2002年のデビュー曲「もらい泣き」が、ロングヒットとなり一躍人気アーティストの仲間入りを果たした一青窈。デビュー20周年を迎えたその日、10月30日に、東京・中野サンプラザホールでデビュー前から音楽的な支えとなってきた音楽プロデューサーの武部聡志をバンドマスターに、旧知のミュージシャンらと記念コンサートを開催した。

【写真を見る】松任谷由実と作った「かたつむり」の制作話では驚きのエピソードも

この20年の間には、世代を問わずいまなお愛され歌い継がれる「ハナミズキ」(2004年)や、SOIL&“PIMP”SESSIONSとコラボしたカバー曲「他人の関係」(2014年)など、数々のヒット曲を放ってきた。

2020年には、松任谷由実が曲を書きおろした「かたつむり」をリリース。今夏は、デビュー年が同じでプライベートでも交流のある森山直太朗が曲を付けた「耳をすます」など、コンスタントに新曲も制作している。これらの楽曲をはじめ、シンガーソングライターのCharaBONNIE PINKゴスペラーズの酒井雄二といったアーティストとコラボレーションした楽曲を詰め込んだアルバム「一青尽図」をリリースする。一青のエモーショナルで美しい言葉にメロディーで寄り添いながら、各々のアーティストらしさもしっかりとにじみ出ている楽曲は、コラボという名の薫り高い果実のようだ。基本的に歌詞を先に書き、メロディーはその歌詞に合わせて制作する、いわゆる詞先で作られるのだという。

■ここで頼んでおかないと、という気持ちに自然となりました

「詞は、たいてい曲を作ってほしいとお願いする人をイメージしながら書きます。もともとプライベートで交流のあるCharaさんもそうで、『ライブの後半で身体を動かせるような、1980年代シンディーローパーみたいな曲にしてください』とお願いしまいした。ご本人が“Theキュート”な方ですから、そうした曲が似合うなぁと思って。Charaさんから、『窈ちゃんらしいこぶしが回せるようなところも入れて作ったよ』と言っていただいたように、一青窈×Charaさん風味の面白いコラボになったと思います。デモ音源を聴かせていただいたら、当然ながらCharaさんの声で仮歌が入っていて。あの独特のウィスパーボイスは魅力的ですから、自分が歌うときに引っ張られないように意識しました。

友達のBONNIE PINKに曲を作ってもらいたくて、2篇ほど詞を送ったんですが待てど暮らせど返事がない。それで、どうしたのと尋ねたら、もう1つ書いてもらえないかと言われました。それで書いたのが『カノン』です。この詞を渡したら、すぐに曲が帰ってきて、彼女らしいおしゃれな曲に仕上がりました。

同じ年にデビューした(森山)直太朗もそうですが、親しくなるとかえって『曲を作って』と言い出しにくいものなんです。ただ、今なら20周年にかこつけて作ってもらえるかなと(笑)。これまでは、この先もずっとお互い音楽を続けていくのだからと、どこか先延ばしにしているところがあったと思います。でも、新型コロナウイルスの感染爆発などがあり、人は死ぬという事実をすごく突き付けられた。ここで頼んでおかないと、という気持ちに自然となりましたね。今回、頼むことができて本当によかったです」

■(森山)直太朗の名前が挙がったので直接電話をして依頼をしました

友達だから逆に頼みにくいという気持ちは、多くの人も共感しうる感覚だろう。その一方で、瞬間的に高まった感情を言葉に替えてぶつけるという衝動は、多感な10代のころならまだしも誰もが持ち続けられるものではない。だが、一青はこれまで一貫して、自分の心が動いたことに対して、無防備なくらいに素直に従い、詩をつづってきた。そうしたアーティスティックな感性を互いに認め合える仲間と本作を制作できたことは、20年の積み重ねがもたらした宝物に違いない。

「私は、いい詩が書けたと思うと誰かに『曲を作って』と、唐突に詞を送ってしまう癖があるんです。送られた方は大変ですよね(苦笑)。たとえば、『耳をすます』は、SNSで若い方の悲報に触れ、どうしようもなく心がざわついて、その夜に泣きながら書いたもの。武部さんに『この詞を曲にしたいのですが、誰がいいと思いますか?』と相談したら、直太朗の名が挙がったので、私から直接電話をかけて依頼しました。

直太朗とは1年に1度電話するかどうかという感じなのですが、電話のたびに私をからかおうと変なことばかり言ってくるんです。『もしかして、これから俺に告白しようとしてる?』とか、『やっと俺の魅力に気づいた?』とか(笑)。それを無視して、曲をお願いしたいんだけど…と話を切り出したら、今度は『そっか。じゃあ、俺のことが好きだったみたいな歌詞でもいいよ』みたいなことを言い出して(笑)。私には、後にも先にもそんな気持ちを持ったことは1ミリもないから書けないよと丁重にお断りしました(笑)」

