音楽の仕事に携わる映像作家たちに焦点を当てる本連載「映像で音楽を奏でる人々」。第22回にはカクバリズムでA&Rとして勤務する傍ら、映像作家として
日本大学藝術学部在籍時代からイベンターとして「プチロックフェスティバル」を企画し、2013年には当時“東京インディー”と呼ばれたシーンのミュージシャンが数多く出演したイベント「月刊ウォンブ!」を開催した仲原。イベンター、A&Rと一見映像とは関係ない世界にいた彼がなぜMVを撮り始めたのか? そのワケを探るべく仲原に話を聞くと、彼の特殊な経歴と映像作家という職業が紐付くポイントや、A&Rとしての視点がMV制作に与えるメリットなどが見えてきた。
取材・文 / 下原研二 撮影 / 小財美香子
cero、U-zhaanとの出会いで広がったミュージシャンとの交友関係
僕の実家は江古田にあって、日芸(日本大学藝術学部)の近くなんですよ。日芸の学科名に映画や音楽という言葉が並んでいるのを見て中学生くらいの頃から気になっていて。映画やバラエティ番組が好きだったから「映像の仕事に携われたらいいな」くらいの気持ちで日芸の映画学科に進学して脚本を学んだんです。在学期間は被っていないけど、大学の先輩にceroの高城(晶平)くんがいて。僕の1個上の先輩がceroと面識があって、その人に誘われてライブを観に行くことになったんです。初めて観たceroのライブが本当によくて、何度もライブに行って、気付いたらceroのみんなや、その界隈のミュージシャンたちとも仲よくなっていました。それからライブハウスに通うようになり、
そこで出会った面白い人たちを大学の友達にも紹介したいなと思って、学園祭で「プチロックフェスティバル」というイベントを企画することにしたんです。イベントにはceroやU-zhaanはもちろん、
東京インディーが集結した「月刊ウォンブ!」
自分のイベントに遊びに来てくれていた人にWOMB(※東京・渋谷にあるクラブ / ライブハウス)の関係者がいて、その方に「WOMBでライブイベントをやってほしい」と声をかけていただいたんです。それで1回だけの単発企画をやるのも違うなと思って「1年間、毎月最終火曜にやらせてもらえないですか?」と相談したら快諾してくださって、「月刊ウォンブ!」を始めることになりました。WOMBって読みは「ウーム」だけど、そのまま読むと「ウォンブ」だから、毎月やるイベントだし「『月刊ウォンブ!』でいいんじゃないか?」という安易な理由で決めたんです(笑)。イベントのロゴも「週刊少年ジャンプ」みたいにして、毎月のフライヤーも
「ウォンブ!」を企画していた頃は、高城くんが家族で経営しているRoji(東京・阿佐ヶ谷のカフェバー)でバイトをしていて。そのお店には
あの頃は今ほどSNSが普及していなかったから、シーン自体があまり掘られていなくて、“来ればわかる”みたいなムードがあったと思います。「ウォンブ!」は2013年にやっていたイベントなので、あれから約9年が経って、解散しちゃったバンドもいるけど、いまだにみんな活躍しているのはうれしいですね。当時ってCDも売れなくなってきていたけど、まだサブスクもなくて、自分たちでもどうすればいいかわからない時期だった。同世代のミュージシャンたちはサウンドやカラーはバラバラだったけど、「自分たちのやっていることは間違ってない」という感覚はみんな持っていたと思います。お互いをリスペクトし合っていたし、そういう意味で一体感があったのかもしれないですね。
A&R業務とMV制作の共通点
MVを撮るようになったのは2014年からですね。その頃はfelicityというレーベルでアーティストのマネージャーとA&Rをやってたんですが、当時担当していた思い出野郎Aチームの「TIME IS OVER」のMVを作ることになって。メンバーと僕で脚本を考えて、メンバーの後輩で映画監督の嶺(豪一)くんにディレクションをお願いすることにしたんです。ふざけた内容だったのですが、自分の脚本が映像化されるというのは本当にうれしかったですね。
そうやって嶺くんの仕事ぶりを間近で見学したり、A&Rとしてほかの映像作家さんにMVの制作を依頼して完成するまでのプロセスを見させていただく中で、「自分でも撮れるかもしれない」と考えるようになって。思い出野郎の「週末はソウルバンド」のMVで初めて監督をやってみたんです。
A&RがMVの監督をするというケースは少ないと思いますが、自分で撮影できれば予算を抑えられるから、その分、レコーディングやデザインに予算を回せたりとメリットが多かったんです。A&Rとしてレーベルで働いてみると、予算の使い方で悩むことが多いですからね。はじめましての人にお願いするより、メンバーのどういうところが面白いか、魅力なのかを知っている僕が撮ったほうがバンドのいいところを引き出せるんじゃないか、とも思っています。
ミュージックビデオは自分だけのものじゃない
