宮﨑駿監督によるアニメーション映画の最高傑作を世界で初めて舞台化した「千と千尋の神隠し」。全国5大劇場の計102回にわたる公演で、いずれも即日完売を達成した超人気公演だけに、チケットが取れずに涙を呑んだ人も多いはずだ。なんと現在、U-NEXTをはじめとした各動画配信サービスで、17台のカメラで映しだした本作の帝国劇場公演を先行配信中。ダブルキャストを務めた橋本環奈主演公演、上白石萌音主演公演の両バージョンを楽しめる、ぜいたくなチャンスとなっている。

【写真を見る】映画と舞台版を比較!ハクが千尋におにぎりをあげる名シーンはどのように再現?

原作映画はイマジネーションとアニメ表現の豊かさを追求した作品とあって、舞台化は不可能では…?と思いきや、数々の名シーンをアイデアと造形技術、役者陣の熱演によって見事によみがえらせ、まるで特別な魔法を見ているかのような驚愕必至の舞台となった本作。鑑賞後の観客からは絶賛の声が続々とあがっていたが、今回は両バージョンのレビューとして見どころをご紹介する。

■イマジネーションとアニメ表現の最高峰、どうやって舞台化した!?

両親と引っ越し先に向かう途中、トンネルから八百万の神々の世界へ迷い込んだ10歳の千尋が、人間の世界に戻るために、神々が集う湯屋「油屋」で働きながら奮闘する姿を描く本作。翻案と演出を手掛けたのは、「レ・ミゼラブル」世界初演の演出を担うなど、演劇史に残る名作を生みだしてきたジョン・ケアード。翻訳・訳詞家でケアードのパートナーでもある今井麻緒子が、演出補佐と共同翻案を務めた。今回先行配信されるのは、ケアードと今井が監修を行った新バージョンで、橋本主演の帝劇公演は完全なる初配信。上白石主演の帝劇公演は7月に配信されたバージョンの再編集版だ。

宮﨑駿が原作・脚本・監督を務めたアニメーション映画千と千尋の神隠し』は、湯婆婆やカオナシをはじめ個性たっぷりのキャラクターが躍動し、誰も見たことのない不思議な世界を観客に披露した。心揺さぶる千尋の物語だけでなく、イメージの飛躍やアニメーション表現の可能性が無限大であることを示し、第75回米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門賞を受賞。いまだに何度見返しても新鮮な驚きをくれる傑作だ。アニメだからこそ描けるキャラクター、シーン、展開が満載であるがゆえに、誰もが「舞台化できるの?」と疑問に思ったことだろう。

実際に舞台を鑑賞してみると、引っ越し最中の車に乗り込んだ千尋ら親子3人の姿は、声の抑揚やたたずまいもまさに原作映画そのものといった雰囲気。重厚感のある「油屋」の前に千尋の味方となる美少年のハクが現れ、千尋と一緒に不思議な世界へぐんぐん引き込まれていく。

「油屋」で働く釜爺の伸縮可能な6本の腕は、“黒子”のような役割を担う複数の俳優たちが腕のパペットを操演。青蛙やススワタリも操演者がすばらしく、まるでキャラクターが生きているかのように表現していた。

太った大根の神、おしら様は着ぐるみで登場(おしら様と千尋がエレベーターに乗るシーンの滑稽さは舞台版も最高)。カオナシダンサーが彼の孤独と奇妙さをダンスで体現するなど、このキャラもいる!このシーンもやってくれるの!?と映画から抜けだしてきたような場面の連続で、ワクワクが止まらなかった。

映像表現として原作映画で印象的だったのが、ドロドロに汚れた体と悪臭を放ちながら「油屋」を訪れたオクサレ様という神を、千尋がお世話するシーン。舞台では、切れ切れの布を重ねてオクサレ様の汚れとド迫力の巨体を造り上げ、役者陣が顔をゆがめ、えずく様子からもどれだけの悪臭が漂っているのかが伝わってくる。湯婆婆の「心をそろえてー!」との掛け声に合わせて、油屋一同でオクサレ様に埋まっていたゴミを引き抜き、踊りながら大仕事を成し遂げた喜びを弾けさせるひと幕は、演者と観客との一体感を味わえる、舞台らしい感動的な瞬間として仕上がっていた。

またカオナシ巨大化は、大きな口の造形物を人々が動かすことでその暴れぶりを表し、クライマックスの名シーンである千尋とハクが空を舞う場面も、彼らを人力でリフトして表現するなど、どこまでもアナログにこだわった“人の力”が感じられる演出が大きな見どころ。アニメーション表現の最高峰を舞台化するうえで欠かせなかったのは、アイデア、そして人の手と温もりだったのだ。

千尋がハクを助けるために、崩れていくパイプのうえを走り抜けるシーンもちゃんと再現されているのだが、ここも制作者陣のアイデアにうなること間違いなし! 上白石は「お稽古や公演を観るたびに『目が足りない!』と思っていました」と語っているが、配信版ならば、操演者の動きや造形物の細部までじっくり観察することができるので、ぜひ何度も確認してみたい。