■(松任谷)由実さんはわずか3時間で「できたよ」。そして『いま、この場でメロディーを歌うから覚えて』と

一方で、日本のポップミュージック・シーンをけん引してきた先人たちとのコラボレーションは、スリリングで刺激的なものだったようだ。松任谷由実と作った「かたつむり」の制作エピソードは、聞いているだけでもかなりドラマチックだ。音楽という共通項があるからこそ叶う、ジェネレーションや関係性を越えた真剣勝負をかいま見せてくれる。

「2年前、由実さんに作曲をお願いした『かたつむり』は、誹謗中傷に深く傷けられた人を知り、心を痛めていたときに湧き上がった思いを詞に綴ったものです。書きあげた詞をメッセージアプリで由実さんに送ると、わずか3時間後くらいに『できたよ』と返事がきたんです。それで、武部さんと一緒にスタジオに入ったのですが、由実さんから譜面を渡され、

『いま、この場でメロディーを歌うから覚えて』と。いきなり覚えてと言われて、内心ものすごく面喰らいましたよ。嘘でしょって。師匠と弟子ではありませんが、由実さんに5回以上は歌っていただくわけにいかないなと思い、冷や汗をかきながら必死に覚えました。由実さんが私のために作ってくださった、その気持ちに私も精一杯応えたいと思い集中して頑張りました。いざとなると、覚えられるものですね(笑)。

後日、アレンジする段になり、ミュージシャンがスタジオに集められましたが、今度は、思いもよらないアレンジ対決がはじまって…。当初、由実さんは吉田拓郎さんなどを彷彿とさせるような、フォーキーなアレンジをイメージしていたようでした。私はもっとカントリーっぽい、冒頭のギターがもっと力強いアレンジを考えていました。スタジオで、ミュージシャンの皆さんに演奏していただき、聴き比べた後、由実さんは『私の負けね。あなたの言う通りだわ』と言ってくださいました。負けたというのは由実さんの優しさだと思いますが、そのおかげでコーラスでも参加してくださいました。本当にすばらしい先輩なんです」

■そうした刺さる言葉を折々に伝えてくださることを含め、いちいちカッコいいんです

武部氏を介して古くから松任谷と親交がある一青。日本のポップミュージック・シーンに、その名を刻み続けるカリスマから、言葉だけでなく立ち居振る舞いからも多くを吸収し学んできたという。

「ありがたいことに、由実さんの苗場ライブを何度か拝見していますが、ライブ後の関係者打ち上げでいつも驚かされっぱなしです。内輪の打ち上げとなると、時間は真夜中を過ぎるのですが、いつも完璧なファッション、コーディネートで現れるんです。そのオーラを放つ佇まいで『ライブ、どうだった』って尋ねられると、自分の服装が恥ずかしくて。せめて靴とバッグの色をそろえてくれば良かったと、後悔したこともありました(笑)。そんな圧倒的な存在なのに、さりげなく『これ、聴くといいわよ』とレアなCDをポンと手渡しでくださったりする。そういうことを、さらりとされる方なんです。

いい曲を創るために、人知れずご自分を犠牲にすることもあるのかなと思ったり。それでもなお、いい曲を創り続けていくんだという、すごみみたいなものも感じました。いちいちカッコいいんです。先輩の背中を見ていると20周年なんてまだまだひよこだなって思いますね」

■うかつな言葉は書けないなという気持ちが強いからかもしれません

活発にクリエイターや音楽家と交流し、制作もコンスタントに行ってきた一青。にも関わらず、なぜ前作より8年も要したのだろうか。

「アルバムは、『さあ、今年はアルバムを作るぞ』と計画的に制作するというより、曲がたまったからアルバムになるかなという感覚で作っているので、結果的に時間がかかるんです。ただ、かつてスティーヴィー・ワンダー(米ブラックミュージック界のレジェンド)が7年ぶりにアルバムを出したときに、『すごい時間をかけるんだな』と驚いた私が、それ以上かかってしまったので、確かに8年は長過ぎますね(笑)。

理由の1つは、子どもを育てていたからですが、いまは保育園や学校に通うようになりましたから、その間に制作を進められるようになりました。それ以上に、由実さんをはじめ、すばらしい人たちから有形無形問わずたくさんのものをいただいているので、うかつな言葉は書けないなという気持ちが強いからかもしれませんね」

