なお予断を許さないが、米国では11月までに消費者物価指数の伸び率が5カ月連続で鈍化し、インフレピークアウトが意識されるようになってきた。一方、世界的な利上げが進む中、金利を抑え込んできた日本では、2023年春に日銀総裁が交代する。今後の世界経済、日本経済を占う上で必要な視点は何か。日銀で要職を歴任し、現在は日本証券アナリスト協会の専務理事を務める神津多可思氏の寄稿をお届けする(JBpress編集部)

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(神津 多可思:日本証券アナリスト協会専務理事)

インフレ予想の読み誤り、検証は不十分

 世界的に久方振りのインフレとなっている。1年前の今頃、先進国の中央銀行エコノミストも含め、これほどインフレ率が高くなると、どれだけの人が予想していただろうか。

 その割には、ロシアによるウクライナ侵攻という驚きもあって、かつ、それが現在のインフレに大きく影響しているので、何を読み誤っていたかの検証にあまり熱が入っていないようにみえる。しかし、今から思えば、現在私たちがみている予想以上のインフレの芽は以前からあった。

 1年前に今日が予想できなかったように、1年後も本当のところどうなっているかよく分からない。未来に対し謙虚になるという意味で、現在しばしば議論されるメイン・シナリオ通りにならなかった場合、それはどういう理由によるものだろうかということを以下では考えてみたい。

 まず、インフレのトレンドが変わった可能性を考えたい。それが今大事なのは、これまでのインフレの上り坂の向こう側で、どの程度のインフレ率を想定するかで、現在の金融政策のスタンスが違ってくるからだ。

インフレのトレンドは元に戻るか

 米国でも日本でも、現在の高インフレは一時的とみられている。これが落ち着けば、米国で言えば2%のインフレ、日本で言えば2%よりはずっと低いインフレというのが大方の目線だろう。

 米国の金融政策を巡って、最近「ターミナル・レート」という言葉がよく聞かれる。政策金利が一番高くなる水準がどれほどかということだ。

 その水準は、この高インフレの向こう側で実現する定常的なインフレ率に依存する。もし、何らかの理由で、潜在成長率と整合的なインフレ率が2%よりも高いものになっているとすれば、2%インフレを目線にした金融政策スタンスでは、マクロの経済活動を抑制し過ぎてしまう。いわゆるオーバーキルだ。

 一方、日本では、まだまだ目指している2%のインフレと整合的なインフレ期待は形成されておらず、したがって日本銀行も現在の異次元緩和を継続するスタンスにある。

 何故2%インフレを実現しなくてはいけないかと言えば、それが長期的な日本経済の潜在成長率と整合的だからだという説明になるのだろう。しかし、過去10年間の異次元緩和の経験は、2%インフレはそうすぐには実現できないことを示している。そして10年間というのは、経済の実力を測るのに十分長い時間経過と言わざるを得ない。

 すぐには実現できないことを、すぐに実現しようとすれば、米国とは逆にマクロ経済を不必要に刺激することになるかもしれない。オーバーキルの反対であるとオーバードーズということになるか。

グローバル化の減速でインフレ圧力が高まる?

 今後、コロナ禍は次第に収まり、いつかはウクライナでの戦争も落ち着くのだろうが、その後、果たして以前のようなグローバル経済が戻ってくるだろうか。

 先進国経済は、ロシアなしのサプライチェーンを構築しなくてはならない。同時に、米中対立の中で、サプライチェーンにおける中国のウェイトも落としていかなくてはいけなそうだ。

 2000年代以降加速してきたグローバル化はここへ来て大きく変容しようとしている。先頃までの低インフレは、フルスケールでのグローバル化に支えられてきた。今後は、少なくともこれまでのようなスピードでさらにグローバル化が進展することにはならなそうだ。

 そして、コロナ禍やウクライナでの戦争は、サプライチェーンがそういった大きなショックに対して耐性を持っていること(レジリエンス)の重要性も再認識させるものだった。効率性をとことんまで追求したネットワークは、大きなショックがない時はうまく機能しても、どこかで寸断が起こると全体が止まってしまうということは、多くのグローバル企業が経験したところだ。

 グローバル化スローダウン、レジリエンスの重視は、いずれも企業活動、即ちマクロ経済の供給面に影響を与える。その時、需給ギャップの面からみたインフレ圧力は過去と比べてどうなるか。

 コロナ禍への対応として、先進国経済において、財政支出が大きく拡大している中で、供給面での制約がより強くなるのだとすると、インフレ率も、今の水準よりは低下するにしても、かつてのような低い水準になるかどうかは不確実ではないか。

ディレバレッジ続けば長期金利は元に戻らない?

