2009年に公開され、3D映像革命を巻き起こし、いまだ世界興行収入の歴代1位に君臨するジェームズ・キャメロン監督の『アバター』(09)。その13年ぶりとなる続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』が現在公開中だ。神秘の星パンドラを舞台に、先住民ナヴィとして生きることを選び、アバターとなった元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)と、彼と結ばれたナヴィのネイティリ(ゾーイ・サルダナ)、そして2人の子どもたちが、再び人類の侵略に晒され、新たな戦いに巻き込まれていく様を描きだす。MOVIE WALKER PRESSで9月に前作『アバター』とキャメロン監督について話を聞いた映画監督の押井守が、満を持して『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を鑑賞。直後に再びインタビューを行った。

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■「分断の危機に晒されているいまは、より“家族”が重要になっていると思う」

――『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、ご覧になっていかがでしたか?

「3時間超えと聞いていたので『こりゃ、絶対に寝るな』と思っていたんだけど、寝なかったね。なぜかというと、いろんな要素がギュウギュウに詰まっていて、ダレ場がないから。私がいう“ダレ場”というのは、ドラマがいっさい進行しないシーンのことだよ」

――ジェイクとネイティリの次男ロアクとクジラのような巨大な生き物がたわむれるシーンは“ダレ場”とは言わないんですか?

「違います。あれは本作にとって唯一の出会いのシーンでとても大切。私の言う“出会い”は心を通わすこと。主人公一家と海の部族(メトカイナ族)は、心を通わすまでには至ってないので、出会いにはならない。つまり、ダレ場になりそうなシーンにさえ、重要なドラマを持たせているんですよ。

私は、この次男(ロアク)とクジラの出会いが今回のテーマになるんだろうと思っていたけど、そっちには行かず“家族”のほうに向かって行った。

なるほど、と思いましたよ。“家族”というのはアメリカ人の永遠のテーマ。誰もが最も関心を持っている問題だよね。しかも今回の主人公であるサリー一家は、ナヴィと人間の結婚によって生まれた家族で、2人の間にもうけた子どもたちはハーフだし、さらには前作で亡くなった女性科学者グレイスの子どもであるキリという女の子がいて、もう1人、スパイダーという100%人間の男の子もいる。あと2人で野球チームができるくらいの大家族(笑)。

でも、この家族構成もちゃんとアメリカを反映している。アメリカの他民族多文化なところ、養子にも積極的な姿勢を入れ込み、さらにはハーフの子どもたちが差別されるようなエピソードも用意している。多くのアメリカ人は共感するんじゃないの?

とりわけこの時代、つまり分断の危機に晒されているいまは、より“家族”が重要になっていると思う。アメリカという国自体が個人のアイデンティティの根拠にはならないから、やはり家族こそがアイデンティティの拠り所になるんだよ。キャメロンはそれをちゃんとわかっている。そういう意味では、“アメリカ映画の使命”をちゃんと果たした作品になっているんだと思ったね」

――確かに、家族構成がおもしろかったですね。しかも、みんな個性があるというか、特技もありましたね。

「優秀な長男とダメな次男の軋轢とか、その次男がクジラと心を通わせてみたり。キリという少女に至ってはもはや(『風の谷のナウシカ』の)ナウシカですよ。自然と会話ができる少女キリ。次の作品できっと、この2人が重要な役割を果たすんじゃないかと思わせるよね。

夫婦関係にもリアリティがある。ジェイクとネイティリの夫婦が仲睦まじいかというと、そんなことはなく、やはり人間とナヴィという背負う文化の違いがあって、何度も衝突する。それでいて2人とも、子どものためなら命を懸けるわけでしょ?『家族は最大の弱点だが、最大の強みである』や『家族は最後の砦』など、家族を表現するセリフもわかりやすく説得力がある。この辺は本当にうまいと思ったよ」

■「13年の歳月の多くはきっと、水の表現をいかにパーフェクトにするのかに費やしたんだと思う」

――今回のメインとなる舞台は“海”です。キャメロン監督はおそらく1作目がちゃんとヒットして、続編に対してスタジオからゴーが出れば、次は“海”で行こうと決めていたのでは?

「間違いなくそうだろうね。“水”というのはアニメーションでも鬼門なんだよ。水の表現はとても苦労するとはいえ、その苦労に見合っただけの評価やヒットになるかというと、非常に難しい。思い出してみても、うまくいった作品って『海のトリトン』や『崖の上のポニョ』くらいじゃない?『海のトリトン』は放映始まった当初は苦戦してたからね。

私が初めて“水”に挑戦したのは『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』だった。素子が夜の海でひとり、ダイブするシーンだよ。あれだけでもすごく大変だったんだから!キャメロンが『攻殻』で真っ先に褒めてくれたのも、あのシーンだった。『あのダイビングシーンはすばらしかった』と言っていた。素子が海から上がり、髪を振って、ダイビングスーツのジッパーを降ろすシーンが『すばらしい』って」