映像作家としての転機になった作品を挙げるとすれば、最初に思い浮かぶのがceroの「ロープウェー」。それまでとは違うアプローチとしてモノクロのフィルムで撮影したり、劇作家の
もう1つ転機を挙げるとすると、コロナ禍が始まった頃にたくさんの公演が中止になって、いろんなアーティストが試行錯誤しながらライブ映像を無料で配信する中で、ceroがいち早く有料制での配信ライブを開催したことです(参照:cero、明日21時より有料制のライブ配信)。その際に企画と監督を担当して、MV制作だけじゃない方法でミュージシャンやレーベルに貢献できた感覚があった。あの日を境に映像に対してより真剣に向き合うようになったし、機材を買ったり勉強したりして、外部の仕事やライブ配信、収録の現場を積極的に受けるようになりました。
映画のワンシーンをそのまま切り出したい
ミツメの「霧の中」は井手健介くんと一緒に作りました。井手くんはその頃、まだ映像監督ではなかったけど、バウスシアター(※東京・吉祥寺にあった映画館・吉祥寺バウスシアター。2014年に閉館)で働いていたこともあって、「彼の作る映像が見てみたい」とずっと思っていたので一緒にやろうと声をかけました。彼が今映像作家として活躍していることを考えると、一緒にやってみたいと思ったのはA&R的な感覚が働いたのかもしれないです。「霧の中」のMVは、好きな映画の話をしながら「こういうシーンがあったら面白いよね」みたいにアイデアを出し合って進めていきました。
僕の作品は「撮ってみないとわからない」という作品も多いかもしれません。イメージは自分の頭の中にしかなくて、それを説明しないままにしているというか。「ロープウェー」のMVで言うと、高城くんと飴屋さんに「それぞれの思い出の場所に連れて行ってください」とだけお伝えして撮影したんです。お二人の昔住んでいた家とかが映っているんですけど、それを表立って言いたいわけではなくて、僕だけがわかっていればいい。観る人に「ここが飴屋さんの思い出の場所なんだな」と思われなくてもいいというか、僕と飴屋さんだけが共通の認識を持っていれば物語として伝わるものがある気がするんです。
MVは3分くらいの作品が多いけど、映画で考えると3分ってワンシーンじゃないですか。MVで表現したいストーリーがあるとして、僕は2時間の映画を3分のダイジェストにするのでなく、その映画のワンシーン3分をそのまま切り出すようなイメージで作っています。ミツメの「エスパー」も自分の中で前後にストーリーがあるんですが、そのうちの出会いのシーンだけを切り出したイメージで撮っていて。ミツメの4人は同じ方向に進んでいるんだけど、
若い世代のミュージシャンとの出会い
僕がこれまでMVを撮ったミュージシャンは、A&Rとして自分が関わっていたり、もともと友達だったりというケースが多かったんですね。でも最近はChilli Beans.やリュックと添い寝ごはんのような若い世代のバンドのMVも担当させてもらっていて、彼らとはまた違う出会い方をしているんですよ。それはカクバリズムに所属している
リュックと添い寝ごはんの「home」は、バンドのイメージをそのまま形にできた手応えがあって、彼らとしても納得のいく作品になったみたいでうれしかったです。やっぱり若い子と仕事をするとめちゃくちゃ刺激があります。僕が年上のミュージシャンと一緒にいて居心地がよかったのは、上下関係とか気にせずフラットに接してくれたことなんですよ。若いからってバカにしないというか、「若いね」とは言われるけどやることをやれば認めてもらえている感じがして。僕も相手が若いからという接し方はしていなくて、同世代の友達と一緒にいる感覚とあまり変わらないし、向こうもそう思ってくれていたらいいなと思います。
A&Rだからこそ見えるもの
自分がA&RをやっているからこそクライアントのA&Rと、A&R目線でMVについて話せることもあって。自分としてはそれは強みなんじゃないかなと思っています。僕がA&Rとして映像作家さんにオファーするときは、なんとなくじゃ頼まないし、その人にやってもらいたい理由が明確にあるんです。だからそういうふうに僕を選んでもらえているとしたら、できるだけ希望に応えたい。そういう仕事は僕も楽しいし、MVだけじゃないほかのアイデアを提案したりもします。A&Rをしているからこそわかることもあるのかなと。あとは「相談しやすい」とか「納期が早い」と思ってもらえるようにして、進行の迷惑をかけないようには意識してます(笑)。
MVは音楽がメインなので、そのときに流行っているものを映像の中に入れすぎると、映像の印象で「あの時代の曲だよね」というふうになっちゃう。いい曲はいい曲として常にフレッシュに聴かれるべきだから、映像のせいで損しないように流行りの要素はなるべく入れないようにしてますね。A&Rをしている立場として「主役は絶対に音楽」というのが理解できるので、自分の主観を入れすぎないようにしていて。今話していて思ったんですけど、これは「ロープウェー」を勝手に作って怒られたときに学んだことかもしれないです(笑)。ミュージシャンやレーベルが納得してくれる作品が間違いないわけで、もちろん監督として譲れないカットとかもあるんですけど、ミュージシャンが違うと思ったら違うんですよね。なのでできるだけコミュニケーションを取って、納得できるものを一緒に作れたらと思っています。
