくれた厚意に、涙ながらに感謝を捧げる件は感動的だ。

 そしてショウのエピソードに続き、いきなり歌い始めたのが〈奇妙な果実〉。これは1939年に録音以来、ホリデイのキャリアでも大きな意味を持つ楽曲で、南北戦争以降、1870年に憲法で奴隷制度を廃止した後も公然と行われていた、白人暴徒によるリンチ殺人が活写される。「南部の木には奇妙な果実がなる。葉っぱに血が流れ、根っこに血が滴る。黒い遺体が南部の風に揺れている‥‥」という歌詞を聴いただけで、残忍な光景が目に浮かぶショッキングな歌だ。冒頭で触れた映画「ザ・ユナイテッドステイツ~」は、この曲を歌う彼女を、差別撤廃運動を扇動する危険人物と見なしたFBIの暗躍を描いていた。マクドナルドは淡々と、しかし湧き上がる怒りを抑えながら入魂の演唱を聴かせる。

〈奇妙な果実〉を収めた名唱集「ビリー・ホリデイ/奇妙な果実」(1939/44年録音/国内盤CDで入手可)

〈奇妙な果実〉を収めた名唱集「ビリー・ホリデイ/奇妙な果実」(1939/44年録音/国内盤CDで入手可)


 

■名演を余すところなく収録

 ブロードウェイ版と、今回上映されるバージョンの演出・監督は、ミュージカルを中心に活躍するロニー・プライス。『コーラスライン』(1975年)の作詞家エドワード・クリーバンの生涯を綴る『クラス・アクト』(2001年)では脚本と主演も兼ね、2002年に来日公演を行っているので御記憶の方もあろう。彼は、スティーヴン・ソンドハイム作詞作曲『メリリーウィー・ロール・アロング』の初演(1981年チャーリー役)などに出演後、演出家に転じ成功した。マクドナルドとは、コンサート版の『スウィーニー・トッド』(2000年)や『サンデー・イン・ザ・パークウィズジョージ』(2004年)、『パッション』(2005年)などのソンドハイム作品で組んでおり、その実力を知り尽くした一人。『BH』でも、奇をてらわぬ正攻法の演出で、彼女の卓越したパフォーマンスをがっちり見せる。

 また本作で描かれたように、死の間際まで歌い続けたホリデイ。彼女が、亡くなる前年の1958年に録音し、晩年の名盤と評されたアルバムが「レディ・イン・サテン」だ。ストリングス主体の優美な伴奏と、彼女の荒れた声のミスマッチが痛々しいが、聴き返すごとに、歌詞を慈しむように歌うホリデイのヴォーカルに惹き込まれる。一聴の価値ありだ。

「レディ・イン・サテン」(1958年録音/国内盤CDかダウンロードで購入可)

レディ・イン・サテン」(1958年録音/国内盤CDかダウンロードで購入可)

『ビリー・ホリデイ物語』(2016年)のオードラ・マクドナルド