――さすが、ダイビング好きだけあって、褒めるところが違いますね(笑)。

「そうそう(笑)。私としても、実はとても苦労したシーンだからうれしかったんだけどさ。

アニメであれ、合成、CGであれ、水がからんだ途端、ハードルが上がる。時間も予算も、根性だって爆上がりする。だからキャメロンも、相当の覚悟でチャレンジしたんだと思うよ。前作から本作までの13年の歳月の多くはきっと、水の表現をいかにパーフェクトにするのかに費やしたんだと思う。

映画を観ると、水中だけじゃなく、水中に飛び込んだり浮上したり、あらゆる表現をしているからね。しかもキャラクターたちにとても細かい芝居をさせている。そういう演出を見ていると、水中でちゃんとパフォーマンス・キャプチャーできるようなシステムを開発したとしか思えないんだけど」

――開発したようですよ。パフォーマンス・キャプチャー用のスーツを着た役者をちゃんと水に潜らせたようです。

「だろうね。ほかの監督だとホンモノの水は使わずデジタルで処理するよ、絶対。だってキャラクターはデジタルなんだし。でも、そこをデジタルでやっちゃうとキャメロンのモチベーションがなくなってしまう。そりゃ、役者に『水に潜れ!』と言っちゃうでしょ(笑)」

――そうでしょうね。

「その水の表現でいいと思ったのは、映画的な快感原則がちゃんとあったところ。普通、水のなかはテンポも落ちるし圧迫感も窒息感もある。ところが、この作品にはそういうネガティブな要素が全然なくて、ある意味では、空を飛ぶくらいの爽快さすら感じる。そこにはもちろん、キャラクターが人間じゃないという映画的な嘘があるんだけど、それでもこういう爽快感を演出しているのはすごいよ。

あと“イルカに乗った少年”のような描写ね。前作の鳥(イクラン)のような存在で、今回は大きな魚を乗り物にしている。ああいう生物のデザインワークもさすがだね」

■「『ああ、やっぱりキャメロンって映画のために生きてるんだな』ということを改めて痛感した」

――あのイルカの役割を果たす生物はイルー、クジラのように大きいのはトゥルクンという名前ですね。

「そのトゥルクンを人間たちが捕まえようとするシーンは捕鯨を意識しているよね。まず、目が行ったのは、さすがキャメロンだけあって捕鯨船を巡るメカが大充実しているというところ。捕鯨船にキャッチボート、潜水艇があって、空には偵察機、カニのような多脚ロボットも出てくる。しかもそれぞれデザインも悪くない。キャメロンの思い入れは伝わってくる。

捕鯨シーンについては、日本は捕鯨国で、世界の環境団体からいろいろ言われていて耳が痛いシーンではあるんだけど、知識人でもあるキャメロンは単純に捕鯨国だけを責めているわけじゃない。というのも、あの巨大な生物から、ほんの少し、1リットルに満たないくらいの貴重な液体を抽出し、あとはすべて捨てるという設定にしている。これは、かつて欧米がやっていた捕鯨のやり方で、彼らは鯨油だけを取ってあとはほぼ捨てていたんですよ。日本の場合は、それこそ肉から骨まで使っていたことを考えれば、本作で描かれるのは欧米のやり方。それは(ハーマン・)メルヴィルの『白鯨』にも書かれていて、キャメロンにはちゃんとそういう知識もある。いまでも捕鯨をしている国に対する皮肉に留まるのではなく、かつての欧州の捕鯨のやり方も意識している。やはりクレバーなんです」

――そういうことも含め、“水”関係の映像表現がすべてできあがったという感じですね。

「これからフィルムメーカーは、水を表現しようとすると、必ずこの作品と比較されるからね。デジタルの進歩は日進月歩なので、これからこれ以上の表現も出てくるだろうと考えるのは安直。前作も結局、13年もの間、『アバター』以上の映像はなかったんだから。今回もまた同じことになるんじゃないの? 前作のクオリティをまたキャメロンが自分で押し上げたという感じだよね」

――3Dという点ではいかかでしたか?

「まだ3Dにこだわっているんだと思ったけど、確かに進化はしていた。ひと言でいうとソフィスティケート(洗練)されていたということになるかな。違和感がなくなったし、スクリーンも明るくなり、3Dの成熟は感じる。あまりに馴染んじゃって、初めて3Dを観た時のようなインパクトはなかったかもしれないけどさ(笑)」

――映画を通じて、キャメロン自身の変化のようなものは感じましたか?

「変化じゃないけど、『ああ、やっぱりキャメロンって映画のために生きてるんだな』ということを改めて痛感したよね。本当に、映画のためにとことん貢献している。私もそうだから、その気持ちはちゃんとわかるし、伝わってくる。もちろん、言うまでもなく規模もまるっきり違うし、映画に対する考え方も水と油くらいに違う。でも、映画のために生きているという生き方は同じ。たとえ、映画史を塗り替える大ヒットメーカーになったとはいえ、そこは昔と変わってないんですよ」

取材・文/渡辺麻紀

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