A&Rという仕事は、ミュージシャンという主軸がいて、1つの作品を作るために必要な人たちを集めることだと思うんですよ。それはイベント制作も一緒だと思っていて、「このミュージシャンを呼んで、この場所でやって、こういうお客さんが来てくれたらいいな」と、自分が主役になるんじゃなくて主役をどう見せるかをイベントで学んだんだと思う。MVも「制作さんはこの人がいいな」と細かいことを決めていくから感覚があまり変わらないというか、自分の要素を出す割合いは大きくなっているけど、「好きなものを集めて好きな人をもっとよりよくする」みたいな部分は変わらない。だから僕の強みは「人の力を借りまくる」ってことなのかも(笑)。
今まで関わってきたミュージシャンと一緒にいつか映画を
仕事道具を紹介してほしいということだったので、今日は8mmと16mmのフィルムカメラを持って来ました。特徴を言うと、8mmはノイズが多くてザラザラしていてフィルム感が強いけど、ホームビデオのように気軽な感じもある。いわゆるフィルムのレトロな感じのイメージは、8mmの質感だと思います。16mmは今でも映画の撮影に使われているくらいキレイだけど、デジタルでは絶対に撮れないものがあるんですよ。細かく説明するとキリがないくらいいろんな魅力があります。撮ってる間はどんな映像になっているかわからないし、このカメラだと撮影中は僕しか見れてないのもよくて、自分にしか見えていない世界を楽しんでいるところもあります(笑)。あとフィルムで撮影する場合、自分が撮ったものを一度現像所に預ける必要がある。そこの職人さんがさまざまな技術を使って映像にして返してくれるという作業があるわけで、映像になって僕の手元に返ってくるまでにたくさんの人ががんばってくれているんですよね。フィルムのよさって映像の質感という部分もあるけど、他者が介在して完成するというのもその1つだと思います。
でも自然環境のことを考えるとフィルムってよくないとも思うんですよ。僕がいつか映画を撮るとしたらきちんと社会問題にも向きあった作品にしたいと思っていて、そういうときにフィルムで撮るという行為自体の矛盾にぶつかっちゃうんですよね。そう考えると自分がやっていることはすべて環境に悪い。フェスとかも正直、自然のままが一番美しいわけじゃないですか。自然の中にステージを組んで大きい音を出したら気持ちいいんだけど、それは自然にとってはどうなの?っていう。エンタテインメントと社会問題を両立できない気持ち悪さに常に悩んでいるところはあります。だから今日持って来るのがフィルムカメラでいいのか?と考えたんですけど、いろんな人が介在しているからこそ、技術をつないでいくことで、地球に負担がかからない現像方法が開発できるかもしれない。それを目指すなら「まだまだフィルムカメラを使ったほうがいいのかな?」と思ったりして、まあ無理やり自分を納得させているだけなのかもしれないけど(笑)。
さっきも話しましたけど、いつかは映画を撮ってみたいです。MVは音楽のための映像だけど、映画の音楽の場合は“映画のための音楽”になれると思っていて。例えばあるシーンでその曲が流れることで映画のよさが際立ったりしますよね。ベストなバランスが取れるとばんばん曲が流れていても嫌な映画にはならない。そういう意味で僕が今まで関わってきたミュージシャンと一緒に音楽ありきの映画を撮ってみたいですね。音楽に助けられることがたくさんあったけど、自分では音楽を作ることができないから、僕が作った映画の中で音楽が流れることで、観た人に「この曲いいな」と思ってもらえたらいいなと想像しています。
仲原達彦が影響を受けた映像作品
ジム・ジャームッシュ「パターソン」
僕が高校生くらいの頃はミニシアターブームの名残みたいなものがあって、ジャームッシュなどの作品に触れて大衆モノではない映画の魅力を知ったんです。そういう人たちの作品はNetflixとかでは配信されていないのも多いから、ミニシアターのあの空気感みたいなものが失われつつある気がするし、若いディレクターに聞いてもみんな知らなかったりするんですよね。「
girl in red「October Passed Me By (Short Film)」
このショートフィルムだけじゃなく、彼女の作品には「これはLGBTQを取り扱った映像なんだよ」という主張はなくて、当たり前に存在する恋愛として描いているのが美しいなと思う。言い方が難しいんだけど「特別なものじゃない」と感じさせてくれる、それがすごいなと思います。
※高城晶平の「高」ははしご高が正式表記。
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