橋本環奈、初舞台で見せた“成長”

千尋役は、橋本と上白石がダブルキャストで務めあげた。配信されている橋本主演版の主なキャストは、三浦宏規(ハク)、辻本知彦(カオナシ)、妃海風(リン/千尋の母)、橋本さとし(釜爺)、夏木マリ(湯婆婆/銭婆)といった面々。

橋本にとって、初めての舞台出演となった本作。イベントやトーク番組などでいつも明るい笑顔を弾けさせる彼女の最大の魅力は、力強い推進力だろう。小柄な身体のどこに秘めているのかという、太陽のようなエネルギーに満ちあふれている。そんな橋本が、本作の製作発表記者会見では「いままで緊張したことがない性格だと思っていたんですが、ここに立って初めて緊張というものを感じています」と明かしていたことからも、今回どれほどのプレッシャーを感じていたのかがわかる。

純粋な子どもの心を持つ千尋を演じるうえでは、橋本の透明感もより際立ち、見惚れてしまう瞬間も。配信版ではアジサイ越しに千尋を映しだすアングルがあるのだが、その美しさには思わず釘付けになった。また異世界に迷い込み「ここで働かせてください!」と訴える千尋のまっすぐな瞳、最初は気弱な表情で階段もソロソロと這うように降りていた千尋が、「ハクを助けたい!」と勇敢に走り出していく姿には、橋本の持つ底力が見事に反映され、まばゆいほどの輝きを放つ。こちらまで元気付けられるような千尋の登場に、改めて橋本は人々を励ますことのできる特別なパワーを持った女優なのだと実感した。

戸惑いながらもたくさんの出会いを経て、誰かのために動けるまでに成長していく千尋は、不安のなかで“舞台”という未知なる場所に足を踏み入れた橋本の心境とピタリと重なるものだ。当時の彼女だからこそ見せられた瞬間を捉えた本作は、女優・橋本環奈の分岐点を目撃する意味でも見逃せない。ドキュメンタリー番組「情熱大陸」では、「千尋と共に成長できる気がする」とキッパリと語っていた彼女。スタンディングオベーションを浴びたカーテンコールでの晴れやかな笑顔を見ていると、その予感が的中したことに間違いない。

上白石萌音からあふれだす“優しさ”

配信されている上白石主演版の主なキャストは、醍醐虎汰朗(ハク)、菅原小春(カオナシ)、咲妃みゆ(リン/千尋の母)、田口トモロヲ(釜爺)、朴璐美(湯婆婆/銭婆)ら。

これまでも舞台での実績を積み重ねてきた上白石だけに、本作でも表現力に加え、舞台上での見せ方といった面でもズバ抜けた才能を発揮している。冒頭から、声の出し方、Tシャツの裾をギュッとつかむ仕草、ガニ股気味に地団駄を踏む様子など、舞台上に現れた千尋は10歳の少女そのもの。ハクからおにぎりをもらってワーンと泣きじゃくる少女らしい一コマは、配信版ではハクが千尋の涙を拭う仕草もわかるのでご注目。生オーケストラとの息もぴったりで、上白石は劇場の隅から隅まで、千尋という存在をしっかりと届けてみせる。

上白石の女優としての大きな魅力は、舞台で躍動するしなやかさと、どんな瞬間も彼女自身の春風のような優しさがにじみでることだと感じる。製作発表記者会見の場では、緊張をほぐすように橋本の背中にポンと手を置いていたし、イベントや舞台挨拶でも彼女がさりげない気遣いを見せる場面をよく目にする。そして本作にも、たっぷりとその優しさが注がれていた。例えば、千尋が雨に濡れるカオナシに「そこ、濡れませんか?ここ開けておきますね」と語りかける思いやりに満ちた表情は、彼の孤独を解放する説得力もたっぷり。電車に乗って銭婆のもとへ向かう道中、ネズミとハエドリに「肩に乗っていいよ」と背中を預けようとするひと幕も、千尋の見せる慈愛にほっこりとするシーンとなっている。上白石の笑顔に触れると、心にポッと灯りがともったような気持ちになる人も多いことだろう。コロナ禍にお目見えした上白石=千尋は、人々を癒す力にあふれているようで大いに心を打たれた。

ダブルキャストで千尋を演じることには、大きなプレッシャーがあったと想像するが、製作発表記者会見において橋本と上白石は、「一緒にいると安心感がある」と声をそろえていた。さらに公演が始まると会えなくなるという理由から、2人が交換ノートで気持ちを伝え合っていたという美しいエピソードも。大役を果たし、戦友となった橋本と上白石がこれからの日本エンタメ界を担っていくと思うとなんとも心強い。ぜひこの機会に両バーションとも鑑賞して、彼女たちのきらめきを目にしてほしい。

文/成田おり枝

龍の姿になったハクと千尋の神秘的なシーンは…/[c]2001 Studio Ghibli・NDDTM