1960年代初頭、東西冷戦の最前線であったカナダはアメリカと核シェアリングすることを決めます。それに伴い導入されたのが、CF-101戦闘機。同機を導入した結果、カナダでは政権交代まで起きたそうです。

国産機の開発プロジェクト捨ててまで選択

「合衆国の51番目の州」と形容されるほど、アメリカと経済的に結びつきの深いカナダ。同国は第2次世界大戦後のいわゆる冷戦時代、米ソ両大国の間に位置する地政学的要件から、最前線といえる国のひとつでもありました。

カナダが当時警戒していたのは、旧ソ連から飛んでくる核兵器搭載の戦略爆撃機などです。そこで、同国が採った手段はアメリカとの核シェアリング(共有)、そして空対空用の核ロケット弾の運用能力獲得でした。

そのためにカナダが導入したのが、マクダネル・ダグラスCF-101「ヴードゥー」。日本では聞きなれない戦闘機が採用されるに至った経緯と、カナダの国防戦略について見てみましょう。

そもそも、東西冷戦が深刻度を増しつつあった1950年代初頭、同国は全天候ジェット戦闘機アブロCF-100「カナック」を独自に開発し、部隊配備を始めます。

CF-100は、カナダ空軍防空司令部の傘下に9個飛行隊が編成され、北米大陸の防空任務に就きました。しかし、当時は各国で戦闘機の超音速化が進んでいる最中であり、超音速飛行ができないCF-100は早い段階で後継機が必要になると認識されます。その結果、カナダ政府はより高性能な新型機として、マッハ2級の長距離全天候戦闘機アブロCF-105アロー」の開発を、CF-100の運用開始と同じ年、1953(昭和28)年から開始しました。

CF-105アロー」は、フライバイワイヤなど当時の先端技術を盛り込んだ意欲的な戦闘機として計画され、1958(昭和33)年3月25日に初飛行します。ただ、それから1年後の1959(昭和34)年2月、突如として開発計画は中止されます。

中止の理由は、ソ連から飛来する長距離爆撃機からカナダを守るには、1958(昭和33)年から配備が始まっていた地対空ミサイルボーイングCIM-10B「ボマーク」があれば十分だからという理由でした。

しかし、その発表の裏でカナダとアメリカの両政府は、非公式に66機の長距離全天候戦闘機の導入交渉を進めていたのです。それがマクドネルF-101「ヴードゥー」でした。

核ロケット導入で政権交代まで起きた!

カナダが、わざわざCF-105アロー」の開発を止めてアメリカ製のF-101「ヴードゥー」を導入することにした理由のひとつが、冒頭に記した核ロケット弾の運用能力です。想定されていたのは無誘導のAIR-2「ジニー」でしたが、実際に核弾頭を装備し、さらに取得コストについてアメリカ側の許諾を得るためには時間をかける必要がありました。

ただ、その一方で、アメリカとカナダの防空システムと指揮命令系統を統合した北米防空司令部「NORAD」が、1958(昭和33)年より運用を開始します。そのNORADにリンクするアメリカ軍運用のレーダー基地が、北極海沿岸や太平洋岸などカナダ国内に計11か所設けられていましたが、これらのレーダー基地をカナダ軍に移管するとともに、カナダF-101戦闘機を「CF-101」の名称(Cはカナダの意味)で導入することが1961(昭和36)年に両国間で合意されます。

しかし、この時点でCF-101への核ロケット弾搭載に関しては未解決のままでした。これが後にカナダ政界を揺るがす大問題に発展します。理由は、CF-101の武装にありました。

本来、CF-101は前出したように核弾頭付きのAIR-2「ジニー」空対空ロケット弾を搭載・運用できるから選ばれたのに、それができないとなると、他の戦闘機でもよかったというハナシになります。この時点で、CF-101の装備は通常炸薬のAIM-4D「ファルコン空対空ミサイルだけという状態でした。

これではカナダの防衛には不十分であるとされたほか、こうしたCF-101でなくても良いという観点から先のCF-105アロー」の開発中止への疑念も重なり、大きな政治問題と化したのです。結果、カナダではこの問題をきっかけに政権交代が起きました。

その後、新たに政権の座に就いた自由党政権は1963(昭和38)年8月16日、アメリカと新たな合意を結び、ようやくCF-101に核弾頭を搭載したAIR-2A「ジニー」空対空ロケット弾が搭載できるようになりました。

ただし、このときの合意では、使用する核弾頭カナダが保有するとは書かれていませんでした。

自軍が核兵器使えるよう米兵常駐を認可

カナダ核兵器を保有しなくとも使用できるようにするため、アメリカ軍兵士が国内各地に分駐することを認めます。

こうしてアメリカ空軍第425弾薬支援隊の分遣隊がカナダ空軍の各基地に配置されることとなり、彼らが核弾頭の保管と管理を行うという役割分担が採られました。また、これにより、万一ソ連爆撃機もしくは国籍不明機が飛来した際は、NORADから迎撃命令が出されると、必要に応じてアメリカが保有するAIR-2「ジニー」核ロケット弾がカナダ空軍のCF-101戦闘機に直ちに搭載されるという体制が構築されました。

とはいえ、カナダ空軍の兵士も核兵器を取り扱うにあたり必要な訓練を受けることになり、最終的にカナダ軍でAIR-2「ジニー」が実戦配備状態に至ったのは1965(昭和40)年6月のことだったと言われています。

こうして、カナダでは1984(昭和59)年までCF-101「ヴードゥー」の運用は続けられました。ちなみに、アメリカからカナダに提供されたF-101は全機が複座型ですが、それらは56機のCF-101Bと後席からも操縦が可能な転換訓練型の10機のCF-101Fという内訳です。

1970(昭和45)年からは全機がアップグレードされ、機首に赤外線センサーを取り付け、火器管制装置は新型に換装されました。こうして能力を向上させたCF-101は、1980年代前半に後継機となるCF-188「ホーネット」が配備されるまでカナダの空を護り続けたのです。なお、防空の任から解かれたCF-101の一部は電子戦機に転用され、その後も運用継続。1987(昭和62)年にようやく全機が退役しました。

米ソ超大国による核戦争が現実味を帯びていた1960年代、非核国カナダ仮想敵国からの核攻撃を阻止するために下した決断が、シェアリングによる核武装でした。幸い核弾頭を装備した空対空ロケット弾AIR-2A「ジニー」が実戦で使用されることはなく、ソ連崩壊とともに冷戦も終結しています。

それから30余年、ロシア、中国、北朝鮮と、核兵器を誇示する複数の隣国に囲まれた日本は核攻撃の阻止について戦略の策定に迫られています。今日のわが国にとって冷戦下のカナダが下した決断は一つの教訓になるのではないでしょうか。

カナダ空軍のCF-101B「ヴードゥー」戦闘機(細谷泰正撮影)。