今週末(12月30日)の公開映画数は12本。さすがに年末、全国100館以上で拡大公開される作品はありません。すべて中規模・ミニシアター系での公開です。今回は、新年1月6日(金) 公開のドキュメンタリー『カンフースタントマン 龍虎武師』をご紹介します。

『カンフースタントマン 龍虎武師』

心燃え立たせる香港アクションは、こんな命知らずのプロたちが支えていたのか!

ちょうど2年前のお正月に『スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』というドキュメンタリーが公開され、ハリウッドスタントのプロたちが紹介されたけれど、香港のはそれを上回る過激さ。この映画では、香港のスタントがどのように始まり、どう変貌を遂げたかを、貴重なそのアーカイブ映像と当事者たちへのインタビューを駆使してまとめられている。具体的なシーンを流しながら本人が解説してくれたり、名作のフィルムクリップもふんだんに使われた、まさに「香港スタントのすべて」。

映画スタントマンはアクションシーンで妙技、離れ業をみせる専門家。危険を伴う場面で主演俳優の代役になったり、逆に殴られたり、ぶっ飛ばされたり、車にひかれたり、ビルからとび降りたりと、鍛え、訓練し、計算しつくしていても最後は「体を張る」稼業だ。そんな業界の中で「香港映画」のスタントは、特別。

ルーツは、第二次大戦中に大陸から香港へ逃れてきた京劇の役者。彼らは養成学校をつくり、貧しい家庭の子どもたちに京劇を教えた。最盛期の1960年代には香港だけで4つの京劇学校があったという。のちに、中国戯劇学院からはサモ・ハンジャッキー・チェンユン・ピョウ、春秋戯劇学校からは『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』のジョン・ローンが巣立つなど、数々のスターや映画監督、そしてスタントマンたちを輩出した。京劇は下火になっていったが、そのしなやかでアクロバット的な身のこなしは、香港のアクション映画を支えたのだ。

1971年、それまでのまるで舞踊のような武侠時代劇やカンフー映画に革命をおこしたのが、ブルース・リーだった。『ドラゴン危機一発』の衝撃をサモ・ハンが語る。『我々は舞台上の舞踏家のような戦い方だった。誇張されて機械的だった」。そこにあの細マッチョな体で繰り広げるリアルなファイトアクションが登場するのだ。アメリカのTV『グリーン・ホーネット』で人気者になったリーは、この名声をひっさげて香港へ逆進出。大成功をおさめる。ここから香港アクションのスタイルががらっと変わったのだ。彼はハリウッドと組んだ『燃えよドラゴン』で世界的スターとなったとたん、32歳の若さで急逝してしまうが、ブルース・リーが作り出した新潮流は、新しい才能を開花させ、80年代の香港アクション映画黄金時代が始まった。

その中心がサモ・ハンでありジャッキー・チェン。かれらは自分のスタントチームを作り、ライバルに負けないようにアクションの過激さを増していく。「ライバルチームの作品が、ビルの8階から地上のプールにダイブしたなら、自分たちは9階から地上の炎の中にダイブしなければいけない」。「決して“ノー”とはいわない」……。1980年代が香港のスタントマンにとって最も危険な時代とよばれる由縁だ。

その過激な映画撮影でのスタントマンの活躍が当人たちの証言とメイキング映像などで観られるのだ。例えば、大ヒット作『プロジェクトA』でジャッキー・チェンが地上25メートルの時計台から落下するシーン。途中のテントクッションになり、無傷で地上にジャッキーが降り立つのだが、本人がやる前に、スタントマンが実験台となって、うまくいくかどうかを確かめている。「あのシーンって、そうだったんだ……」という驚きのエピソードが怒涛のように映し出される。

インタビューに答えているのは、サモ・ハン、ユエン・ウーピン、チン・カーロッ、ツイ・ハーク、エリック・ツァン、そして当代きってのアクションスター、ドニー・イェンといった俳優、監督、スタントマン。香港スタントマン協会が全面的に制作協力しているので、スタント界の大御所が総出演している。『ドラゴン怒りの鉄拳』『Mr.Boo!ミスター・ブー』 『少林寺怒りの鉄拳』 『ドランク・モンキー 酔拳』『プロジェクトA』 『ポリス・ストーリー 香港国際警察』『プロテクター』『五福星』……30本近い作品をチラ見するだけで満腹感を味わえる、映画ファン向けお年玉映画です。

文=坂口英明(ぴあ編集部)

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イラストレーション:高松啓二