本日最終回を迎える『鎌倉殿の13人』(NHK総合ほか)。先週放送の第47回「ある朝敵、ある演説」では、京都の後鳥羽上皇尾上松也)が「義時追討」を打ち上げ、鎌倉の御家人たちに院宣を下した。そんななか、小栗旬演じる執権・北条義時は自分の首を差し出すことで、事態を収束させようとする。ここ最近、完全なる“ダーク”な存在になっていた義時だが、改めてそれは私利私欲のためではなく“鎌倉のため”だったと印象づけた。そんな義時について、最終回前にその人物像を深掘りしていきたい。

【写真】笑顔がかわいい“小四郎”から徐々に“ダーク”に…北条義時の表情を写真で振り返る

 伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊として、伸び伸びと生活していた義時。ある日伊豆に流れ着いた源頼朝大泉洋)が姉・政子(小池栄子)と結婚したことにより、大きく人生が変わる。兄・宗時(片岡愛之助)が掲げた坂東武者の世を作るという理想を受け継ぎ、頼朝に仕える義時。

 序盤の義時は、人の良さが目立ち、周囲から頼みごとをされると断れないような存在だった。誰のことも信頼しない頼朝も、義時の人柄に心を許したからこそ、無理難題を押し付けるようになった。

 義時にとって衝撃的な出来事として挙げられるのが、第15回の上総広常佐藤浩市)の最期だろう。頼朝と木曾義仲(青木崇高)との争いに乗じた頼朝謀反計画。その意志はなかったものの、策略によって参加する形となった広常。この時、義時は広常に反頼朝派に参加するように頼んでいた。広常の力を脅威に感じていた、頼朝や大江広元(栗原英雄)の罠だったが、目の前で広常が殺されたとき、義時は涙を流していた。

 頼朝から「力と恐怖により支配する政治」を学んでいく義時は、徐々に“人の良さ”が消えていく。義時の変化が加速していくのが、頼朝の突然の死去だ。そこから鎌倉は有力御家人たちの権力争いが始まり、不穏な空気が流れていく。義時自身「頼朝がやってきたまつりごとは、非情だけれども実は正解だった」という形で、頼朝の行動を踏襲していく。

■“闇落ち”していく義時、その最後の決断とは


 その後も、第2代将軍・源頼家(金子大地)を追いやり、父・北条時政(坂東彌十郎)の失脚、畠山重忠中川大志)の乱など、災いの元となるような火種は、罠にはめてまでも排除していく義時。中でも小栗自身がインタビューで、和田義盛(横田栄司)が絶命した和田の乱によって、感情的なものは捨てて、ある意味でドライになってしまったと話していた。

 さらに源実朝暗殺を止めず、死に追いやったあとは「私にはもう敵はいない。これからは好きなようにやらせてもらう」と高らかに宣言するなど、完全なる権力者として君臨する。その姿は、初期の義時とはまるで別人だ。

 一方、非情な行動を取る中でも、どこか、皆から「小四郎」と呼ばれ親しまれていたときの顔も見せる。そこが“ダーク義時”になっても完全に憎み切れないところなのだろう。

 権力の頂点を極めた義時だったが、ついに第47回「ある朝敵、ある演説」では、後鳥羽上皇から「義時追討」の命が下る。ここで義時は真っ向から戦うのではなく、狙いは自身の首であることを悟り、自ら京都へ赴き、命を差し出すという選択肢を取る。義時の行動にSNS上でも「非情な立ち振る舞いはすべて鎌倉を守るため」「すべてを背負って死のうとしている」「生真面目な男だ」とコメントされていたように、義時の苦渋の決断に理解を示す反応も多くみられた。

 そんな死を決意した義時の行動に待ったをかけた政子は、鎌倉の坂東武者たちを前に、自分たちの正当性を説き、朝敵となっても京と戦う決意を見せる。政子の演説、それに応じる御家人たち、そして息子・泰時(坂口健太郎)。この時流した義時の涙が非常に印象的だった。

 迎える最終回・第48話のタイトルは「報いの時」。公式HPに掲載された予告編では、これまでの義時の歩みと共に、息子・泰時に「頼んだ」と言葉を残している。「報い」とは善悪いずれについても使う言葉。義時の人生は「報われる」のか、それとも「報いを受ける」のか。義時が選んだ最後の決断から一瞬たりとも目が離せない。(文・磯部正和)

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はNHK総合にて毎週20時放送。BSプレミアム、BS4Kにて18時放送。

『鎌倉殿の13人』小栗旬演じる北条義時の名シーン (C)NHK