旧知のアーティストに曲を依頼するのと同時に、初めて関わる音楽家とも積極的にコラボレーションを行った本作。その1つは、ジャズシーンで活躍する俊英で、オーケストラタクトを振ることもある、米・ニューヨーク在住の挾間美帆と創り上げた「i²」だ。

「作曲をお願いした挾間さんは、共通の友人を介して知り合いました。昔、音楽雑誌のライターをしていた友人が、あるとき『コロナワクチンの推奨ソングを作りませんか』と、提案してくれたのがはじまりです。作り始めた当初は、私自身ワクチンの知識が不十分だったこともあり少し迷いもありましたが、すぐにワクチン接種が進み、歌は不要に。でも、せっかくつながったご縁を大事にしたかったので、ワクチンとは全く関係ない“恋愛ソング”を、憧れを込めて作ることに(笑)。厄介な恋愛をしている友人がいるので、その人の気持ちを書いてみたいなと思いました。それに、今は特に、誰かに会いたいと思う気持ちが切実なのかなとも思いますし、純粋に会いたいという気持ちは尊いですからね。

挾間さんとは、本来なら対面して曲作りをしたかったのですが、このご時勢でニューヨークから来ていただくことも難しく、結局は1度もお会いすることなく曲は完成しました。ジャズシーンで活躍する方なので、音階が独特で、言葉に対して細かく譜面を描く印象を受けました。歌う際も、普段と違う難しさを感じましたね。ただ、もともと予定調和が苦手で、どうなるかよく分からない方が面白い。わけも分からないまま来た球を打つみたいな、何がどう出るか分からないことにワクワクするんです(笑)」

■目の前に観客がたった1人でもいれば歌い続ける自信はあります

知人からの頼みを快く引き受けたかと思えば、自分から動いて思いがけない依頼を引き寄せることもある。それが、10月公開の映画「役者として生きる~無名塾第31期生の4人」の主題歌「あうん」だ。ことのはじまりは、一青は無名塾で塾生となり、演技を学びたかったという気持ちからだったという。

「これまでに演技のお仕事もやってきたので、技術的に演技をもっと磨きたいと思っていました。それで、本を読んだり映画を観たりしましたが、それでは上達できないんですよね。ならばと、ワークショップに参加したのですが、課題に取り組もうとすると相手の方が『なぜ、自分の相手が一青窈なの?』と驚いてしまい、どうにもうまくいかなくて。それで、プロに演技指導をしていただけるところを探したのですが、なかなか見つからず、思い余って無名塾に入りたいと思いお手紙を書いて送りました。アンジェラ・アキさんが自分の土台をもっと高めたいと留学したように、私は無名塾で演技を学びたかったんです。

ですが、無名塾の決まり事では私は年齢的に受け入れられないようで、お断りの返事をいただきました。と、同時に、映画主題歌の歌詞を書きませんかと(笑)。やっぱり私は歌の人なんだなと思いましたね」

こんなふうに出会いや縁を大切にしながら、マイペースに、自分の心に素直に、ひたむきな歌を届けてきた。活動は、音楽に限らず演技や詩集など多岐に渡るが、彼女にとっては20年前もいまも、根っこにある思いは変わらないのだという。

「私の歌人生は、ストリートライブから始まっていて、デビュー前からずっとライブで直接歌を届けることを大事にしています。それはこの先も変わりませんね。このアルバムに収録されている『6分』という曲や、デビュー曲『もらい泣き』や『ハナミズキ』を作ったマシコタツロウとは、長年一緒にライブをやってきた間柄。バンドメンバーよりもお客さんが少ない時代を共に経験してきました。それでも、目の前に観客がたった1人でもいれば歌い続ける自信はあります。

その分、テレビなどでの歌唱は年々難しさを感じますね。かつての生放送はまだ、どんな人たちが見てくれているかある程度想像ができました。ただ、いまはテレビだけでなくネット配信などもありますし、誰がいつ、どこで見るか選択肢が多すぎて想像もつきません。どこに向けて、どう歌えばいいか戸惑うことも少なくないのです。

こうした時代だからこそ、直接のつながりをとても愛おしく思うし、大事にしたいです。手書きのファンレターの文面に、『歌を聴いて生きようと思いました』と書かれていたりすると、歌ってきてよかったと心から思います。また、デビュー前から行っている病院でのライブで、清掃員の方などから『この仕事していてよかった』と言われた瞬間も嬉しかったですね。由実さんや森山良子さんのような、素敵な人と出逢えることも大きな励みです。そうしたリアルな感じをこれからも大事にしたいですね」

取材・文=橘川有子

『約8年ぶりのアルバム『一青尽図』をリリースする一青窈/  撮影=諸井純二