 他方、現在、国際金融市場ではディレバレッジ、即ち必ず返済しなくてはいけない負債の比率を低下させる動きが進行している。それが構造的なものである場合、長期金利はかつてのような低い水準まで下がらないかもしれない。

 どうして今ディレバレッジなのかについては、いろいろな見方があるが、そもそもこれまでの企業のレバレッジが行き過ぎていた、即ち自己資本に比して負債の額が多過ぎたことへの反動という見方ができる。

 グローバル企業は盛んに自社株買いを行ったが、それはレバレッジの引き上げに他ならない。買い入れた自社株を消却すれば、自己資本は減るが、借入や社債等の負債はそのまま残るからだ。

 また、信用度の低い主体が発行する債券の利回りまでもが、少し前にはかつてない水準にまで低下した。これも、マクロ的には企業部門のレバレッジを引き上げた。

 そのような金融環境も、コロナ禍とウクライナでの戦争によって大きく変わり、現在、行き過ぎたレバレッジの反動が起こっている。上述のようなグローバル経済の変質の中で、このディレバレッジの動きもある程度続く可能性がある。そうだとすると、全般的に債券の人気が前よりもなくなるのだから、長期金利もまたかつてのような低水準にまで戻らないかもしれない。

経済がインフレ化するなら2%インフレは低過ぎる

 もし、定常的なインフレ率がかつてのように低くならないのであれば、米国の金融政策が2%インフレの目線で行われると、これまでのインフレの上り坂の向こう側ではオーバーキルになる。

 もっとも、事情はもう少し複雑だ。米国の中央銀行である連邦準備制度(FRB)が、現状の判断として高いターミナル・レートを予想し、民間経済主体がそれに反応して現在の経済活動を抑制すれば、結果的には政策金利を今予想しているほど高くしなくても済む。

 しかし、それでもFRBが2%インフレを十分見通せるようになるところまでターミナル・レートを引き上げると主張し続け、他方で定常的ではこれまでより高いインフレの時代になると、オーバーキルが起こることに変わりはない。

 この議論は、インフレに甘い金融政策が望まれるという話ではない。インフレ抑制が優先されるのは、厳密にはインフレ率が制御できなくなる事態を避けなければならないからだ。

 グローバル経済の構造がよりインフレ化するのであれば、発散しない定常的なインフレ率は、グローバル化が加速していた時期のものよりも高くなる可能性を考えているのである。そうした不確実性があることを、政策当局も家計・企業も、頭の片隅に置いておくべきだろう。

 他方、日本では、いよいよ定常的な2%インフレが現実のものとなるかもしれない。

「スイング・バイ」を試みる日本の金融政策

 2%インフレが何故日本経済にとって最善なのかについて、必ずしもこれまで十分丁寧に議論されてきたとは思われない。しかし、2%インフレがコンセンサスなのであれば、その実現の可能性がある以上、異次元緩和を継続するという日本銀行スタンスも一理ある。ここでも問題はインフレ率の制御だろう。

 日本では、これまで長いことデフレ経済を経験してきただけに、インフレ率の制御ができなくなるような事態はなかなか想像できない。しかし、上述のようなグローバル経済の構造変化の可能性を踏まえれば、中央銀行が当面インフレ率の制御を行わないと積極的に言い続けることにも、一抹の不安が残る。

 FRBは、少なくとも今より低いインフレ率の実現に向けた制御を表明している。日本銀行も、長い目でみてインフレ率を制御しようとしているのは同じだろう。

 現在の、海外の事情と円安によってもたらされた2%より高いインフレから、日本経済の内生的なメカニズムによって生じる安定的な2%のインフレへと、どういう道筋で乗り換えていくのか。そのストーリーにおいて、賃金の動向が重要な役割を果たす点には日本銀行も言及している。しかし、その日本経済の乗り換えの道筋が時間の経過とともに分かり易く描写されている訳ではない。

 宇宙探査機を、惑星や衛星の重力を利用して加速させたり減速させたりする航法のことを「スイング・バイ」と言うそうだ。日本銀行が現在やろうとしていることは、日本経済の内生的な2%インフレに向けて、このスイング・バイ航法をやろうとしているようなものだ。

 現実の宇宙探査機のスイング・バイについては、タイミングを間違えれば衛星の軌道制御ができなくなるので、背後では緻密な計算を行っている。マクロ経済については、なかなかそうはいかないが、せめて多くの人が納得するストーリーはほしい。そうした分かり易い説明をしていくことは、新しい正副総裁を迎える日本銀行の大事な課題の1つだろう。

自由な長期金利の形成を徐々に促すべし

 一方、長期金利に関しては、上述のようなグローバル経済の構造変化が起こっているとすれば、現在、しばしば起こるイールドカーブの歪みは、単なる投機筋の日本銀行への挑戦の結果とは限らないことになる。もちろん、将来のことは中央銀行も含め誰にも分からない。それだけに、金融市場の多様な参加者による試行錯誤が重要になる。

 本来、10年もの国債の流通利回りには、今後、10年間で何が起こるかということについての様々な思惑が凝縮される。その金利を固定化させることは、上述の構造変化の可能性を念頭に置けば、将来をみる窓を閉めてしまうことになりはしないか。

 グローバル経済の新しい状況と整合的な資源配分を実現するためには、未来に向けた金融市場の試行錯誤の力を磨かなくてはならない。その意味でも、より自由な長期金利の形成を徐々に促した方が良い。スムーズにそれを実現するのは決して容易ではない。しかし、これも日本銀行がこれから速やかに取り組むべき課題だろう。

 山登りをしていて、頂きが近づいてくると、自分の体も疲れ、視野はぐっと狭くなり、この上り坂の向こう側にどんな景色が広がっているかを想像する余裕もなくなる。

 今のグローバル経済もそれに似て、これまでのインフレの坂の向こう側にどういう世界が広がっているかを予想するのは難しいように感じる。

 それだけに、米国についてであれ、日本についてであれ、環境変化に目を凝らし、常に柔軟な思考を心掛けることが一層重要だ。未来を予想することは、もともと、極めて困難なのであるから。

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