文=松原孝臣 写真=積紫乃

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東京生まれ、東京育ち

 株式会社岩岳リゾート代表取締役社長としてさまざまな策を打ち、岩岳マウンテンリゾートの飛躍に結びつけた和田寛は、もともとは農林水産省の官僚であった。

 東京に生まれ東京に育ったという。

「親父が山登りが好きで好きで、という人間なので、けっこう連れてきてもらっていました。小学生の頃には北アルプス縦走をしたこともあります」

 スキーにも親しみ、中学、高校生になると「同級生と年に3回くらいスキーに行って、こんなに面白いスポーツなかなかないよな、と」、このように振り返るほどスキーにも熱中した。

 そうした背景が進路にも影響を与えた。

「もともと自然が好きというのが1つ。もう1つは、うちの親父も役人だったのですが人の役に立つことを仕事としているのが子供心にかっこいいなと思っていたところがありました。そういうのを掛け算したときに、人の役に立つ仕事で自然環境の問題を取り扱うところ、自然環境を生業にした事業やであるとか田舎の活性化に取り組めるところがいいなと。農水省というのは比較的自然なオプションで出てきたんですね」

 いざ足を踏み入れてみたものの、思い描いていたような取り組みができるわけではなかった。

「いわゆるキャリア官僚みたいな立場になり、法律職という仕事なので組織の取りまとめをしたり、組織をどうするみたいな話をしたり、法律を書いたり。でも自分はもっとダイレクトに田舎をよくする仕事がやりたい、そういう思いが強くなっていったのが最初の2、3年だと思います」

田舎のビジネスを活性化

 一方でこうも考えた。

「田舎をよくすると思ったけれど、無限にお金が出てきて自然環境の保護などにお金を使えるわけではないし、お金をばらまけば幸せになるかと言えばそんなこともない。結局のところ、田舎のビジネスが元気にならない限り、活性化されることはないんだろうなと思いました。そう考えたとき、役人は法律や国会答弁を書くのはうまくなっても、ビジネスをよくする本質がつかめない。いったんビジネスの勉強をしたいと考えました」

 入省してから丸8年が経った頃、コンサルティングの会社に身を投じた。不動産、金融、流通、さまざまな業界の企業を対象に業務に励んだ。

「目の前のお客さんのビジネスをよくする仕事は面白かったです。楽な仕事は1つもなかったけれど、知的にはチャレンジですし」

 それでもくずぶる思いがあった。

「40歳の手前に思ったのは、やっぱり田舎をよくする仕事につきたいということでした。コンサルティングの会社に行った頃から百名山の完登を目指し始めていて、各地の山に行ったり、スキー場もまわったりしていました。そこで感じたのは、自分がいちばん最初にスキーにはまった90年代と比べると、ものすごい寂しい状況なのだな、ということでした」

 そんなとき、スキー場を運営する会社が中途採用の募集をしているのをホームページで目にする。

「日本スキー場開発という全国で8つのスキー場を保有している会社です。入社したその日に子会社である白馬観光開発に出向させてもらいました。当時白馬観光開発は3つのスキー場を運営していた会社です」

 その中に岩岳も含まれていた。

 長年あたためていた思いをかなえる場をようやく得ることができた。そのとき「白馬を」と考えたのは、もともと白馬に魅力を感じていたからだという。

「いちばん最初に来たのは役所に入った1年目なので2000年頃です。そのときはなんとなく『すげえな』くらいの感じでしたが、ブランクがあって2010年くらいに来てからは毎年1、2回、必ず来ていました。ブランク開けに来て感じたのは、この山の眺めを見て滑れば滑るほどスケール感が桁違いであること。町もこぢんまりとして面白そうな町だな、とも思いました。『ここか野沢温泉で仕事したいな』と思ったのを覚えています。野沢温泉もスキー場は面白いし、町もいいですよね。

 白馬に戻ると、スキー場として白馬に勝てるところは個人的にないと思っています。1個のスキー場という意味ではなく、白馬のスキー場はすごい」

白馬の強みと課題

 白馬の立地も強みを感じた。

「移動時間が4、5時間くらいの距離に、1000万、2000万の人口圏が東京、名古屋、大阪と3つあるわけです」

 一方で、課題も感じた。

「すでに外国人の観光客も増えつつはあったんですけれど、日本人のビジネスがそんなによくなっているようなイメージがない。それにこんなにすごいところなのに、元気じゃないように感じられる人も多いように思いました」

 魅力を感じつつ、だからそれをいかしきれていないようにも映った。白馬に移り住んだ原動力の1つである。

 長年の思いを土台に、岩岳を成功に導いた。農林水産省、コンサルティング会社の経験はそこにいきているのだろうか。

 和田はこのように答えた。

「むしろ、同じ目線を一緒に向けられるかどうかみたいな話のような気がします。けど、僕の場合、特に仲良くさせてもらっているスタッフが何人もいます。それこそ4人でバーベキューやりながら、『おい、どうする? このままならつぶれるぜ』みたいな話をしながら、議論でもなんでもなく雑談の中からアイデアが出てきたりする。いろいろな人と一緒にできるかどうか、チームがあるかどうかだと思います」

ただ課題はまだ感じている。そしてそこには岩岳にとどまらない問題も含まれている。(続く)

 

和田寛(わだゆたか
白馬岩岳マウンテンリゾート代表。1976年生まれ。東京大学法学部を卒業後、農林水産省ベイン・アンド・カンパニーを経て2014年、白馬で働き始める。白馬岩岳マウンテンリゾートの経営者として改革に取り組み、グリーンシーズンの来場者数がスノーシーズンを上回るなどして収益を大きく改善する。11月11日に『スキー場は夏に儲けろ! 誰も気づいていない「逆転ヒット」の法則』(東洋経済新報社)を刊行。

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白馬岩岳マウンテンリゾート代表・和田寛氏