数々のヒット曲を歌ってきたホイットニー・ヒューストンが短い生涯を閉じて10年。教会のコーラスグループで歌っていた天才少女が見出された瞬間から、歴史に残る名曲が生まれた経緯をすべて見て来たプロデューサーのクライヴ・ディヴィスが製作に名を連ねた『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(公開中)は、ホイットニーのシンガーとしての軌跡を余すところなく捉えた作品だ。ホイットニーが遺したスーパーヒット曲の数々を映画で追体験する、悲哀よりも彼女の並外れた才能を祝福するような映画になっている。この特異な鑑賞後感を醸成させたのは、『ボヘミアン・ラプソディ』(18)でフレディ・マーキュリーの半生をスクリーンに映しだした脚本家、アンソニー・マクカーテンの力も大きい。MOVIE WALKER PRESSはマクカーテンに独占インタビューを行い、ホイットニーの生涯を描きだすための手法や、次回作の構想などを聞いた。

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■「音楽なしには、彼女の天才的な才能を伝えることは不可能なのです」

――この映画は、あなたとクライヴ・デイヴィスが出会ったことによって生まれた作品だということですが、彼がこの映画で伝えたかったメッセージはどのようなものだったのでしょうか。

クライヴの言葉をそのまま引用すれば、『彼女の芸術性を讃える映画にしたい、そのような映画がこれまでなかったと感じている』ということです。ドキュメンタリーとテレビ映画はありましたが、そこには楽曲が含まれていませんでした。ホイットニーの物語を音楽なしで語るのは、オチのないジョークを言うようなもので、ほとんど意味をなしません。音楽なしには、彼女の天才的な才能を伝えることは不可能なのです。彼女は史上最も偉大な歌声を持つアーティストです。私たちは彼女の遺族からすべての楽曲使用許可を得ることができました。そして、それは映画体験の大きな部分となりました」

――ホイットニーの楽曲がとても有機的に物語に組み込まれていると感じました。

「私の仕事のなかで最も難しいことの一つは、適切な曲を選び、かつ、物語の中でストーリーを語るように曲を配置することです。物語に不似合いな曲が並んでいるのは耐えられないし、どんな名曲でも、物語の流れとキャラクターに合っていなければ、意味をなさないのです。時間をかけて楽曲リストに目を通し、真珠のネックレスを作るように繋げていきました。使用する楽曲の順番を間違えなければ、音楽でストーリーの半分を語れるのではないかと考えたのです。それが、私が脚本を書くうえで最も楽しんでいる部分です。成功しているといいのですが、うまくいったという自負もあります」

――ホイットニーの人生に起きた悲劇については誰もが知る事実です。悲しい事実と、彼女が成し遂げた様々な偉業のバランスをどう考えましたか?

「私はこの映画に、天才的な音楽家を称えるという明確な意図を持って臨みました。薬物の過剰摂取事故で亡くなったアーティストについての悲観的でつらい物語を語ることには興味がありませんでした。そのことは誰もが知っていますし、映画はニュース速報でもありません。私は、なにか新しいことを伝えられないのであれば、このようなプロジェクトに参加する意義はないと思っています。この映画で新しく伝えたかったことは、天才的なアーティストがどのように音楽を作り上げたか、その最高の体験を映画館で、盛大に披露することでした。ホイットニーの類まれなる才能、そして芸術性を映画で観ることです。私は、物語と彼女が抱えていた問題と葛藤、そしてその上に立ち現れる、彼女が私たちに贈ってくれたプレゼントについて語りたかったのです」

■「書き始める前に被写体と親密になる必要があると思っています」

――実際に、ホイットニー・ヒューストンとお会いになったことはありましたか?

「いちファンとして彼女を見ていただけで、一度も会ったことはありません。いままで私が手がけた映画でも、100年前に亡くなっている方だったり、実際に会えなかったりすることがあります。でも、脚本を書く前には、その人たちを実際に知っているように感じていなければなりません。だから、私の仕事の初期段階の興味深い点は、リサーチを通して彼らの仕事ぶりを知ることです。そして、彼らの輪郭を掴めたと感じられたら、書き始めるのです。それは一種の友情を築く作業であり、書き始める前に被写体と親密になる必要があると思っています」

――ホイットニーを友人として感じられるようになるまで、どれくらいリサーチをされたのでしょうか。

「プロセスには長く、ゆっくりと時間をかけました。おわかりのように、私はニュージャージー出身の黒人女性ではありません。ニュージーランド出身の白人男性です。私の旅は、いつもながらチャレンジングなものでした。彼女の生い立ちを理解し、彼女がどのような世界から来たのかを理解し、彼女の話し方を理解しなければなりませんでした。彼女はどんな話し方をしていたのか?彼女はなにを考えていたのか?彼女の人生における大きな試練はなんだったのか。意識するしないにかかわらず、私たちの人生にもそういった問いはつきまといます。

私が考えたのは、彼女は”ホーム(家)”を探していたのではないかということ。彼女の人生がそうでした。彼女が幼いころに両親の結婚生活が破綻しています。そして、心が安らげる場所を探すようになりました。彼女はそれで苦労し、すべてが正しい選択とは言えませんでした。でも最終的に、『彼女は家を見つけた』と、この映画で結論づけました。彼女は、ステージ上の自分を慕う人たちからそれを見つけたのです。ステージ上の彼女は本当に守られ、自分の人生の主であったのだと思います」

■「『ボヘミアン・ラプソディ』を作った時は、こういった映画が大ヒットするという認識はありませんでした」

――あなたが脚本を書かれた『ボヘミアン・ラプソディ』は日本でもとてもヒットし、多くの人が愛した映画です。この映画の成功からあなたが得たものはなんでしょうか? 今作にはどのように活かされていますか?

「『ボヘミアン・ラプソディ』を作った時は、こういった種類の映画が大ヒットするという認識はありませんでしたし、この作品が興行収入10億ドルを達成できるとは誰も思っていませんでした。スーパーヒーロー映画だけが、そんな興行収入をあげていた時代です。私たちはクイーンの音楽と共に、とても小さな物語を語っていました。そして、なにかが起き、世界的な興行でもなにかが起きました。巨大な予算のマーベル映画と同じくらい楽しい、新しいジャンルが発明されたのだと人々は口々に言いました。それは、偉大なアーティストの姿を目の当たりにすることでした。そして、音楽は、私たちの魂にまっすぐに差し込み、とてつもなく感動させ、興奮させ、涙を流させるということを伝えてくれました。『ボヘミアン・ラプソディ』では、音楽とドラマを一緒に語る伝達手段の威力を学びました。

こうして、私はホイットニー・ヒューストンのプロジェクトに着手しました。ここにも、世界中の人々に愛されるすばらしい音楽があります。どうしたら、私たちが感動したのと同じくらい、映画をご覧になる方々を興奮させることができるのか。『ボヘミアン・ラプソディ』のように、どうしたら観客の涙を誘うことができるのか。そして、私はできあがった作品にとても満足しています」

――最後の質問になりますが、また実在の人物を描くとしたら、誰の物語を書いてみたいですか?

「では、あなたとこの記事を読まれる方にだけ、トップシークレットを打ち明けましょうか。私はずっと、オノ・ヨーコと一緒にプロジェクトに関わっていました。子息のショーンレノンが、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの映画をプロデュースしています。これはまた大きな音楽伝記映画になる予定で、今年中に撮影を開始したいと思っています」

取材・文/平井伊都子

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